蒼い夜の狼たち

蒼い夜の狼たち
作 :寺崎美紅
絵 :玉川麻衣
発行:2022/1
出版:たばやま観光推進機構

先日、山梨の小菅城跡の帰り道、
道の駅たばやまで出会った絵本。
地域の狼伝承に由来しています。

山の神様の使いとして、
山間の里には山犬(日本狼)伝承があり、
御岳山や三峯山などが知られていますが、
丹波山の七ツ石山のお話しが本作品です。

日本狼は、
鹿や猪や猿などが里に出る前に捕食して、
里山の人々の農作物を守る山の神として、
人々に篤く信仰されていたのだそうです。

地域に残る素敵な伝承や物語、
深いブルーの蒼き狼の美しい雄姿。
道の駅たばやまでの素敵な出会いでした。

小菅城跡(山梨県小菅村)

5/28(日)、
11時45分頃に自宅を出発、
奥多摩湖畔で小休止して小菅村へ。

道中、懐かしい かどや旅館さん前にて。

13時30分頃に小菅城下に到着。
スカーレット号の駐機場所を探すと、
箭弓(やぎゅう)神社脇に場所があり。

有難いことに小菅城の案内板があり、
遺構の様子がわかるようになっています。
上の地図と比べると、
東西方向に新しい道が一本走っています。

まずは箭弓神社に参拝してから城内へ。

入口は神社北側に整備されています。
(少し風化で荒れていますが)
西斜面の山道を登ると、
自然地形を利用した小さな山城(砦)の
全容が徐々に伝わってくるようです。

図の一番西寄りの堀切。

図の中央左寄りの大きな堀切。

図の中央の堀切。右の斜面上が主曲輪。

北側帯状腰曲輪。右の斜面上が主曲輪。

東側帯状腰曲輪。左の斜面上が主曲輪。

南側帯状腰曲輪を登ると斜面上が主曲輪。
戦国時代当時は、斜面は急で堀切は深く、
上は板塀等で囲われ下は隠れ場所もなく、
上から準備された矢や石礫が降り注ぎ、
近づく敵には槍がエイヤと突き出され、
簡単に登れる場所ではあり得ず・・・。
僕なんか秒殺でしょうな ( ´艸`) 。

主曲輪には小さな祠が祭られていました。
参拝してから小さな山城で小休止です。

いつもの言わせて、「兵どもが夢の跡」。

破壊カ所から下って虎口を見下ろす。

虎口下より御屋敷跡の小学校を見下ろす。
城を南に出た所にも案内板がありました。

本来のお城の出入口はこちら方面でした。
(勝手口から入ったのが σ(゚∀゚ )オレ )
知らんかった_(_^_)_反省・・・。

小さな山城(砦)は全国に無数にあって、
多くが忘却の彼方に去ろうとしています。
小菅城跡の遺構は、有志の活動と研究で、
わかりやすく実に素晴らしい城跡でした。

復路、道の駅たばやまで小休止。
売店でこの地域の狼の絵本を買いました。

作 :寺崎美紅
絵 :玉川麻衣
発行:2022/1
出版:たばやま観光推進機構

読むのが楽しみな狼伝承の絵本です。

小学校の同窓会

2023年5月26日(金)
立川市立第九小学校1979年卒業
6年2組の同窓会が開催されました。

去年からKくん、Nさん、Fさん達が、
連絡のつかないクラスメートを繋いで、
クラス会グループラインに参加を募り、
途中から参加者も手伝って同窓生捜索。
卒業から44年経って、約6割が登録。

コロナの終息が伸びて、遅れましたが、
福井県在住の先生の東京来訪に合わせ、
金曜夜に開催されることになりました。

場所は
Lasymetrie立川という仏蘭西料理店。
通りからは小さな隠れ家的な店構えで、
そっと入ると素敵な空間が待ってました。
絶品の料理やワインを味わいながら、
卒業から44年ぶりの再会というのに、
夢のような懐かしい話に花が咲きました。
今回参加出来なかった人は是非次回に~!

前列の先生を囲んで(先生若いなぁ~)。
後列左から二番目が私 Ver.34 こと、
小学生当時のあだ名は マッチャキ 、
本名は、Takahashi masaaki です。
(先生は実名で、俺はHNじゃね・・・)

先生の著書である

子どもたちの夢と幸せをつくる「絆」
福井県のある小学校校長が語ったこと
著者:赤星昇
発行:2017/11
出版:文芸社

にサインをいただいちゃいました。

同窓生も入手本にサインを貰ってました。
更に先生から5冊提供でジャンケン大会!

同窓会の進行係を賜った小生でしたが、
失言や至らなさはご容赦いただきまして、
(途中からただの酔っ払い親父に・・・)
先生、Kくん、Nさん、Fさん、参加者、
参加出来なかった全員に感謝いたします。

角瓶

Suntory Whisky 角瓶

Old Parr だの FUJI だのと、
ちょっと高い(僕にとっては超高い)
ウィスキーがこのところ続きましたが、
いつもは こいつ で楽しく飲んでます。

この味で、このお値段、僕の幸せな週末!
角瓶さん、ありがとう。
唐揚げも欲しいかもね。

若洲風力発電施設

5/20、
あさイチでエブリイさんのオイル交換へ。
(5千キロ毎の)
いつもの車屋さんに作業をお願いします。
リフトアップしたら下廻りは割とキレイ。
なんか萌える(いい年齢して)光景です。
いやぁ・・・全く廉価なお車なんですが。
( ̄m ̄〃)ぷぷっ! 自慢度ゼロっす!
(むしろ下のリフトの方が凄い)

新車で3年3カ月で5万キロ余り・・・、
自家用の割にはよく走る方かなぁ・・・。
(車屋さんが大袈裟に驚くもんで)

帰宅後、
切抜き待ちの新聞の山の整理をしてたら、
そうそうあった、若洲公園の風力発電が、
来年度に撤去されちゃうんだったっけか。

壊した後は太陽光とは・・・残念だなぁ。
ひょいと出て来た(記事が)のは、
「観ておいでよ」「ユ~行っちゃいなよ」
と、幸運の女神様が言った気がしました。

今宵はいつもの所用がございまして、
24時30分に任務終了。(^O^)/
それからエブリイさんで、
夜のハイウェイを飛ばしまして、
(跳々~軽貨物~体感速度のみ~(笑))
夜景の綺麗な道中の東京港臨海道路より、
ジェイウィンド東京湾臨海風力発電所
東京風ぐるまの漆黒の回転に感動しつつ、
東京ゲートブリッジはお上りさん状態で、
25時30分に若洲公園付近に現着です!

でかぁ・・・もう見てるだけでドキドキ。
風力発電の風車は本当に格好いいと思う。
構造物として知的で力強く魅力的かなと。

残念ながら、今は稼働停止中なんですが、
先程稼働中の風力発電所を望遠できたし、
夜の巨大風車の回転を想像してみました。

スマホでズームしたら航空灯がピカッと。
ちょっと宇宙空間っぽい感じに見えます。
来年度の取壊し後に太陽光発電新設より、
僕的には風力発電を once again !
_(_^_)_ なんて思ってしまいました。

余談ですが、
反対車線でパトカーがじっとしています。
何やってんだろ(どっちがだよ)・・・。
( ´艸`)

27時にご帰宅・・・眠すぎだぁ・・・。
奥方様に「只今帰りました」と帰宅報告。
酒も飲まずに爆睡いたします。
(^.^)/~~~

江東区HPより若洲風力発電所の
スペックを転載させていただきました。

メーカー ノルデックス社(ドイツ)
定格(最大)出力 1,950kW
年間想定発電量  270万kWh
高さ       100m
ブレード(翼)の長さ 40m
発電し始める風速(カットイン風速)
         毎秒4m/s
定格出力で発電する風速
         風速12~25m/s

お手々カバー 三角点 プチ同窓会

5/6

ハンターさんのお手々カバー外しました。
ちょっと名残惜しいけど暑くてね。
で、今宵は飲み会だ~!
小作方面へ。本屋に寄ってみた。
単車倶楽部買ってみたら写ってないっす。
( ´艸`) そりゃそれでオッケー!
歩いてたら、ほ~、三角点標石とな~。

ありがたや~。

でその後は、プチ同窓会的な飲み会開始。

けっこ~飲んだぞ~。

又、やるぞ~。
参加者求む ( ´艸`) 。

奥多摩~宮ケ瀬~

5/5、
朝一で、嫁様が使う前にエブリイの洗車。
そしたら、なんか走りたくなっちゃった。
9時過ぎにスカーレット号で自宅を出発。
10時過ぎには奥多摩湖畔へ。

大麦代Pのアメリカンドックをガブりと。

大麦代Pは、
CBナナハン系、猿系の皆さま等、
話しに花が咲いて実に楽しそうでしたね。

大麦代Pを後にして、西へ向かい、
小菅、上野原丹波山線を疾駆し、
日蓮大橋を渡り、

藤野津久井線を疾駆し、牧馬峠を越え。
鳥居原園地Pに到着です。

ほっこりプチツーリングな祭日でした。

戸吹城跡(二条城址)

5/3
左入城址を後にして、戸吹城跡に向かう。
別名は二条城・根小屋城とも言われます。

八王子市側より、案内板に誘導され、
16:10頃に現着。
やはりというか駐車スペースはなし。
( ´艸`) 昔来た時もそうだった~。
他人様の家の前に置くわけにもいかず、
小川の橋の上に置かせていただきました。
_(_^_)_
せいぜい3機が限界でしょうか。
(車は置く場所が見当たらず)

裏庭の通路のような散策路を歩いてゆく。

地図下側の建設会社から北に歩き、
そこからすぐに城域に入ります。

山歩きに不慣れな私のような人は、
特に単独ではあきる野・八王子市境まで。
(地図上の点線まで)
その北側は45度~80度の断崖で、
比高差は70mぐらいはあります。
北曲輪に繋がる尾根は崩落しており、
散策で行くのは極めて危険で無謀です。

北曲輪は北に向かう四本の尾根の付根で、
そこから南に逆T字形の縄張のようです。

東京都教育委員会の『東京都の中世城館』
という本によると、
西へ向かう市境の散策路は古道で、
この古道に対応して築かれたようです。
(縄張図は本に出てるけど転載禁止で
 ざっくり航空写真のとおりですね)
自然の地形を巧みに利用しつつ、
幾本もの土塁や空堀で防御されています。
築城時期は武田軍が侵攻した永禄12年
(1569)頃との説があるようです。
少数の守備兵で敵を抑える目的の城で、
ごく短期間の使用であったようです。

城跡中枢へ向かう一本道。

尾根南側の掘平地。

案内板は地図上の二条城表記の辺りです。

小さなお宮が祭られています。

お宮裏は土塁です。

土塁の北側はV字の空堀で、

その向こうは断崖絶壁です。

遠くにあきる野の街並みが望めます。

木々の向こうの斜面は80度はあるよ~。
その上の細尾根は北曲輪に繋がっている。
落ちたら・・・誰も通らない・・・。

あきる野側に移動します。

サマーランドの駐車場から城跡を望む。
北曲輪の尾根の形状がわかります。

秋川の北側より戸吹城跡の全景を望む。

戸吹のジモティーの人々は、
北条さんの厳しい命令で、
築城に総動員されたんだろうなぁ~。
でもって武田の来襲に備えて、
その後の上杉・前田来襲はどうだったか。
民百姓は辛いよね。

乱世で生きるのは大変だ・・・。

ふとそんなことを想いながら・・・。

左入城址

5/3
昭島の用事が済んでコンビニ休憩。
コーラを飲みながら城跡を検索してみる。
場所柄、滝山城跡関連がほとんどだけど、
左入城址の書き込みが目に入りました。
ムラウチのところに城跡が・・・?
行ってみるか・・・ということで、
15:40頃に現着です。

書き込み通りに立派な石碑があります。
この場所に左入城があったのですね。
当時と今では道が全く違っています。
道の芯には旧道があると思いますが、
幅が城跡を飲み込むばかりに広がって、
高速道路のインターや敷地の掘平で、
異次元のスケールで造成されています。
地山の基本的な山塊は残っているわけで、
旧道、河川、集落、旧地名、伝承、
自然地形他からの想像はロマンありです。
小さなお城の歴史は謎に包まれており、
築城者、主の変換、合戦の記憶、廃城、
現城主の村内氏の創業(築城)を経て、
左入城は生きていると思いました。

黒御影の立派な石碑(高いゾ~)です。
ピカピカで反射しちゃって読みにくい。
(従業員が拭いているんだろうな)
サトちゃんやニトリや俺も写ってるし。
下に碑文を転写しました。

左入城跡
往古この地に左入城があった
中丸淡路守の居城であったと伝えられている
左入城は東西約四百m、南北百七十五mの卵形をなし、東南及び西に幅四〜五十m、深さ約九mの空堀を巡らして、周囲は凡そ二千mに及び、西南に鵯(ひよどり)山を望み、北に谷萩川を帯びた要害の城塞であったと古老の口碑により伝えられてきた
また、これより西方五百mの所に淡路守居城の折、調馬の用に供した馬場の址がある
尚、近年発見された、伊能忠敬の日本地図にも この地を「左入村中丸」、馬場の址を「左入村馬場谷戸」と明記されている
右の史実を後世に伝えるために、この碑を建てる
平成十七年五月
 村内家第十七代当主 村内道昌

この石碑のおかげで、
こういう城跡もありだな・・・と思える。
ムラウチは現代の戦の城ともいえるかな。
なんて、ハイボールを飲みながら・・・!

柏原城跡(上杉砦跡)

4/29、大宮方面へ赴く。
帰路の山並みに城跡の気配を感じた。
集落の統治や防衛拠点に絶好の山容かな。
一寸コンビニ休憩で、付近の城跡を検索、
ビンゴ、やはり近くに城跡があるようだ。
せっかくなので、立ち寄ってみようか。
この行き当たりばったり感が俺なのだ。
スマホの検索地点をナビに登録して、
郊外の住宅街の裏山を目指します。
ほどなく現着、15時頃っす。

駐車場は付近に見当たらず・・・、
仕方なく往時の水堀跡?の水路の橋上に、
スカーレット号を駐機しちゃいます。

上図の下側から登ってゆきます。

二ノ郭と本郭の間の空堀を進む。
昔は深くて急で高い土塁だったでしょう。
小さいけど、素晴らしい空堀ですね。
突き当りを右へ、本郭を散策しました。

甲冑を着た武将たちがここに居たんだね。
夢中で生き夢半ばで討ち果てた人の痕跡。
郭の掘平地や土塁を見ていると感じるね。
よく今に残っているものだと感心します。
城とは、土で成るものですね。

二ノ郭には稲荷社が祭られていました。
お参りさせていただきました。
小さな城跡は気軽に行けるのがいい。

小さな城跡の全景・・・。
今は鬱蒼として木々が生い茂ってるけど、
いつも思うけど、 兵どもが夢の跡、
人が生き死にを賭けて戦った場所。
城跡は貴重な文化財で、観光資源ですが、
当時は関係者以外は立ち入り不可の、
最高機密の防衛拠点だったんだよね~。

ふらっと僕みたいのが探索できるなんて、
いい時代になったものだ。
城跡で月夜に琵琶でも弾けたら風流だな。
・・・怖いか・・・( ^ω^)・・・。