近くで木造住宅の耐震改修工事に関わっていて、以前から館跡が気になっていました。
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ネット地図では上記の位置に館跡が表記されていますが、
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実際は少し東側の十字の辺りが残存遺構?のような気がする・・・と現地を見て思えてきましたが・・・どうでしょう?
数日前に、菅生氏館跡で検索すると必ず出てくる正勝神社にお参りしておりまして、
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現地案内板によると、(前略)元暦年間(1184-1185)に当地に居住せじ武蔵七党中の横山党より出でし菅生次郎経孝と称する豪族の嫡子菅生太郎有孝の祈願所でした(後略)・・・当時はもう少し奥地に・・・とのことでした。
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5/18の14:30頃、菅生太郎有孝と菅生次郎経久の兄弟塚の伝説地に立ち寄ってから、
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14:40頃に菅生氏館跡とネット地図に表記されている地点の10m北側(笑)に到着しました。向こうに見える山が国土地理院地図上の十字地点になります。
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山の南斜面の遊歩道?を少し歩いてみると、雰囲気は空堀(縦堀)跡なんですけどね(笑)。
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国土地理院地図上の十字地点にある受水槽のある丘は、館の郭(曲輪)跡のひとつだったら嬉しいんだけどなぁ~と・・・。
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受水槽のある丘に続く土塁状の尾根ラインを、丘の東から西向きに見る。
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右側は受水槽のある丘で、土塁状の尾根ラインを、丘の東から南東向きに見る。
時の流れで左側は墓地で大規模に造成されていますが、右側の土塁状の尾根ラインがもしも館跡の遺構であったとするなら、とても嬉しいんだけどなぁ~・・・観光資源にもなるし・・・と思ったのですが、真実はいかに?
帰途に、館跡東方のR411の東側(国土地理院地図の卍マーク)の菅生氏の菩提寺とされる福泉寺に寄ってみましたが、
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裏の墓地にあるらしい菅生太郎の子孫の墓とされる自然石二基と地蔵菩薩一基は、よくわかりませんでした。
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鎌倉時代から室町時代の板碑が所蔵されているそうです。