9:30、Kawasaki KSR110 弦月号を駆って出撃。9:40に小作坂下のGSで給油、レギュラー5.20L ¥692也。道は一部の交差点を除いてそれほど混んではいませんが、ノロノロフラフラ走る車が多くて、なかなかスイスイとはいきません。挙動不審な落ち葉舞うような運転は、見ていて怖いです。
10:35、奥多摩湖畔は久しぶりかな。湧き立つ雲、遠くの山々、静かな湖面が美しい。
大麦代駐車場でアメリカンドックを買った際、お店のおじちゃんに「ヤキソバやってないの~大盛りの?」と訊いたら、「もうずいぶん前に辞めたよォ~隣の店ね」とのことで、寂しいけど仕方ないね。じゃ、〝おじちゃんやってよ~〟などと思ったけどさ。なかなかね。とはいえ、若い人が面白い店やったら繁盛するんじゃないかな?
道端に停まっていると、ランボルギーニ・フェラーリ・ポルシェの団体さんが素晴らしい排気音を響かせながら通り過ぎる。どんな走りをするんだろう?どんな人が乗っているんだろう?スーパーカーにはロマンがあるねぇ。乗ってる人には子供たちの夢を壊さないでほしいねと切に。
11:00、赤いアーチが美しい峰谷橋。1957年竣工とのことで、当時は日本最長のアーチ橋だったらしいです。奥多摩路ではおなじみさんの橋。
11:10走っていて、ふと見上げると小さなお堂のような建物が・・・気になるので戻って寄ってみます。単独行動なんで気楽なところです(笑)。
湖底の村から移築した1865年竣工の農村の演劇の舞台建物だそうです。すごいな~。当時の奥多摩を見てみたいね。
11:40、走っていて、ふと見ると、なにやら案内板が・・・気になるので戻って寄ってみます。
古いお祭り、昔はすごかったのでしょうね。今とは比較にならぬほど、生きるだけで厳しかった時代、祭りの間は男も女もたくさん踊ったのでしょうね。
11:50、久々の柳沢峠、標高1472m。標高の影響で愛機のエンジンパワーが落ちてゆくのがよくわかります(笑)。仕方ないね、110ccだし。さすがに下界と比べるとかなり涼しいですね。
柳沢峠から、山梨方面を下ってゆく。拡幅されて経路や舗装も新たになった道を快適に疾駆してゆく。とても走りやすくなったけれど、どれだけ税金が投入されたのだろうかなどと考えてしまう。公共工事は必要で、国民を潤すものでもあるが、これからはそれらの造ったインフラの維持に向きあうことになるのかなと。
12:10、走っていて、ふと見上げると大きな丸い岩がパックリ割れている・・・気になるので戻って寄ってみます。石の下は番所(小さな関所)跡だった。
登ってゆくとありました。
やはり神様の宿る岩でしたか。岩の形状から、安産祈願とか子孫繁栄とか、ご利益がありそうな気がするなどと、勝手に妄想しています。何の神様なのでしょうか。
R411・大菩薩ラインを下りてくると・・・暑っついです・・・。新千野橋東詰を右折しフルーツラインを(途中で爆走軽トラにスレスレで抜かされ、やる気スイッチが入って追走することに・・・いけません)北上、R140・雁坂みちに入る。今度は標高が上がるにつれ涼しくなってゆくのがわかります。バイクのいいところだね。
スロットル全開、愛機 弦月号は青息吐息で雁坂みちの直線路を登る。ミラーに光るヘッドライトが彼方からぐんぐん近づいてくる。左に避けた僕達をドドドドドド~ッと圧倒的なパワー差で、左手を挙げて追い越してゆくハーレーダビッドソンのハンドルが高いチョッパータイプ。革のジャケットのヒラヒラも含めて、カッコヨカッタ~!
12:40、走っていて、ふと見上げるとなにやら門のようなものが・・・気になるので戻って寄ってみます。川浦口留番所(小さな関所)跡でした。
愛機をえっちらおっちら押してきて、
僕は怪しくないので通っていい?
今でいうところの国境のゲートなんですよね。甲斐の国とか、越後の国とか、相模の国とか、要はざっくりいうと県境が国境みたいなもんですもんね。旅行なんて一般的でない時代。男も女も老いも若きも朝から晩まで働きどうしで、それでも貧しくて子供を売ってようやっと生きるような厳しい時代。売られた子どもは・・・日本だって昔は貧しかった。食料の安定供給や公共事業で豊臣や徳川の時代に入ってから徐々になんとかなっていったのですよね。ということは100年後、今でいうところの労働をほとんどしなくても生きていける平和な時代がきたらいいね!なんて思いました。その頃にはもういないけどね・・・(笑)。
12:50、走っていて、ふと見るとなにやら軽便鉄道敷のようなものが・・・気になるので戻って寄ってみます。三塩軌道と称する軌道敷があったそうです。
全長36キロ、行きは下り坂をブレーキだけで塩山駅まで走っていたそうで、ここまで登ってきた坂を考えるとすごい急な下り坂だし、ショボイ車体とブレーキで、今じゃ考えられない恐ろしい乗り物じゃ。
NO~・・・乗りたくねぇ~。しかし運転手さん命懸けじゃな~。考えてみると昔の仕事は生活は、どこも命懸けだったよね・・・。ほんとご先祖様ありがとうございます。
道の駅 三富 にちょい寄る。
わおっ、久しぶりの雁坂トンネル。70円の通行料を払って突入します。前にも後ろにも車がいなくて、快適なトンネル走行でした。路面が濡れていて、愛機は水撥ねでびしょびしょに濡れましたが。
秩父に入って標高が下がるにつれ気温はぐんぐん上昇します。暑い~。お昼はなにを食べようかと道路沿いの飲食店を走りながら見るも、並んでるし。一人で来て並ぶのは嫌だしね。
14:00、結局、秩父野坂の すき家 で牛丼ミニ&サラダセットを食べました(笑)。水をちっとも出してくれない残念なサービスぶりでしたが・・・。
R299で秩父市街を抜け、正丸トンネル手前で青梅秩父線に入る。前走車数台に続いてのんびり山伏峠への登りを走っていると、後方から125ccクラスのフル装備のオフロードライダーが追い付いてきたのですが、後ろや横にベッタリついてきて目障りで煩いのなんの・・・そんなにくっつくなら命懸けで前の車を抜いてけっちゅ~の・・・なんて思っちゃいましたよ。怒りがMAXになる寸前、どこかの林道に消えてゆきました。遭難してしまえ・・・なんてね。特に一般車に対しては安全運転でよろしく。せっかくの楽しい家族旅行が台無しになるじゃん。
名栗を抜け、成木街道に入り、小沢トンネルを抜け、延命寺の先を右折し、松の木トンネルを抜け、北小曽木川を渡った突き当りのT字路に、以前自転車で来たときにもちょっと止まったけど、気になる五輪塔と檜の大木があります。
青梅市指定史跡の佐藤塚です。
佐藤助十郎さんはかつて北条家に仕えた落人でしたが、石灰事業を始めて成功した方らしい。佐藤さんは落人からよくぞ成りあがったものですね。その後に残念ながらお家は断絶してしまったそうなのですが、きっとご一族につながる方も今もどこかで暮らしていらっしゃるのではないかと。五輪塔には正保二年(1645)の年号があるそうです。名を残しましたな。素晴らしい。
15:30、帰宅しました。顔が日に焼けました。