子どもたちの夢と幸せをつくる「絆」

子どもたちの夢と幸せをつくる「絆」
福井県のある小学校校長が語ったこと

著者:赤星 昇
発行:2017/11
文芸社

著者の赤星昇先生は、僕が小学5,6年生のときの担任の先生です。
先生の初任校の当時の 立川第九小学校 が懐かしく思い出されます。
先生はクラスの歌(うでくむわれら)をつくってくれて、それを歌ってくれたり、皆で歌ったりしました。
僕がクラスのある子をいじめた時「なぜそんなことをするのか?」との先生の問いに、つい「だって、いじめたくなっちゃうから」と言ってしまったとき、目に涙を溜めて本気で叱ってくれたこと、今にしても本当にありがたい気持ちです。
放課後、教室の片隅でクラスメイトと戦艦大和やゼロ戦がかっこいいというような話をしていて、そこへやってきた先生から「人殺しの道具のなにがカッコイイのか?」との指摘に、一同黙ってしまったことがありました。考えてみたら確かにそうでした。
クラスのみんなで、先生の故郷の福井に二泊三日で押しかけましたね。海の中で黒い岩だと思って立ったらそこはウニだらけの岩で、足が血まみれの棘だらけになって、棘を抜くのがまた痛くて悲惨(笑)でしたが、それも楽しい思い出です。夜、墓地もあるようなひと気のない原っぱで肝試しをしましたが、風で揺れる柳や草の音ぐらいで本当に怖くて、今でも記憶に残っています。
僕は漢字が苦手でしたが、社会や理科は大好きでしたし、僕一人だけ100点なんてこともあったぐらいです。その2教科だけは(笑)解らない人に教えてあげた記憶があります。もしかすると先生に褒められて、自己肯定感があったのでしょう。
振り返ってみると、僕にとっての赤星先生は、やはり特別な先生です。今にして思えば他のクラスの担任の先生もがんばっていたとは思うけれど、特に先生のクラスは生徒や保護者も含めて輪が出来ていたし、先生のことが皆大好きだったと思う。

1977年頃、右端のちょっと ひょうきん なのが僕(マッチャキ)。
たぶん先生のギターを借用(笑)。
ちなみに他の3人さんは皆すごく立派になったと風の便りで!

 

読んでいて ぐっと きたところ

スポーツを通して仲間との絆が深められていき、仲間とつながりあうことの大切さというものを学んでいくことができるはずです。(P24)
私は、幸せになる、というのは、みんなの幸せのために力を尽くす中で自分も幸せになれる、ということだと思っています。(P41)
中国でつくられた『山の郵便配達』という映画があります。(P55)
しつけも勉強も大切なことですが、子どもたち自身が、自分は大切な人間なんだ、存在価値のある人間なんだ、という自己肯定の気持ちを子供の心に育てていくことが、子どもたちの成長のために何よりも大事なことです。(P60)
だれにどんなことをしてもらったときに自分は幸せを感じたのか、そして、自分はどのようにすれば困っている人や悩んでいる人、苦しんでいる人たちの手助けができるのか。(P103)
だれかのために、みんなのために、自分ができることを考えて実行する。(P110)
勉強というのは『好奇心』がわかないと身が入らないものだということです。(中略)今、勉強していることが自分の生活や体験したこととどのようにつながっているのか、をよく確かめながら学んでいくことです。(P128~129)
人間って年ではない、将来に希望が見えてくれば人間はこんなに前向きになれるのだ、ということを学んだとのことでした。(P143)
教師という仕事は、喜びよりも悔いの方がはるかに多い仕事なのです。(中略)「教育」もまた「教育」を必要としているのです。(P153)
万葉の昔から言われているように、まされる宝は子ども以外にありません。いつの時代であっても、子どもたちは私たちの未来であり、希望であると思います。(P158)

ドロシー・ロー・ノルトさんの書かれた『子供が育つ魔法の言葉』

 批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる
 なぐられて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる
 笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる
 皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心の持ち主となる

 しかし、激励を受けた子どもは 自信をおぼえる
 寛容に出会った子どもは 忍耐をおぼえる
 賞賛を受けた子どもは 評価することを覚える
 フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる
 友情を知る子どもは 親切をおぼえる
 安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる
 可愛がられ 抱きしめられた子どもは
 世界中の愛を感じ取ることをおぼえる (P165~166)

『子育てハッピーアドバイス』シリーズの10冊ほどの本です。(P169)
他人のことを思い、他人のために役立つことができることぐらい、人間にとって誇らしくうれしいことはないと思います。(P171)
悔いることがいっぱいあり、不完全ではあるけれども、子どもたちに信頼を寄せ、教師として、子どもと共により新しい自分に成長していける人間であり続けたいという誠実な思い、これがより未熟で発展途上の子どもたちとの間に、確かな〝信頼の水路〟を開いていくものなのではないでしょうか。そして、この不完全さの自覚こそ、多くの人たちとのつながりや絆を生み出していくものではないでしょうか。(P195)

 

僕は思うんですけど、大学の先生の方が小学校の先生よりもなんか偉いような雰囲気や待遇があると思うのですが、実は小学校の教育こそ、人を育てる上で大切なんじゃないかと思うんですよね。専門知識とか高等教育とか大学の教育の凄いところはあると思うんですが、人を育てるという面ではやはり基礎中の基礎の小学校の教育こそが難しいし大切なんじゃないかと思うんです。ですから、先生の待遇や地位や権限の改善を含めて、国は小学校教育にもっと力を入れ、それを国民は注目する必要があると思う。

仕事でとある市の小学校の設備の検査で各小学校を巡回したことがありますが、街中の小学校に比べて山間の小学校の生徒の礼儀正しさには驚いたことがあります。校内で会えば一業者に過ぎない我々に「こんにちは」と生徒から積極的に挨拶してくるのです。なぜなのだろうかと考えると、先生に対して生徒の数が少なくコミュニケーションがとれていること、集落に子供は少ないが集落に大切に育てられていることなどが伝わってきました。その集落で生まれ育った人達の郷土愛は、街中で育った人達よりも深いものがありました。

僕が以前、失意のどん底にいたとき、出会った言葉があります。
学びは光なり 無学は闇なり
という哲学者ソクラテスの言葉です。
苦しくても、学ぶ機会や気持ちがあれば、必ずや光に照らされる。
けれども、学ぶ機会も気持ちもなければ、暗闇に落ちてしまうだろう。
だから僕は、忙しい合間でも、なにか学び続けなければならない。
その時、そう思ったのです。

僕にとって、小学校というのは、光り輝く学び舎 だったと思う。
赤星先生に出会えてよかったと、不出来な教え子ですが感謝しています。

是非、この本を多くの皆さんに、特に先生の教え子の皆さんには読んでほしいと思っています。

(2018年の2冊目)

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