立河氏館跡(昭島市中神町)

6/10、小さな城跡を検索していたら、昭島の中神町に立川照重館跡とある。
ちょっと気になるじゃないですか。
スカーレット号で行ってみましょう。
14:00頃に現着しました。

立川の砂川に育った僕は、多摩川での釣りや川遊びでよく自転車で通った中神坂(昔はもっと狭かったような・・・)の上のお寺さん(福厳寺)が館跡のようです。
へぇ~・・・ここがそうなんだ。
子供の頃は全く館跡なんて思いもせず、意外さや懐かしさとともに、何気なく通り過ぎていた身近な街並みにも、激動の歴史が埋もれているのだなぁ~と感慨深いものがあります。

中神坂交差点より館跡(福厳寺)を見る。

これも立派な玉石積ですね。
左右で石の大きさが違うのが興味深い。
施工年度が違うのか工事人が違うのか。

館跡の南側には防空壕の跡があります。
こういう部分にも歴史が残っています。

福厳寺さん本堂に参拝してから境内散策。
土塁や空堀などの遺構は不明でした。

案内板は文字が薄くて判読し難いです。

手持ちの資料の昭島の歴史によると

P79>
 『新編武蔵風土寄稿』には、福厳寺の項で「(福厳寺は)村の伝承によると、天正(1573~92)以前、立河宮内少輔一族の館があったところである」としています。確かに福厳寺は、普済寺の末寺になっています。
 また寺には『福厳寺境内及び除地絵図』(明治4年)があります。これには、かつて居館であったことを推測させる、土塁が描かれています。

P69>立河氏
 武蔵七党の、西党日奉氏の一流。宗恒の代から立河氏を称したという。
 鎌倉時代、現在の立川辺りの地頭であった。1213(建保元)年、和田義盛の乱で、西党21家が加担し、北条義時に滅ぼされた中で、平山氏と共に北条氏に味方し、その後も生き残った。
 室町時代は、土淵郷(現日野市)の地頭を兼ね、文和年間(1352~56)現在の柴崎町に普済寺を建てた記録がある。現在土塁が残るが、館との関係ははっきりしていない。
 柴崎八幡宮(現、諏訪神社に合祀)の本地仏阿弥陀如来に、天正14年(1586)年の背銘が残っており、立川照重の名がみえる。
 1590(天正18)年、北条氏の滅亡と共に、滅びたとされる。

とのことでした。

臨済宗建長寺派寺院名鑑によると

P74>智勝山 福厳寺
開基萬松和尚が夢窓国師を開山に観請して創建(1624)。寺域は往時武蔵七党一派の立川宮内少輔一族が居館した跡という。

とのことでした。

多摩川沿いの断崖沿いには多くの城館跡が点在していますが、断崖は湧き水が豊富で当時の農業には必須で、そこを抑える為と地形を生かした防御上の利点も高かったのでしょう。

兵どもが夢の跡・・・何を想いますか。

散歩とゴミ拾いと

休日に時間があれば1~2時間ほど、
散歩ついでのゴミ拾いが好きですね。

玉川上水を歩いてみるかということで、
多摩川の羽村の堰を望遠しちゃいます。

先日の大雨で3連の水門の2つがなし。
壊れたのではなく、流す構造なんですね。

案内板より

玉川上水は羽村の堰からスタートし、
少し下流から多摩湖にも繋がっています。

丸い玉のこれ自体が史跡といっていい
第三水門より多摩湖へも分水しています。

春は圧巻の桜並木になる玉川上水の流れ。
生い茂った緑と小鳥の鳴き声が美しいね。

歩いているといろいろ案内板があります。

重機もない江戸時代に基本人力で・・・、
こっりゃまた・・・人を集めて大変だな。

玉川上水旧堀跡(上図の赤線部分)

ゴミに導かれながら拾い歩きしていると、
散歩中のワンちゃんが寄ってきて、
飼主(女性が多い)の方とお話ししたり、
自転車乗りから「有り難うございま~す」
(男性が多い)と言われたり、
ちょっとした出会いも楽しいものです。

時には拾うのを躊躇するようなブツも有。
(笑)オムツとか、生理用品とか・・・。
なんでココに?・・・と思うけれども、
俺が拾わずして誰が拾うのだぁ~と、
( ´艸`) 鼓舞してトングで掴みます!

そもそもの始まりは、
健康診断で少し血圧が高くなってきて、
血圧が低めだった筈が現実に衝撃を受け、
忙しさに怠けて自転車にも乗ってないし、
なんとなく職場の昼休みに歩き始めて、
ただ歩くのも飽きるし、ゴミでも拾うか、
ということでついでに始めたら楽しくて!

小さいトングを買い、吸い殻やマスク、
飴の包装や空き缶などなど、嬉々として、
鼻歌まじりに拾ってエンジョイしてます!

面白いもんで、捨てる人に腹は立たず、
むしろ逆に感謝したいぐらいです。
捨てる神あれば拾う神ありといいますが、
ゴミ拾いは予想外の幸運な出会いもあり、
そこから気づくことも面白いものです。
救われているのはきっと僕自身かなぁ!

あくまでもゴミ拾いは僕の趣味です!
(家族はお父さん逝ってると思ってる?)
対潜哨戒機モードでゴミを探してたり。
ピコーン♪ ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

そこそこ集まりました。
分別して任務完了です。
/)`;ω;´)

歩いて拾って出会って話して気付いたり、
一石〇鳥かもね~。
ささやかな楽しみでした。

蒼い夜の狼たち

蒼い夜の狼たち
作 :寺崎美紅
絵 :玉川麻衣
発行:2022/1
出版:たばやま観光推進機構

先日、山梨の小菅城跡の帰り道、
道の駅たばやまで出会った絵本。
地域の狼伝承に由来しています。

山の神様の使いとして、
山間の里には山犬(日本狼)伝承があり、
御岳山や三峯山などが知られていますが、
丹波山の七ツ石山のお話しが本作品です。

日本狼は、
鹿や猪や猿などが里に出る前に捕食して、
里山の人々の農作物を守る山の神として、
人々に篤く信仰されていたのだそうです。

地域に残る素敵な伝承や物語、
深いブルーの蒼き狼の美しい雄姿。
道の駅たばやまでの素敵な出会いでした。

小菅城跡(山梨県小菅村)

5/28(日)、
11時45分頃に自宅を出発、
奥多摩湖畔で小休止して小菅村へ。

道中、懐かしい かどや旅館さん前にて。

13時30分頃に小菅城下に到着。
スカーレット号の駐機場所を探すと、
箭弓(やぎゅう)神社脇に場所があり。

有難いことに小菅城の案内板があり、
遺構の様子がわかるようになっています。
上の地図と比べると、
東西方向に新しい道が一本走っています。

まずは箭弓神社に参拝してから城内へ。

入口は神社北側に整備されています。
(少し風化で荒れていますが)
西斜面の山道を登ると、
自然地形を利用した小さな山城(砦)の
全容が徐々に伝わってくるようです。

図の一番西寄りの堀切。

図の中央左寄りの大きな堀切。

図の中央の堀切。右の斜面上が主曲輪。

北側帯状腰曲輪。右の斜面上が主曲輪。

東側帯状腰曲輪。左の斜面上が主曲輪。

南側帯状腰曲輪を登ると斜面上が主曲輪。
戦国時代当時は、斜面は急で堀切は深く、
上は板塀等で囲われ下は隠れ場所もなく、
上から準備された矢や石礫が降り注ぎ、
近づく敵には槍がエイヤと突き出され、
簡単に登れる場所ではあり得ず・・・。
僕なんか秒殺でしょうな ( ´艸`) 。

主曲輪には小さな祠が祭られていました。
参拝してから小さな山城で小休止です。

いつもの言わせて、「兵どもが夢の跡」。

破壊カ所から下って虎口を見下ろす。

虎口下より御屋敷跡の小学校を見下ろす。
城を南に出た所にも案内板がありました。

本来のお城の出入口はこちら方面でした。
(勝手口から入ったのが σ(゚∀゚ )オレ )
知らんかった_(_^_)_反省・・・。

小さな山城(砦)は全国に無数にあって、
多くが忘却の彼方に去ろうとしています。
小菅城跡の遺構は、有志の活動と研究で、
わかりやすく実に素晴らしい城跡でした。

復路、道の駅たばやまで小休止。
売店でこの地域の狼の絵本を買いました。

作 :寺崎美紅
絵 :玉川麻衣
発行:2022/1
出版:たばやま観光推進機構

読むのが楽しみな狼伝承の絵本です。

小学校の同窓会

2023年5月26日(金)
立川市立第九小学校1979年卒業
6年2組の同窓会が開催されました。

去年からKくん、Nさん、Fさん達が、
連絡のつかないクラスメートを繋いで、
クラス会グループラインに参加を募り、
途中から参加者も手伝って同窓生捜索。
卒業から44年経って、約6割が登録。

コロナの終息が伸びて、遅れましたが、
福井県在住の先生の東京来訪に合わせ、
金曜夜に開催されることになりました。

場所は
Lasymetrie立川という仏蘭西料理店。
通りからは小さな隠れ家的な店構えで、
そっと入ると素敵な空間が待ってました。
絶品の料理やワインを味わいながら、
卒業から44年ぶりの再会というのに、
夢のような懐かしい話に花が咲きました。
今回参加出来なかった人は是非次回に~!

前列の先生を囲んで(先生若いなぁ~)。
後列左から二番目が私 Ver.34 こと、
小学生当時のあだ名は マッチャキ 、
本名は、Takahashi masaaki です。
(先生は実名で、俺はHNじゃね・・・)

先生の著書である

子どもたちの夢と幸せをつくる「絆」
福井県のある小学校校長が語ったこと
著者:赤星昇
発行:2017/11
出版:文芸社

にサインをいただいちゃいました。

同窓生も入手本にサインを貰ってました。
更に先生から5冊提供でジャンケン大会!

同窓会の進行係を賜った小生でしたが、
失言や至らなさはご容赦いただきまして、
(途中からただの酔っ払い親父に・・・)
先生、Kくん、Nさん、Fさん、参加者、
参加出来なかった全員に感謝いたします。