ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン
著者:トゥーラ・カルヤライネン
訳者:セルボ貴子・五十嵐淳
発行:2014/9
河出書房新社

先日、バイク屋さんにタイヤとブレーキの交換に行った際、待ち時間に本屋さんに行くと、売り場の書棚から、只一冊この本が僕を呼んでいました・・・というよりも、この本に呼ばれて本屋さんに行ったという感じでしょうか。

そういう本との出会いってあるんですよね。

バイク屋さんに戻ってその話をすると、「それ、わかります」と言ってもらえました。

読んでいて僕の心にぐっと来てしまったのは、

 

働け、そして愛せよ(P116)   →   そのことば、僕の人生訓とします。

「私の絵はまだまだだけれど、展覧会ごとによくなっていると思う。ほかのことはかまわないわ。ただ、まだ頭を使って描きすぎているのかもしれない。毎回、これでもかというくらい心を込めてはいるけれど」(P119~120)

トーベは、常に独立性を大切にしていた。会議で何が述べられようと慎重な姿勢を崩さず、雰囲気に飲まれることもなかった。(P152)

一度はっきりさせておくけれど、社会的責任だの、社会認識だの国民だのというのはもう聞き飽きた。私はそんな社会に偏った芸術なんてこれっぽっちも信用していない。私が信ずるものはただひとつ、芸術のための芸術で、それ以上でも以下でもない。(中略)キャンパス一枚に、静物、風景どんなものを描いてもその中身は自画像だと私は信じる!(P154)

母性は常に、女性に大きな犠牲を強いる可能性を秘めている。トーベはそれを恐れた。それでも、子どもを欲しがった時期もある。彼女の気持ちは揺れ動いていた。責任は自由を制限する。子供を授かれば、自由をこよなく愛する芸術家の創作活動は制約されてしまう。しかし、子どもをもたないという選択をしたこの女性は、やがて世界の数百万という子供に愛される存在になる。(P157)

いつも理性的なおしゃまさんは、ムーミントロールに自分の人生観についてこう語る。「ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなものよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね」。(P254)

「(前略)わたしにとってさしあたり重要なのは、進む方向を見極める能力を得ることではありません。恐らくわたしは誤った方向に進もうとしています。でも、わたしが子どもっぽいままでいいのか、『成長したもの』になるべきなのかはわたしには決められません。なるようにしかならないのです」。(P296)

トーベとトゥーリッキは、旅の途中でも仕事の手を休めなかった。スケッチブック、ペン、インク、筆記帳を常にバッグの中に入れていた。トーベは、書きかけの原稿や仕上げを待つ原稿をたくさん旅にもってきていた。(中略)「彼女はすごく小さな台所の中に腰掛けて、ものすごい速さで執筆していた。原稿はあちこちに散らばり、彼女の頭の中を想像力が駆けめぐっているのがひと目でわかったわ!」(P319)

脚色のない現実の出来事のように感じられる理由は、この短編小説の大部分がトーベの手帳や手紙に記録されていたことを再現しているという点にある。過去の体験にほんの少し脚色を加えながら架空の物語のように表現しているのだ。(P332)

彫刻家の父親と画家の母親の長女として生を受けたトーベは、両親の後を追うように芸術の道を進み、生涯を通じて、絵画、挿絵、壁画、政治風刺画、童話、小説、詩、連載漫画、作詞、脚本、舞台制作など多岐にわたって精力的に芸術活動を行った。なかでも、彼女が追い求めつづけた楽園のひとつ、ムーミン谷で繰り広げられる一連の物語は、今なお世界中で愛読されている。(P353)

 

なかなか読み応えのあるボリュームでしたが、すっかりトーベ・ヤンソンさんのファンになってしまいました。著書で1945年発行のムーミンシリーズの小説『小さなトロールと大きな洪水』を注文しました。年を追って全作品を読んでみたいなと思っています。

(2019年の20冊目)

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