COBRA 9

COBRA 9
著者:寺沢武一
発行2006/3(完全版)
MFコミックス (2019 年の41冊目)

相棒のアーマロイドレディ。

強敵のクリスタルボーイ。

そして美女たちのハニートラップ。

宇宙をまたにかけた宇宙海賊コブラ。

男たるもの、冒険心を忘れてないか!

多摩の某所にて

昭和40年代新築の住宅を耐震診断の後、

耐震改修にて筋交いを増設しています。

筋交での土台の浮き上がりを防止する為、

適材適所に金物を増設しています。

旧い建物を大切に引き継いで更新する。

それもひとつのエコロジーですよね。

住宅ストックを活用して更新して使う。

建物も乗り物も楽しみながら使い続ける。

新しいものにはない豊かさがあると思う。

十三夜荘奇談

十三夜荘奇談 吉田秋生傑作集3

著者:吉田秋生 発行:1983/9

PFビッグコミックス小学館

吉田秋生さんの短編集の魅力のひとつに、作品の幅がある。

著者の若かりし頃の、この短編集のラインナップの多彩さには、まったくもって驚異的な才能を感じざるを得ません。

後の作品群につながってゆくものが、そこかしこに感じられて、最新作の海街diaryから遡ってきた僕には、とても新鮮な過去作品なのです。

コミックスの新刊がないのでやむなく古書の程度のよいものを入手しましたが、それもまた古書の味わいがあって、いいものですね。

・夏の終わりに・・・ 別冊少女コミック1978.9月号に掲載

・風の歌うたい 別冊少女コミック1980.1月号に掲載

・十三夜荘奇談 プチフラワー1981.冬の号に掲載

・金の糸 銀の糸 1982年度作品

・きつねのよめいり プチフラワー1982.9月号に掲載

・ざしきわらし 1983年度作品

(2019 年の39冊目)

夢みる頃をすぎても

夢みる頃をすぎても 吉田秋生傑作集1

著者:吉田秋生 発行:1983/2

PFビックコミックス 小学館

先に、吉田秋生傑作集2を読んでしまいましたが、本作は全く別ストーリーなので、支障なしでした。

本作は別々の短編集なのかなと思っていたら、5作品は繋がっていました。

楽しく懐かしい青春ストーリーでした。よい作品だね。吉田秋生さんて当時からすごい作家だね。全作品を追いかけて読んでみたいです。

・楽園のこちらがわ 別冊少女コミック1977.12月号に掲載

・楽園のまん中で 別冊少女コミック1979.5月号に掲載

・はるかな天使たちの群れパート1 別冊少女コミック1980.3月号に掲載

・はるかな天使たちの群れパート2 別冊少女コミック1980.4月号に掲載

・夢見る頃をすぎても プチフラワー1982.1月号に掲載

(2019 年の38冊目)

嘉泉 極め付け辛口

嘉泉 極め付け辛口 (普通酒)

田村酒造場(東京都福生市福生)

720㎖(四合瓶)

どっちかというと(完璧に?)甘党のオイラが、極辛口の日本酒度+13~+15度の日本酒に挑戦したらどうなるのか?酒飲みとしては避けて通るわけにはいかない気がして(笑)、というか極辛口を飲んでみたくて、挑戦してみます。

嘉泉 まぼろしの酒 ネーム入りのお猪口に 極め付け辛口 を注ぎ、クンクンと香りを嗅いでみる・・・いい香りだし・・・スパイシーでもないぞ・・・。

恐る恐る口をつけて、グイッと飲んでみる・・・おっ、いけるぞ!美味いぞ!

たしかに甘くなく、キリッとしてて、後口もさっぱりしてる。ということが味わえるなら、オイラも辛口の日本酒を味わえる酒飲みの端くれってことかな?

なんか勝手にですが、嬉しい感じがします。

ありがとう、極め付け辛口。

もっと日本酒を楽しんでみたいです。

僕は冷や(常温)で飲むのが好きなのですが、冷酒や燗酒もそのうちにね。

街でみかけた ひととき

ひととき

川のほとり 横になり せせらぎを楽しむ

その音 やがて 笑い声にかわる

ふりかえると カッパたちの 微笑

ひとときの夢

作者:中村 影 設置:1992

多摩川左岸沿いの福生中央公園にあるカッパの銅像。愛嬌のある姿といい、添えられた詩といい、癒された人も多いに違いない。これからもずっと、居てほしいです。

百姓から見た戦国大名

百姓から見た戦国大名

著者:黒田基樹 発行:2006/9 ちくま新書

読んでいてぐっときた部分は、

大名としての武田氏の存続のためには、そうした世論を真摯に受けとめなければならなかった。信玄は、世論の要求に応えるために、クーデターを起こし、実力で代替わりをおこなった。そして代替わりによる、「世直し」のための対策を大々的に行ったのだろう。それが、人々をして、救世主のような扱いをさせることになったのだろう。(P26~27)

このように敵地に侵攻すると、まず間違いなく敵地の作物を刈り取り、生産破壊が行われた。こうしたことを、刈田狼藉といい、敵地の地力を衰退させるための一般的な戦略となっていた。(中略)その地域の人々はたちまち深刻な飢餓におちいることになった。そのうえ容赦のない掠奪が繰り広げられた。それは作物をはじめ、雑具と呼ばれた日常生活品、さらには人身そのものに至るまで、あらゆるものが対象にされた。(P47)

戦国時代の戦争は、けっして戦国大名やその家臣たちだけのものであったのではなく、その根底には、そうした村人の戦争参加があったことがわかる。しかもそれが自身やその家族の生存のためであったところに、事態の深刻さがうかがわれる。自村では生活できないから戦争に行ったのである。まさに「口減らしの出稼ぎ」であった。(P49)

村同士の、武力をともなった争いは、当時の支配者からも「合戦」と表現された。「合戦」は、決して領主レベルだけのものではなかった。このことから中世というのは、領主から民衆までの多様な階層で、いたるところで合戦が繰り広げられていた時代であった。(P67)

領主同士の合戦とみえるものの根底には、こうした村々同士の用益をめぐる紛争があった可能性は、限りなく高い。(P93)

城の維持・管理についての村々の負担は、村にとってはどのような意味があったのであろうか。(中略)城は、村々の避難所としても機能したからである。敵軍が来攻してきたとき、村人は領域の城に避難した。敵方軍勢による、情け容赦のない掠奪から逃れるためである。(P111)

北条氏の領国支配の内容をみていくと、それこそ近世社会の原型といって差し支えのないものである。このことはむしろ、戦国大名・国衆の領域権力が、近世権力の原型であったとみるべきことを示している。決して信長・秀吉が傑出していたわけではなかった。(P143)

こうした対策によって、領国では耕作が維持され、秋の収穫から回復が見込まれることになったが、それが一瞬にして台無しになるような事態が生じた。永禄3年9月からの上杉謙信の関東侵攻である。(中略)この時の進軍によって、領国は「国中山野の体」、「山野の体、年月経られば、侍・人民共に退転すべし」「相州悉く亡国と成る」といわれるような状態になった。上杉軍によって散々に掠奪された結果である。(P162)

そして村の側でも、決して戦国大名の言いなりになったわけでもなかった。確かに徴兵台帳は作成され、それに基づいて実際の動員もあった。しかしそもそも台帳作りの際に、「一人も漏らさずに記載するように」とか、「精兵を村に残して、戦争の役に立たないものを出したら、村役人を斬首する」とか言われているから、村は、村そのものの防衛のために、精兵を村に温存しようとしていたことがわかる。(P204)

村にとっては、自村の存立こそが最大の課題であり、(中略)誰であってもいいから、ただ強い領主に従うのみといって、村の存立を保障してくれる大名・領主を選択した。村々は、特定の大名・領主と、決して運命をともにすることはなかった。これこそ、戦乱のなかでの存続を図る、村のしたたかな知恵に他ならなかった。(P205~206)

当時の村人の逞しく生きる姿が目に浮かぶようです。 私たちはまさに、慢性的飢饉を乗り越えた人々の子孫にあたる。(P61) のですよね。戦国時代のムラや領国の概念は、今の日本国に相当すると思うけど、現代も、好戦的な国家が割拠しているし、それぞれに内政上の不安定な問題を抱えているし、そんななかで、平和を維持していくにはどうすればいいのか、歴史は語っていると思います。

英雄目線の戦国大名でなく、百姓から見た戦国大名に興味のある方、ご一読をお勧めします。興味のある方はとっくに読んでいるかな。

(;^_^A アセアセ・・・

(2019 年の37冊目)