相原から上和田城山サイクリング

2/25

折りたたんだ状態の愛機 Dwarf galaxy 号 を玄関先に出す。

快晴とはいえないが、予報通りの曇り空。雨は大丈夫だろう。展開して 10:20 頃に出発する。

羽村駅で愛機を折りたたみ、輪行袋に収納、JR青梅線、拝島駅からJR八高線、八王子駅からJR横浜線と乗り継ぎ、相原駅で電車を降りる。

11:40 頃、開札を出たところで愛機を輪行袋から出して展開、

11:45頃、出発します。

駅前から南下して、小さな古い橋を渡ります。境川です。

2016/12/18 に 友人の俊敏さんと走った 高尾 > 江の島 > 茅ヶ崎 サイクリング以来の道です。少し懐かしいですね。旧 – Ver.34’s report – (FC2) に掲載しています。

基本的に右岸の住宅街の曲がりくねった一般道を境川沿いに下る道です。基本的に右岸と書いたのは、川沿いでなるべく舗装路を選んで時々右往左往を楽しんでいたので、割とテキトーなんです。

右岸沿いの橋本五丁目のファミマで飲み物と軽く補給食を購入。

12:30頃、右岸沿いの路地で、神社の門前を通ります。

横山党は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、武蔵国多摩郡横山荘を中心として、武蔵国および相模国北部に割拠した同族的武士団である。武蔵七党の一つ。
矢部城(矢部氏館)は、鎌倉時代に横山党の一員であった矢部義兼がつくったものとされる日本の城。現在の神奈川県相模原市中央区上矢部にあたる。
矢部義兼は1213年の和田合戦で戦死してしまう。享年67といわれている。
(Wikipediaより)

矢部城(矢部氏館)には、いつか探索に行きたいですね。

12:45 頃、右岸沿いの親水広場で小休止。

 

12:55 頃、鹿嶋神社の崖下を通ると横穴が・・・防空壕の跡でしょうか。近寄って覗いてみると、安全の為か半ば埋めてありました。

 

13:35 頃、東急田園都市線そばの水道橋のアーチ。

14:15 頃、第一目的地の仕事関係先に到着、補足調査を済まします。

14:50 頃、大和市上和田 境川右岸沿いの 上和田城山 に到着。

地形の凹凸が城の遺構の名残りに思えて、静かなる興奮を覚えます。

防御の空堀りが道に・・・そもそも道が空堀・・・想像が膨らみます。

この段々は、昔はもっと急峻で高く、敵兵の侵入を阻んだのではと。

今は つわものどもが ゆめのあと 小さな緑のお山となっています。

桜ヶ丘駅前に案内板があり、上和田城山が出ています。

和田 義盛は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将・御家人。初代侍所別当。三浦氏の一族で源頼朝の挙兵に参加。鎌倉に頼朝の初期武家政権がつくられると初代侍所別当に任じられる。治承・寿永の乱では源範頼の軍奉行となり、山陽道を遠征し九州に渡り、平家の背後を遮断した。平家滅亡後は奥州合戦に従軍して武功を立てた。頼朝の死後、梶原景時の変での景時弾劾追放では中心的な役割を果たし、比企能員の変や畠山重忠の乱などの御家人の乱では北条氏に与した。しかし、2代執権・北条義時の挑発を受けて挙兵に追い込まれ、幕府軍を相手に鎌倉で戦うが敗死し、和田一族も滅亡した(和田合戦)。(Wikipediaより)

ちなみにその和田合戦で、先程立ち寄った御嶽神社を創建した矢部義兼も戦死しているとのことでしたね。

城からは、小さい城からは特に、人々の営みや栄枯盛衰の息吹、出会いと別れ、歴史の濁流に流されときに抗い翻弄される人々の、腑に落とした躍動や慈哀を感じます。

15:40 頃、桜ヶ丘駅に到着。小田急江ノ島線ですね!

疲れたので、
電車に乗って、帰ることにします(笑)。
小さい自転車って面白いですね!

走行距離はだいたい 31キロ ぐらいでした。

君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか

著者:吉野源三郎 発行:2017/8(1937/7) マガジンハウス

よいことがたくさん書いてありました。

どういうところに感銘を受けたか、たくさんここに書いたのですが、

変なトコ押して、消えちゃいました・・・・・・・・・・・・・・・。

だから、書かないでおきます。でも、みなさん、一読をお勧めします。

面白いし、ハラハラするし、胸に手を当ててみて心苦しくもなります。

なんで苦しいのか、みんな覚えがある筈です。臆病で卑怯な自分に。

マンガ版も読んでみようかな。表紙絵の方が漫画を描いてるそうです。

(2018年の11冊目)

2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望

2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望

著者:沖田臥竜 発行:2017/08 サイゾー

読んでいて、胸にぐっときたところ

 だが、学生時代からの同級生や同じ不良グループ仲間からは、いつまでたっても織田代表は英雄なのだろう。それは、織田代表の生粋の若い衆にとってもそうなのではないか。そこには是非ではない。侠としての魅力と、生き様への魅了があるからだ。(P101)

 「必要悪」などという陳腐な言葉で正当化するつもりはないが、ヤクザ排除の弊害が出ているのが現実であろう。(中略)問題は、ヤクザの果たしていた代わりを果たす機構が不在なことだろう。(P187)

(2018年の10冊目)

Dwarf galaxy 号 タイヤ交換

BS SNEAKER LIGHT SNL163 のタイヤは 16 × 1.50 で英式 バルブ。
これを、16 × 1.35 の仏式 バルブ の タイヤ に交換いたしました。

バルブの英式から仏式への変更で空気圧の調整が容易に、
タイヤを細く空気圧を高圧とすることで巡航速度のアップを、
空気入れを Micro Air Booster が使用できるよう、考えました。

タイヤ周長が若干小さくなったこと、乗り心地が硬くなることなど、
デメリットもあるかと思いますが、楽しく試してみたいと思います。

タイヤが細くなって、精悍さが増したと思います。カッコイイです。

PRIMO COMET 16 × 1.35

細いタイヤがカッコイイなんて、車やオートバイとは逆ですよね~。
で、その自転車からの影響なのか、僕は、
車やオートバイも細いタイヤが好きになってきたのが面白いところ。

そうそう、

小さい 自転車 って 面白いね~!

川崎京町へサイクリング

2/17

前夜は01:00頃帰宅。
風呂に入って食事して準備してたらもう02:30。
久しぶりのサイクリング的な走りで、思いのほか準備に時間がかかる。

翌朝は少し早起きする予定が起きられず。日頃の睡眠不足の影響。
仕事のスイッチが切れると、一週間の睡眠不足を補う流れに。
約束や重要事ではビシッと起きますが、フラリ単独行で気が緩んでる。
7時間30分程の睡眠の後に、10時頃に起床。よく寝た!

黒のパールイズミのサイクルパンツ&ウィンドブレーカーを着込む。
Dwarf galaxy 号 ( BS SNEAKER LIGHT SNL163 ) 11:20 に出発。
走っていて、何か足りない気がする・・・。
何だろう・・・あっ、ヘッドライトを忘れてきちゃった。
引き返して装着後、11:25 に再出発!

12:25
多摩川左岸の国立のあたりで、貨物列車の車掌車が置いてある。
今まで知らなかったよ。なんで気付かなかったのだろう。不思議だ。
この型の車掌車について調べてみる。

国鉄ヨ8000形貨車。
国鉄が1974年から1979年までに製造した事業用貨車(車掌車)。
1,170両が製作された。
1986年に貨物列車の車掌乗務が原則廃止され、本来の用途を喪失。
室内設備は、照明蛍光灯化、暖房石油ストーブ化、便所設置。
最高速度85km/h。
1987年4月の国鉄分割民営化では一部がJRに継承。
わずかながら現在でも使用。
2009年の在籍は、JR東日本2両、JR西日本1両、JR九州1両、JR貨物22両。
2016年JR西日本1両が東武鉄道に譲渡、JR旅客6社から配置が無くなる。

というような車両らしい。かっこいいなぁ。
そういえば、建築家の清家清氏の自宅敷地に車掌車が置いてあって、
車内で氏が鉄道員の帽子をかぶって、鉄道模型を走らせているところが、
昔テレビで放送されていたっけなぁ。
氏が走らせると高尚な趣味、僕が走らせると幼稚な大人の趣味・・・。
って、思ったもんです(笑)。しかし清家先生ってカッコよかったなぁ。

13:10 多摩川左岸 調布の 二ヶ領上河原堰堤付近。

走り出してしばらくすると、
我が愛機と同型のに追いつく → 抜く → 数分後振り返ると後ろに!
したらペースを上げてきて、抜いていった。おおっ、いい漕ぎだね!
でも、疲れちゃったのかな?追いついちゃったのでまた抜くと →
またまた抜きかえしてきた!おっちゃん(俺もか)、やるじゃん!
僕は一定のペース、相手は波がある、面白い、少しペースを上げる。
はぁはぁひぃひぃ おっさん同士の地を這う低次元のバトルが始まる。
よ~し、ぶっちぎってやったぜ~( どっか曲がっただけかもね )。
偶然にも同型とランデブーできるなんて、とても楽しかったよ。

14:00 多摩川右岸 川崎市高津区宇奈根のあたり

遠方のビル群は二子玉川。

14:20 多摩川右岸 川崎市中原区 東急東横線 多摩川橋梁 上流側。
日本初の常設サーキットといわれる 多摩川スピードウェイ 跡地。
1936年につくられた グランドスタンド の段々が今も残っている。

ここでは書かないが、多摩川スピードウェイ で検索すると面白いよ!
グランドスタンド跡は、史跡として、後世に残してほしいですね。

国道1号の第二京浜で再び左岸に戻って、のんびりサイクリング日和。
水面を押し分け飛沫を上げて進む釣り船が、のどかでいい感じだね。
六郷橋を渡って川崎市内へ。

道向かいの堀之内を眺めながら進む。(^◇^)

15:20 目的地の京町に到着。自宅から約54キロ、実質3.5Hの行程。

現地でしばし調査確認の後、16:05 川崎新町駅に到着。
愛機を折りたたんで輪行袋に収納して、電車で帰ることにします。

小さい 自転車 って 面白いね~!

こんな、お気楽なサイクリング的な走りでした。55キロ走りました。

 

バレンタインチョコ

小娘さんからバレンタインということで、手作りチョコをゲット!
作る前から、「お父さんにもチョコちょーだいね~」のアピール!
「あまったらね~」のお返事でしたが、なんとか余りました(笑)!
このやり取りがね~、楽しいんです。失敗作でも、余りものでも、
一粒千円の高級チョコよりも、娘の作ったチョコのほうが美味いね。

ひよこちゃんポーチ

お昼時のコンビニで、カップラーメンの陳列棚に何気に目をやると、
ひよこちゃんポーチが箱にはまってかわいく並んでいるではないか!
なになに、チキンラーメンを二つ買うと、貰えるって書いてあるう!
ひよこちゃんポーチ、欲っしいぃ~~~~ということで、店員さんに
「これ、貰えるよね?」と念押しして、チキンラーメンを二つ購入!
日清さんの販促の術中にあえて飛び込んでみたよ!嬉しいじゃ~ん!

思い返すと黄色い小物に割と目がないような気がする。黄色が好き!
僕の職場では、缶コーヒーについていたC3POや、ひよこちゃん達に、
囲まれて、応援されているような、癒されているような気がします。

割と僕、お子様ですかね?アラフィフなんですけど。まぁいいか^^;

星空の 谷川俊太郎 質問箱

星空の 谷川俊太郎 質問箱

著者:谷川俊太郎
発行:2018/01
ほぼ日

表紙の美しさに一目ぼれ。
満天の星空が、見渡す限りに広がっている深夜の道は、夢の世界だ。
トンネルから抜け出た赤いトラックは、夢を運んでいるのだろうか。
世界のすべては質問からはじまる。
広い公園の芝生の上に寝転んで、お星さまに質問してみたいな。
少年のあの日の頃のように。
な~んて気にもなるってもんです。

 

読んでいて 心にぐっときた部分

質問8-答より まず「孤独死」というようなマスメディアが作ったコトバをココロから追い出してしまうことですね。人間はみなひとりで生まれてひとりで死ぬわけだから、孤独は死につきものです。死は万人に平等だと思っていれば、どんな死に方をしても人と一緒だと思いませんか?特別な死なんてないんです。(中略)もっと野放図に生きることを楽しむ方法を見つけてほしいなあ。(P29)

質問13-答より 悔いなく生きるには、すべてのことをそのときその場で、一所懸命に自分の能力いっぱいにやることだと思います。でもね、何一つ後悔せずに死ぬ人がいるとしたら、その人は聖人か極悪人のどっちかじゃないかなあ。(P41)

質問15-答より  なりたい大人が見つからなかったら、とりあえずいい大人、自分のことより、人のためになることを考える大人になろうとするのがいいと思う。そうするとね、顔も人に好かれるようないい顔になるんじゃないかなあ。(P49)

質問18-答より  あのね、理想ってのはあり得ないからこそ理想なんだよ。実現するはずのないことに向かってあせらず一歩一歩生きていく、その方向性にエネルギーがあるんだと思う。(P77)

質問30-答より あのね、自分の寂しさにかまけていると、寂しさはなくならないよ。そういうときは他人のために何かするんだ、ボランティアでもアルバイトでも。そうやって自分を他人とシャッフルして忙しくする。人間てエゴイストの一面もあるし、人のためになることが嬉しい一面もあるんだよ。(P83)

質問31 ぼくはおっぱいがだいすきです。おっぱいのなかにはしあわせがつまってるとおもいます。谷川さんはなにがはいっていると思いますか?(ともくん6歳)
谷川さんの答 ともくん、いいこと言うねえ!ぼくはおっぱいのなかには、しあわせといっしょに生きるちからがはいっていると思います。(P85)

(2018年の 8 冊目)

BEGIN ① ② ③

BEGIN ①
作:史村 翔 画:池上遼一 発行:2017/08 小学館
( 表紙裏より )
傾きかけた日本に点火する、憂国の極道×官僚 !!

BEGIN ②
作:史村 翔 画:池上遼一 発行:2017/08 小学館
( 表紙裏より )
とことん追い詰めねェと、人も国も変わらねェ !

BEGIN ③
作:史村 翔 画:池上遼一 発行:2017/12 小学館
( 表紙裏より )
これからの日本は、若い者を年寄りが背負うんだよ !

 

社会の問題を知るのに、漫画ってのは結構ありだなと、思うね。

 

(2018年の 5 ~ 7 冊目)