終戦の日 と 遊就館

人間魚雷「回天」

七月の末、近くに来た折りに、九段の靖国神社にお参りし、隣接する遊就館を訪ねました。

特攻により、自らの命を守るべき愛する人達の為に捧げた隊員を想うと、目頭が熱くなりました。

艦上爆撃機「彗星」終戦間際には特攻機へ

20歳前位の年頃のまだ幼さの残る隊員たちが子犬を抱いて笑顔の和をつくっている『出発直前の陸軍特別攻撃隊 第72振武隊員』の有名な写真を見ると、やりきれない気持ちになりました。

先の大戦でお亡くなりになった方達に、感謝の気持ちでいっぱいになりました。尊い犠牲の上に いま があるのですから。

ロケット特攻機「桜花」

やはり、あらためて残念に思ったのは、この遊就館という施設は、特攻を讃美しているのではないかと感じたことでした。未曽有の国民の命を失い国家を瓦解させた負け戦の指揮官達を誇らしげに奉っているのもどういうことなのだろかと疑問に思いました。

指揮官達の多くはとても優秀な方々で人望も厚く心から尊敬できる人達だったと思います。しかし、結果として戦争に敗れ、建国以来の多くの国民の命を失い、国は焼かれ、解体されてしまいました。その結果責任は重大なのではないでしょうか。靖国神社といえば日本を代表する英霊を祭る神社だと思いますが、先の大戦の指揮官達を一般の兵士たちと一緒に祭っていることに違和感を覚えます。

特攻という理不尽な〝事実上の命令〟を受けて、愛する人のいる祖国防衛の為に出撃され散っていった隊員の皆さんには心から感謝申し上げます。

特攻を命じた指揮官達の多くは「あとから必ず俺も特攻で出撃するから」と言って、隊員達に「必ず死んで来い」と送り出しておきながら、終戦を迎えるやいなや「命令はしていない、あくまで隊員たちの自主的な志願だった」などと責任を回避して、生き延びた者も多くいると聞きます。

未来ある若者の命を理不尽な命令で奪っておきながら、命じた者は責任を回避して生き延びる・・・。現在を生きる僕には当時の状況はわからない。わからないけど、国家的な特攻作戦自体は今後あってはならないし、結果責任として、その指揮官や推進者達を、国家的な施設で讃美してはならないと思う。そう感じた。

現実は、残念ながら戦争はなくならないし、平和を守る為に軍隊は必要。先進国で軍備のない国はありません。有史以来、世界は戦争ばかり。でもやはり平和が一番だし、第一に守る努力をするべき。それが英霊たちに対する今を生きる僕たちの務めなのではないかと思いました。

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