6/2、金子十郎家忠館跡を訪れた帰途に、お弁当屋さんに寄って家族の弁当を注文したら、混雑で受け取りまで時間がかかるので、待ち時間に近くの史跡を検索してみることに。
間坂(羽村市羽中と羽加美の境)は、家から近くて何度も通ったことはありますが、坂の由来は全く知りませんでした。検索で三田氏と小宮氏の名前が出てきて、思わず食いついてしまった次第です(笑)。奥多摩街道の交差点名にもあるので、割と知られた坂かも知れません。
間の坂 沢の坂
この坂は、中世の豪族三田氏と小宮氏が、領地の境としたところから「あいのさか」と呼ばれ、後に「まざか」と呼び、間坂集落の地名になったといわれています。坂の下は白木・宮ノ下など羽村でも古い集落で坂を登りつめた段丘上は「天竺」と呼ばれる珍しい地名の所です。
またこの坂を「沢の坂」とも呼び、沢の石垣からはいつも清水が湧いていて、カニやイモリがいたり、ドジョウものぼってくる沢でした。
春祭りになると山車を引き上げる木やりの声をひときわ高く張り上げる坂で、手車の時代には、田んぼや水車場への往復や、製糸工場への荷車の上り下りに、苦労の多かった坂でもありました。
平成五年三月 羽村市教育委員会
カニ、イモリ、ドジョウが過去形のようですが、今はどうなんだろう・・・?