お好きでしょ

時々、仕事で新橋に行きます。

新橋駅前のご挨拶の三点セット、

C11 井川遥さん 競輪GIRLに癒されて。

渋谷にも行ったり。

センター街の中ほどにある宇田川派出所。

1985年竣工の斧がモチーフになってる、

鈴木エドワード氏の設計で有名な交番。

懐かしいなぁ~。久しぶりに観たよ。

学生の頃に観に来たっけなぁ~。

小屋の要素もあってユニークで面白いね。

エドワード氏のご冥福をお祈りします。

渋谷のハチ公口も激変だよね。

でも、勢いがあっていいかも。

人も街も変わりゆくのが時代だよね。

で、忘れられた一角に古き良きものが。

老兵は去りゆくもの。

されど、老いてなお盛ん。

いいんじゃない!楽しみましょう。

なんてね。

十割蕎麦 谷戸城跡 大冠

8/25

近頃は日本酒にはまっています。

そんなわけで、たまにはウィスキーの里にでも行ってみようと(笑)、サントリーの白州蒸溜所にダメもとで予約なしで行ってみたが、今のシーズンは予約なしではやっぱりダメでした(笑)。ほほ~、ハプニ~ング、いいね!

で、お腹もすいたし、どっかないかなと見渡すと、お蕎麦屋さんの看板が!よし、行ってみよ~!

12:00少し前頃、到着。

十割蕎麦と天ぷらのセットを注文、前金です。美味しい。写真撮るの忘れた~。

店内に写真パネルがあって、なんと道向かいは武田四天王の馬場信春のゆかりの地であるらしい。

馬場信春の旧名は、教来石(きょうらいし)景政とのことで、通称は民部少輔→美濃守→鬼美濃となったようです。馬場といったら美濃守って感じですよね。武田の騎馬軍団で最強ってイメージです。

馬場信治(教来石民部)さんの館(鳥原屋敷)跡とのことです。

残念ながら、遺跡調査中のようで立入禁止になっていました。わくわくするね。

近場で何処か城跡はないかなと検索すると、たくさん出てきたので、そのうちのひとつ、谷戸城跡(山梨県北杜市大泉町谷戸)へ行ってみることに。

13:00頃に到着・・・暑い~。

城跡南麓の駐車場(上記の現在地)から搦め手虎口に向って歩きます。南を見渡すと田園風景が美しいです。この地域一帯が城跡です。

六の郭の東を抜けて、北西の大手虎口側から西帯郭→帯郭→二の郭から、

兵どもが夢の跡、谷戸城一の郭です。城兵は何処へ・・・。

パワーをもらいましょう。そんな気になります。生きるって大変だ。

城跡北西にある北杜市考古資料館に立ち寄ります。

城跡の全容がよくわかりますね。

資料館の楽しみのひとつに入手できる城跡の資料があります。「谷戸城跡」「北杜の戦国時代」「棒道の本」の三冊を入手(有料)しました。読むのが楽しみです。

谷戸城跡を後にして、近場の酒蔵を探すも・・・日曜はお休みばかりで・・・小さな酒屋も・・・というか普通のお店自体もなくて・・・山梨というか北杜というか、更に夜はいい感じでしょうね。であるなら、出来ることなら、隠れ家が欲しいところです。

仕方なく、帰路に寄った 道の駅しらね で、地酒の大冠の吟醸系は売り切れなので本醸造の四合瓶を買いました。飲むのが楽しみですね。どうかな。キレイに売れ残ってたけど(笑)。

行き当たりばったりも、臨機応変が楽しいもんだよ。

明白院 山門

仕事の現場の近くに、日向和田の館(館)の城の城跡がある。もう何年も前に行ったきりですが、近くのお寺に家臣の屋敷の門が移築されているというので、現場からの帰りに寄ってみました。

車窓から探しながら、山門が視界に入ってきたときは、そこだけ時空が異なっているようで、お寺の山門としては小さな規模だと思いますが、その存在感はとても大きなものでした。

三田氏といえば、この地域の在地領主で、戦国時代に上杉謙信の側についたまま徹底抗戦し、ついには八王子の滝山城主となった北条氏照の軍勢に敗れ去ってしまったのですよね。

その遺臣の野口氏(松月良永・1629寂)がお寺さんの開基となったということで、三田氏⇒北条氏⇒豊臣氏⇒徳川氏と移り変わる激動の時代が伝わってくるようです。

山門は、館(楯)の城跡にあった田辺宇太夫屋敷の門を移築したとのことで、当時の貴重な古構を今に伝えているようです。

400年の長きにわたって人々の営みを見守ってきた山門です。柱や梁には時の風化が黒く年輪の皺となり、厳しくも優しくお寺を守りながら道行く人々を見ているようでした。

いつまでも大切に。

多摩の某所にて

昭和40年代新築の住宅を耐震診断の後、

耐震改修にて筋交いを増設しています。

筋交での土台の浮き上がりを防止する為、

適材適所に金物を増設しています。

旧い建物を大切に引き継いで更新する。

それもひとつのエコロジーですよね。

住宅ストックを活用して更新して使う。

建物も乗り物も楽しみながら使い続ける。

新しいものにはない豊かさがあると思う。

唐沢山城跡 相沢酒造 佐野城跡を巡る🚘

6/23 今日はクルマでの移動です。

10:40、栃木県佐野市の唐沢山城跡に到着。

越後から三国峠を越えて関東へ押し寄せる当時最強クラスの戦国大名、上杉謙信の軍勢に10回も攻められた城というのは凄い。

上杉と北条に挟まれて、佐野氏や領民は大変だったよね。

上杉謙信がやってきたといっても、遊びでなく、城攻めに来るわけで、唐沢山城の堅固さが際立ちます。

しかし城下の領民にとっては、家屋や田畑は灰塵に帰し、捕まれば拉致や生命の危険の憂き目にあい、それが毎年繰り返されたのですから・・・戦国時代とはそういう時代とはいえ、生きるのは厳しかっただろうな。

城は領民の避難所でもあったのでしょうね。

①の駐車場から入る。③の井戸は山城としては貴重だね。枯れたことがないそうです。しかし城が大きい。小さい山城が好きな僕には手に余る規模です。

④の四つ目堀を渡り、三の丸、二の丸を左に見上げながら、大手道を登ってゆきます。⑥の南城側から本丸に登ります。関東には珍しい戦国時代の高石垣が圧巻です。重機もない時代に人力・牛力・馬力で・・・頭が下がります。

本丸から大手道や二の丸を見下ろす。荒々しい石垣が美しい。

本丸から南方を見る。晴れていれば江戸(東京)が望めるそうです。

まさに唐沢山城は要害ですね。凄い城だ。いろいろな由来やら伝承やらがあるので、興味のある方は是非どうぞ。上杉謙信が10回も攻めあぐねた名城です。

唐沢山神社の社務所で、『戦国 唐沢山城 武士たちの夢の跡(著者:出井博)』という本を買いました。読むのが楽しみです。

12:10、佐野ラーメンが食べたくて、佐野市堀米町の らーめん文 さんへ。

チャーシューメンをいただきました。手打ちの腰のある縮れ麺と柔らかいチャーシューとスープがとても美味しかったです。お店は混んでいて活気があり繁盛していました。

13:10、佐野市堀米町の相沢酒造さんへ。

休業日の札が出ていましたが、店の戸が開いていて、声を掛けてみたら蔵元さんが出てこられて、愛乃澤 純米吟醸 純 720㎖ を買うことができました。飲むのが楽しみです。

13:40、佐野市若松町にある佐野城跡へ。

わずか十数年で佐野氏は改易、城も廃城とは、厳しい時代ですね。

元々、古墳があって、佐野厄除け大師の惣宗寺があった場所だそうです。

二の丸や本丸西側の土塁、本丸と二の丸や北出丸の間の空堀が見所です。

改易された佐野氏は幕府旗本として代々続いたそうです。廃城後の城下町のその後の発展や領民の暮らしを知りたいのですが、又の機会にしたいと思います。

今井城跡 五十嵐酒造 大河原城跡を巡る散走

6/2

9:24 に家を出る。天気は曇り。陽射しは強くなく助かる~。

先日登城した青梅 藤橋の藤橋城跡の望遠を撮る為、藤橋城跡北側の霞川沿いへ寄り道します。

撮影の後(藤橋城跡の記事に追加しました)、僕が19歳から数年間住んでいた懐かしい青梅市今井の住宅街(人手に渡った元我が家は今も健在でした!お久しぶりね~😢)を抜けていきます。

そこからスイスイと東に走って、10:08 青梅 今井の今井城跡へ。

空堀がいい感じですね。往時はより高く深く急斜面だったことでしょう。

登城しました、

主郭は除草され開けていますが、樹木が生い茂り眺望はききません。

朽ちたお社がありました。

今井城跡を南側から望遠します。

小さいお城ですが、往時は地域にとって大切なお城だったことでしょう。歴史に埋もれた庶民の暮らしに、在地の今井氏の栄枯盛衰に想いを馳せます。

今井城跡を後にして、八高線沿いを北上します。金子から入間川への下り坂がとても気持ちいいです。落下物や路面コンディションには注意しましょう。気を抜かずにね!

10:47 飯能 市川寺の五十嵐酒造に到着。

おいしそうなお酒がたくさん並んでいて迷うけど、ベーシックなものを。天覧山 本醸造 の 四合瓶を購入。それと『天覧山』のロゴが入ったぐい吞みもひとつ!飲むのが楽しみだなぁ。

近くの城跡を検索すると、大河原城跡がヒットしました。向かうことにします。

なんか素敵な建物だね。お店かな。いい感じ。

三角屋根の連棟がいいね。軒先に樋がなくてシャープ。きっと二階はお洒落だぞ・・・と想像してみる。

入間川沿いを走ってきたつもりが、徐々に川から離れてる感じで・・・道は広く長い登り坂になってエッチラオッチラ・・・???、停まって位置を確認すると、なにここ・・・間違ってるし(笑)。

せっかく登ってきたんだから、そのまま登って飯能市クリーンセンター前の大きな十字路を右折北上・・・ふ~。

サインアーテックという会社の前で除草ヤギさん発見。かわいい。呼んだらすぐ脇まで来るし!除草ヤギを放つとは、なんていい会社なんだ。斜面の除草はヤギさんがいい。癒されます。ありがとう。会社の最強の広報係なんじゃないかな。道を間違えなかったら出会えなかったよ。

名残り惜しくもヤギさんとお別れして出発!

シューっと下り坂を疾駆します。いやはや気持ちいい。坂道を登った甲斐があるよ。分岐路にお地蔵さんが!ここを右だ!導かれました。ありがとうございます。

お、あの山の辺りだな・・・、

11:52 飯能 大河原 の大河原城跡を望む。

牛乳屋さんの店員さんに城跡の登り口を訊くと、すぐそこの会館のところから登れますよと教えていただきました。ありがとうございます。早速会館へ!

案内板によると

八耳堂

軍茶利神社

大河原城 館跡地

登山道を登ります。たぶん登山道で、登城路ではないとは思うけど。

龍崖山山頂の大河原城跡の主郭に登城しました。軽登山の大先輩の団体さんが15人ぐらいいて、賑やかでしたよ~。

主郭南側の堀切

有志により程よく手入れをされたよい山城ですね。現在は軽登山を楽しむ方々の憩いの山として、愛されている城跡でした。城跡ということを知らない方々も多いことでしょう。街も建物も城跡も、人の活気って大切ですね。下山にて先程の大先輩の団体さんに追いついたら、「急行さんが来たから譲って~」と号令をかけてくれ、道を空けてくださいました。ありがとうございます。山っていいね。

大河原城跡を後にして、飯能市街に向かいます。吾妻渓が美しい。バーベキューが楽しそう!

途中、飯能市博物館に寄って、大河原城跡の資料を入手する。

飯能市街に立つ美しい銅像の前で呼び止められる・・・美しい。瀬音というタイトルで制作者として T.SATO の刻印がありました。女性の銅像ではあまり停まらないのだけれど、美しさに停まっちゃいましたよ。いい作品だね。

13:40 東飯能駅に到着。愛機を折りたたんで輪行バックに収納します。

西武線の特急電車が通過したけど、銀色のニョロニョロみたいな妙なデザインだった(笑)。なにあれ。ん~時代か・・・。

14:06発のJR八高線 八王子行きに乗ります。

14:24 東福生駅で電車を降りる。

愛機を輪行バックから展開して、走り出します。

14:48 帰宅しました。この頃は毎晩の日本酒効果?なのか(笑)体調もいいし、毎日漕いでる成果も若干あるのか?上り坂も下り坂も楽しいね。

少し蒸したけど、曇り空で陽射しが優しくて身体的には助かりました。

34㌔ほど走りました。

乗機は、小さい銀河号 (BS スニーカーライト SNL163)でした。

また走ろう!

藤橋城跡 長澤酒造 田波目城跡 毛呂氏館跡 高取城跡を巡る散走

5/18

酒蔵に行こう。城跡に行こう。

埼玉方面だね。

9:42に自宅を出発。

走りながら沿線気になるウォッチング。

折りたたみ自転車の楽しみのひとつです。

なかなか、とんがってる家だね~。

シンプルなファサードと植栽が美しいね。

10:25頃、青梅 藤橋の藤橋城跡に到着。

登城しました。城跡内の案内板によると、

土塁が残る。城とは土で成るものなり。

北方の眼下を見下ろす。

沸々と血が沸き立つような気が・・・。

戦国時代に想いを馳せる。

小さい城だけれど、立派なものだね。

北方の霞川沿いから藤橋城跡を望遠する(6/2写真追加)。

城を後にする。岩蔵街道を北に向かう。

下り坂を調子よく走っていたら、後ろから徐々に並走してきた乗用車に幅寄せされ端に追いやられたら目の前に陥没穴が迫る!・・・ギリギリ回避、頭に血が上る!!!抗議しようと力走するも追いつけず・・・腹立つ~、危なかったです。走りながら心を静めます。冷静に冷静に。追いつかなくて良かったんだよ。その日一日台無しになるところだったかも。まだまだじゃのぉ僕も・・・。

広い通りを素直に進むだけでなく、気になる裏道に入ってみたり、普通ではまず通らないような縁もゆかりもない初めて通る細道も、僕の自転車の楽しみのひとつですね。

岩井堂橋から成木川の渓谷を見る。

西武池袋線の飯能駅を過ぎた辺り、いい感じの建物が。2013年に70年の歴史があった工場が移転し、2016年にクリエイターの集まるシェアアトリエとしてリノベーションされたとのことです。

思わず笑みがこぼれた可愛い家。

11:25頃、7-11飯能駅北口店で、缶コーヒー・コッペパン玉子・ツナマヨ手巻寿司を買って休憩。納豆巻きが売れ残ってるね・・・ツナマヨ増やして(笑)!

11:40頃、北に向かう。

八高通りの中居の交差点。いい感じのお寺が見えてきたので寄ってみよう。

曹洞宗の宝蔵寺というお寺さんで、綺麗な本堂だね。お寺の裏山の第二天覧山が気になる・・・。

北側の採光と換気を考えてる居宅兼工場。

上の写真の建物と続いている工場のこれぞハイサイド採光。

かかし効果(笑)?

飯能寄居線を北に進みます。

トーベ・ヤンソンに敬意を表して。

東飯能~高麗川駅間にある八高線事故慰霊碑。事故は1947.2.25 7:50 に起きた。カーブを曲がり切れなかった客車三両が脱線転覆。死者184人・重軽傷者570人という日本鉄道史上で最大規模の惨事だったとのことです。手を合わせました。

高麗川の四季の菓子工房シャロンという洋菓子屋さん。素敵な建物ですね。

「素敵なお庭と建物ですね 写真を撮らせてください」とお願いして撮らせていただきました「あら やだよ~(笑)」って照れ笑いしている大先輩のご婦人とお洒落な作業着も素敵です。

展示場のログハウス。シャープな屋根がいいね。

12:40頃、日高 北平沢の長澤酒造 君が旗 高麗王 醸造元に到着。

おいしそうなお酒がたくさん並んでいるけれど、まずはベーシックなもので、高麗王純米酒 の 四合瓶を購入(一升瓶を背負って走るのもなんなので)。飲むのが楽しみだなぁ。

12:55頃、出発。近くの城跡に行ってみよう!

高麗川橋から八高線の橋梁を望む。架線がありません。スッキリ。

高麗川沿いを北上し、法雲寺横を抜けて、高麗川左岸の断崖の激坂を登る(途中から押し歩き)。

13:15頃、坂戸 西坂戸の田波目(田和目)城跡に到着。

北側から登城?のような方位左の谷状地を通ってアプローチする。

登城しました。鬱蒼と茂り、兵どもが夢の跡、眺望はまったくきかず。

主郭のなかを通り、北東部に出て、田波目城跡を後に北上します。

かわいい門扉周りの飾りつけですね。癒されます。

シャープで深く低い軒先が美しい屋根ですね。アプローチも美しい。

八高線の踏切(踏切からはみ出てないです)。架線がなくてスッキリ。

沿道の花が美しくて。

13:55頃、毛呂山 小田谷鳳谷の毛呂氏館跡に到着。城主の毛呂氏開基の長栄寺の境内となります。お寺さんに手を合わせてから登城開始。

ため池を望む。急坂につきペダルをガードレールに引っ掛けて駐機しています。

境内の案内板より。

登城しました。城跡は倒木で荒れています。

一応、山頂も目指しましたが、半袖半ズボンのサイクルウェアで、草木が生い茂った巨木も倒れる惨状に立ち入るのは危険と判断し、断念しました。貴重な文化遺産なのでせめてもう少し整備してほしいですね。城跡ファンを集めて有志のボランティアで少しづつ整備してはと思いました。

城跡を後にして、北上します。

越生郵便局の窓ガラスに映った僕。

越生の山間の坂道をエッチラオッチラ登る。舗装路は行き止まり、道は土の登山道へ・・。仕方なく愛機を置いて、徒歩で山道をテクテク登る。

14:50頃、越生の高取城跡に登城しました。土塁が美しいですね。

主曲輪は越生神社奥宮となっており、よく除草されています。

石の祠が時の流れを感じさせます。

外側の樹々が生い茂り、眺望はききませんが、これはこれでよいのかも知れません。

駅前の観光協会で入手した「おごせの文化財・越生町教育委員会」によると、(P5~6)

関東平野を望む標高170mの頂上が平らに削られ、土塁や空堀で画された数段の郭(曲輪)の跡がのこされている。(中略)『新編武蔵風土寄稿』には、「越生四郎左衛門屋敷跡 村の西にあり、上り二町許の山丘にして、平地の処は僅か二十間四方もあるべし、古は要害山と唱えし由、今はとなへ誤りて、りふかひ山といへり、山の四辺は大抵松杉の類、雑木茂りて屋敷の跡たるさまおもひやられる」とある。越生四郎左衛門は、南朝の総大将北畠顕家を討ち取るという抜群の戦功を挙げた(中略)。この城の築城者や城主は不明であるが、織物会館付近一帯と伝えられている越生氏の館跡との関係を考えると、館の背後に、有事の際の備えとして築かれた「物見の砦」や「詰めの城」である可能性がある。

とのことでした。

城をあとにします。

15:35頃、JR越生駅に到着。

八高線の発車時刻まで30分ほどあり(一時間に一本)、小腹が空いたので駅前の商店で(レジ手打ち)ちちぶメロンサイダー と チョコバナナロールを買って食べました。意外といけました!

お~、二両編成のワンマン気動車(ディーゼルカー)がやってきました。令和Tシャツを着たカワイイ男の子を抱いたままスマホで列車を撮影しているお父さんがいいですね。

列車は定刻の16:12に発車。高麗川で電車に乗り換えて、東福生駅で降ります。

輪行袋をたたんで仕舞って、のんび~りと巡航し、17:25頃に帰宅しました。

酒造所を1蔵 と 城跡を4城 巡ったポタリングとなりました。

46㌔程 走りました。面白かった~。

乗機は、小さい銀河号 (Dwarf galaxy号・BS スニーカーライト SNL163)でした。

前川國男邸復元工事報告書

前川國男邸復元工事報告書
編集:江戸東京たてもの園
発行1999/3

建築家の前川國男さん(1905-1986)設計の建物で、僕はこの前川國男邸が一番好きです。

大昔、二十歳そこそこの頃に雑誌かなにかでモノクロの写真で初めて見たときに、飛行機の格納庫みたいでかっこいいな~というのが第一印象。

それ以来、僕にとってはカッコイイ格納庫建築なんです。

建築家の清家清さん(1918-2005)曰く、「住宅は生活の格納庫」とテレビ番組かなにかでおっしゃられていたのも僕にとって影響していると思いますが、前川國男邸=格納庫なんです(すいません)。

江戸東京博物館で実際に建物に入ったとき、明治村のフランクロイドライトさん設計の旧帝国ホテルの玄関に入ったときのような感動を体験しました。凄い建物だ・・・と、固まってしまいました。そしてやはりこれは格納庫だと、それもとびきりの。

正しく建築を勉強された方からはお叱りの言葉をいただきそうですが・・・。

建物見学をされていた一般の年配のご婦人が「なんて素敵な建物なの~!」って感動されていましたが、まったくもってその通りだと。

本文中、建築家の大谷幸夫さん(1924-2013)が、座談会のなかで、「この建物が傑作なのは、前川先生が、この建物を三浦美代さん(妻)に捧げようとしたからだ。」(P80)とあったけど、とても素敵なエピソードですね。

(2019 年の23冊目)