川中島 特別 純米酒

川中島 特別 純米酒
酒千蔵野(長野県長野市川中島町今井)

創業は1540年、つまり戦国時代!
謙信と信玄が激突した川中島でだぜ!
奴ら・・・飲んだかもなぁ~・・・。
実はここのにごり酒が絶品なのですが、
残念ながら品薄状態で入荷困難です。
そのへんで買うなんてムリ ( ̄▽ ̄)
マジ美味いんだって、川中島のにごり酒。

さぁて、川中島の特別純米酒、
女性杜氏の酒はどうでしょうか・・・。
硬派、辛口・・・、

痺れる美味さ😋

食べながら飲む酒にピッタリの感じだね。
吟醸酒とは違う、日本酒らしさがあるね。

いろんな酒があるね・・・日本酒最高!

鎌倉街道伝説

鎌倉街道伝説
著者:宮田太郎
発行:2001/11
ネット武蔵野

百草城跡関係の資料を検索していてこの本に出合いました。
表見返し著者作成の「百草城鳥観図」は圧巻です。
子供からお年寄りまで読めるよう、文字のサイズは大きめで、漢字にカナがふってあり、文体も易しく専門用語は控えめで、とても読みやすい本です!

内容は、目次より

1鎌倉街道とは
 鎌倉へ馳せ参じる武士たち
 武士団の里と鎌倉への道
 源頼朝の旗揚げと鎌倉入り
 鎌倉城と七つの切り通し
 鎌倉街道とはどんな道か
2鎌倉街道にまつわる伝説
 多摩丘陵の義経と弁慶伝説
 新田義貞の鎌倉攻め伝説
 笛吹峠伝説
 早ノ道伝説
3鎌倉街道発掘物語
 早ノ道の発掘
 野津田の丘・上ノ原の発掘
4もう一つの鎌倉街道と城・砦跡
 相原七国峠古道
 御殿峠古道
 百草城
 小野路関屋城
5鎌倉街道を探検しよう
 鎌倉街道の発見方法

どうです?
読みたくなったでしょう?
城跡探訪未経験の方でも楽しく読める本です。
新刊の入手は困難かもですが、中古ならまだ入手可能だと思います。
僕は、著者の宮田太郎さんがガイドを務める散策会、講習会に是非参加したいと思ってます。

酒器を訪ねて

なんかいい酒器がないかなぁ~と。
瀬戸物屋さんを検索してみて、青梅宿(JR青梅駅前商店街)のカワスギ陶器店へ行ってみた。

店内をキョロキョロ、湯飲みを凝視していたら、
店主:「湯飲みをお探しですか?」とお店のお母さんが来てくれた!
ボク:「青地に白の水玉模様の集会場の湯飲みみたいなやつ あります?」と聞いてみたら、
店主:「そこの急須みたいな文様のですよね?」と即答。
ボク:「そうそう それ!」
店主:「ふふっ面白くないんで置いてません(笑) これなんかどうです? 湯飲みを大切にされる方はこういう湯飲みを必ずお持ちですよ」とやさしくご提案をいただく・・・面白い店主のお母さんです。
ボク:「たしかに・・・いや実は酒器を探してて、若い頃に寄り合いで集会場で酒を飲まされたときの湯飲みが懐かしくてね・・・水玉模様の」
店主:「・・・それでしたら 今日は懐かしい水玉模様はお忘れください(笑)・・・このお猪口は面白いんで仕入れてますよ」
ボク:「ぐい吞み ぐらいの大きさのがいいんだけどな・・・この金色のは?」
店主:「ほほほ・・・やだ それ 仏さんのですよぉ お客さんまだ早すぎるでしょう!」
ボク:「そうだこれ 仏さんのだぁ(爆)やっちまった」
店主:「でしたら そこの杯型のはどうです?」
ボク:「これ なに 酒器なの?」二つカワイイのが並んでいます。
店主:「若い女性に人気ですよ 有名な窯元なんですよ」
ボク:「そうなんだ・・・いいねぇ・・・どっちがいいかな?」
店主:「ん~両方お買い求められたらどうですか?(笑)」
ボク:「(笑) お母さんに薦められちゃったよ! ならそうする! 巧いねぇ~!」
店主:「( ´艸`) 上手でしょ!」
ボク:「また来るよ ありがとう」
店主:「ありがとうございました お待ちしています」

すげ~楽しい買い物だった。
こういう掛け合い、勉強になるなぁ~。

大きさはお茶碗とぐい吞みの中間ぐらい。
湯飲み 兼 酒器 って感じかなぁ。
なにに使うかはその人次第。
これで飲んだら 酒 美味そう!
楽しみだなぁ~。

窯元の表記・・・?訊くの忘れた(笑)。

千代鶴 たまの里 純米にごり酒

千代鶴 たまの里 純米にごり酒
中村酒造(あきる野市牛沼)

多摩の酒蔵で、縁が薄かった千代鶴さん。
福生の酒屋で純米にごり酒で気になった。
さして期待もせずに飲んでみたら・・・。

美味い😋っす!

遠が薄いどころか、濃厚プレミアムだぜ!
結構頑張ってる にごり酒 だと思います。

城跡めぐりを思案するにはにごり酒だね。
アル添なんてダメダメ、純米系に限るよ。
(アル添の美味い酒もあるけどね~)

千代鶴さんを見直した にごり酒 でした。

愛宕山城 / 石神井城

11月19日

道中にて。銀杏並木が美しい。

仕事で、小平市花小金井を訪問しました。
時間が出来た、付近の城跡を探索するぞ。

13時45分頃、愛宕山城跡(練馬区上石神井3丁目)に到着。

遺構は特に見当たらず・・・。
もしやと思ったのは、早稲田高等学院敷地内の北東側、石神井川沿いのRC土留上部の法面が名残りかな?外から見ると・・・と思えた程度・・・違うかもですが。
調べた限りでは城(砦)の縄張り等は確認できてないけど(区の教育委員会の史記等にはあるかも)、小規模な平山城といった規模でしょうか。
城の由来は諸説あるようですが、元々は北東約600mの距離にある豊島氏の石神井城の支城で石神井川や南方を監視していたが、1477年に太田道灌による石神井城攻めの際に奪われて、城攻めの陣地として使用された、という説が有力なのかな?と思いました。
平成4年に発掘調査が行われ、城跡(砦跡)は300~400m角で、コの字型の堀に囲まれていたようです。
石神井城の落城後に廃城となったようです。

14時25分頃、石神井城跡(練馬区石神井台1丁目)に到着。

北方より、三宝寺池越しに石神井城跡を見る。
現在は練馬区民の憩いの場である石神井公園の一部として、550年前の豊島氏と太田氏の死闘は忘却の彼方に忘れ去られ、まさに兵どもが夢の跡となっています。

案内板によると、

石神井城跡
 石神井城は、中世武士の豊島氏の城です。豊島氏は、葛西、江戸両氏とともに、秩父平氏で、南北朝時代には、石神井群を領有していました。
 室町時代に、城主の豊島勘解由左衛門尉(泰経)は、関東管領の上杉顕定にそむいた長尾景春に味方しました。そのために、顕定を援助していた上杉定正の重臣である江戸城主の太田道灌により攻められ、文明九年(1477)四月、落城したと伝えられています。
 石神井城は、三宝寺池と石神井川の低地に挟まれた舌状台地にあります。その周囲は空堀や土塁でめぐらされており、今でも土塁と空堀を見ることができます。
 のちに、落城によって照姫が水中に身を投げたという物語が作られ、語り継がれています。
※東京都の史跡に指定されています。
 令和三年(二〇二一)三月

 練馬区教育委員会

とのことです。

案内板によると、

石神井城 主郭跡
 中世に活躍した武将、豊島氏の居城であった石神井城の中心部分です。三宝寺池側は崖で、残る三方には堀と土塁が築かれていました。内部(内郭)は平坦で、有事の際に利用する建物などがあったと考えられている場所です。
 平成10年から6年間にわたって実施した市民参加の発掘調査では堀と土塁及び内郭の一部が明らかになりました。堀は調査地点で幅約12m、深さ約6mで、断面U型に関東ローム層(赤土)を掘り下げ、底面を約3m幅で平らにした「箱堀」であることが分かりました。水が溜まっていた痕跡が無く、空堀です。また、掘り上げた土は黒土を混ぜて少しずつ固めながら内側に盛上げ、土塁を築いています。崩れていた土の量から推定すると現在より約3mも高かったと推定されます。堀と土塁を合わせると比高差10m程となり、堅固な防御施設であったことが分かります。土塁からは14世紀後半から15世紀に作られた常滑焼の甕や鉄製小刀が出土しています。内部の建物跡は明確にできませんでしたが、柱穴が発見されており、小規模な掘立柱建物が建てられていたと考えられます。
 調査では、12世紀~16世紀にかけての中国製陶磁器や常滑焼、渥美焼などが少量ですが出土しており、豊島氏の財力を示すとともに、生活用具の出土は内部建物で居住していたことの可能性を示唆しています。

 平成15年11月
 東京都 練馬区教育委員会

とのことです。


城は道楽でなく、必要に迫られて造っている訳で、戦国時代というのは、武将はもちろん民百姓も含めて、現代から想像するとその厳しすぎる世界は・・・想像を超えていますね。

お腹が空いちゃった ( ´艸`) 。

16時25分頃、遅い昼食で大好きな天津丼と餃子をいただきました。

17時20分頃、帰る途中で横田基地の青い誘導灯に誘われて。

天狗舞 山廃仕込 純米酒

天狗舞 山卸廃止酛仕込 純米酒
車多酒造(石川県白山市坊丸町)

実家の引越しは夕方に終わる筈が、終わったのは20時30分・・・行きたかった福生の酒屋さんはもう閉まっているし、仕方なく(笑)あきるの東急 に寄ってみた。

純米系の にごり酒 を探したけど、先日飲んだ 白川郷 以外は店頭になく、天狗舞 > 山廃仕込 > 純米酒 > 受賞 > 箱入 で気になって手にしたのがこのお酒。

( ´艸`) うしし。

my酒器に注ぐと、なるほどの山吹色。
樽のような淡く濃厚な香りもわるくない。
香りを楽しみつつ飲んでみる。

これか、山廃仕込 純米酒 天狗舞!

美味しいじゃん😋

杯が 進む 進む これ 日本酒らしい味。
吟醸酒とはまた違った味わいが アリ。
常温がお勧めって書いてありまして、
風味と後味は常温が一番楽しめると思う。

日本酒って奥が深いし幅もある。
やっぱ冬は日本酒だね。

酒にそんなに強くないオイラでも、
適量適酒で楽しんでいます。

百草城/高幡城/川辺堀之内城 散策

11/3(木) 11:45 頃、
百草園駅前のスーパーで昼食を買って、
店の軒先のベンチで お昼 いたしました。
ポカポカ陽気で気持ちいいですねェ~。

ベンチ先客の老紳士から、
「あれってカブなの?」と尋ねてこられ、
「ハンターカブです カブの兄弟ですね」
と答えたら、以前カブに乗ってたらしく、
「自動遠心クラッチとシフトが面白い!」
って、カブ話しで盛り上がりました~。
巡回バスが来た。爺ちゃん元気でね~!

12:30 頃、百草城跡(日野市百草)へ。

百草城は地域の郷土史家によって1980年代に発見された城跡で、鎌倉~戦国時代にかけての城のようですが、詳しいことはまだわからないようです。
新田義貞率いる倒幕軍と鎌倉幕府軍が戦った分倍河原・関戸合戦(1333)で、城跡内に位置する松連寺(現在の百草八幡宮・京王百草園にかけて存在した)が焼け落ちているとのことで、幕府側陣営の城であったという説もあるようです。

城域内の百草八幡宮にお参りします。
裏の散策路を歩きながら、
地形の痕跡より当時の姿を想像してみる。

樹齢数百年の圧倒的な椎の木さんが凄い。

城域は、
百草八幡宮、京王百草園、松連庵と
広範に及んでいるように思われました。
なので京王百草園にも入場してみます。
(¥300)
茶会が催され、美しい着物姿の老婦人、
梅の老木も見事でした。

京王百草園の最高所・・・ということは、
百草城跡の主郭に到達かな?
生い茂った木がなければ眺望に秀でて、
北岸は急斜面で、弓、槍、刀の戦闘では、
極めて有効な陣地(城)だと思いました。

ジェラート屋さんに寄ったら休みだった。
( ´艸`)

13:45 頃、高幡城跡(日野市高幡)へ。

高幡城の詳細も不明です。
1455年の第一次立河(立川)原合戦で、関東公方の足利成氏に敗れた上杉憲秋が高幡城下で自害したとのことで、高幡不動の境内に墓所もありました。
1504年の第二次立河(立川)原合戦で、上杉朝良・今川氏親・北条早雲 VS 上杉顕定・足利政氏との多摩川付近での戦いでも、拠点となったとの説もあるようです。
戦国時代に入ると、北条氏照の配下として、平山氏が城主であったようです。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、北条氏旗下の高幡十右衛門の居城で、豊臣氏旗下の前田利家・上杉景勝の軍勢と戦ったと伝わるそうです。
縄張りは自然地形を生かしたもので、築城年度は室町時代以前で、戦国時代においては小規模な地域の城で、大掛かりな改修はされなかったようです。

高幡不動の裏山が城跡で、比高差は約50m。
田中祥彦著:多摩丘陵の古城址を片手に、
高幡不動からの散策路を登ってゆくと、
尾根上の曲輪群に到着しました。

生い茂った木がなければ眺望に秀でて(東京タワーも見える)渡河地点を押え、急斜面や堀切で、防備を固めたようです。

高幡城跡で検索したら、心霊とか落ち武者のワードが出たけど、特に何も感じなかったけどなぁ~。
戦国時代の城跡は戦いの陣地だから、兵どもが夢の跡、命懸けで戦った場所で、逆に僕はロマンを感じるんですが・・・!
ですが陽が落ちると一変ちょっと怖いよ。
my後頭部は 落ち武者 に近いかなぁ?
( ̄m ̄〃)ぷぷっ!

14:30 頃、川辺堀之内城跡(日野市川辺堀之内)へ。

川辺堀之内城の詳細も不明です。
付近一帯は武蔵七党の西党の支配地域で日奉氏が治めていたらしく、室町時代には高麗氏が領有し、戦国時代には北条氏旗下の地域の武将の居館があったとの説もあるようです。
中世には川辺十騎衆というのが存在したらしく、付近には小土豪が割拠し、それらの館が点在していたようです。
多摩川・浅川南岸を制圧してきた後北条氏に対抗して、扇谷・山内上杉氏が構築した、『高幡城・平山城』の監視目的の砦であったという説もあるようです。

台地の南岸下から見た竹林が城跡です。
小さなお城は屋敷規模のようです。
戦国時代以前の地域の名士の居館かなぁ?

城跡へのアクセスはこの辺り。
散策路を歩くと右手に地主の墓地がある。
私有地っぽいので散策路のみを歩きます。

散策路から南向きに曲輪方面を望むと、城跡らしい雰囲気は感じられますね~。

台地南岸に立てば、眺望はよいでしょう。

百草城跡、高幡城跡、川辺堀之内城跡も、ネットや本で曲輪の配置図は見れるので、
気になった方は是非検索して見て欲しい。
苦労して(楽しんで)書かれた各絵図は、一見の価値があると思いますよ。

17:00 頃に一旦帰宅。
弦月号さんで、ちょいと散走。
( Kawasaki KSR110 )
少し肌寒い風が気持ちイイですねぇ~。

日常から解放された一寸一息・・・かな。
最悪のことを考えつつ楽観的にいくって、稲盛和夫さんの言葉だったかなぁ・・・、そんなことを思いつつ、頑張りましょう!