左入城址

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昭島の用事が済んでコンビニ休憩。
コーラを飲みながら城跡を検索してみる。
場所柄、滝山城跡関連がほとんどだけど、
左入城址の書き込みが目に入りました。
ムラウチのところに城跡が・・・?
行ってみるか・・・ということで、
15:40頃に現着です。

書き込み通りに立派な石碑があります。
この場所に左入城があったのですね。
当時と今では道が全く違っています。
道の芯には旧道があると思いますが、
幅が城跡を飲み込むばかりに広がって、
高速道路のインターや敷地の掘平で、
異次元のスケールで造成されています。
地山の基本的な山塊は残っているわけで、
旧道、河川、集落、旧地名、伝承、
自然地形他からの想像はロマンありです。
小さなお城の歴史は謎に包まれており、
築城者、主の変換、合戦の記憶、廃城、
現城主の村内氏の創業(築城)を経て、
左入城は生きていると思いました。

黒御影の立派な石碑(高いゾ~)です。
ピカピカで反射しちゃって読みにくい。
(従業員が拭いているんだろうな)
サトちゃんやニトリや俺も写ってるし。
下に碑文を転写しました。

左入城跡
往古この地に左入城があった
中丸淡路守の居城であったと伝えられている
左入城は東西約四百m、南北百七十五mの卵形をなし、東南及び西に幅四〜五十m、深さ約九mの空堀を巡らして、周囲は凡そ二千mに及び、西南に鵯(ひよどり)山を望み、北に谷萩川を帯びた要害の城塞であったと古老の口碑により伝えられてきた
また、これより西方五百mの所に淡路守居城の折、調馬の用に供した馬場の址がある
尚、近年発見された、伊能忠敬の日本地図にも この地を「左入村中丸」、馬場の址を「左入村馬場谷戸」と明記されている
右の史実を後世に伝えるために、この碑を建てる
平成十七年五月
 村内家第十七代当主 村内道昌

この石碑のおかげで、
こういう城跡もありだな・・・と思える。
ムラウチは現代の戦の城ともいえるかな。
なんて、ハイボールを飲みながら・・・!

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