人類資金Ⅲ
著者:福井晴敏 発行:2013/09 講談社文庫
読んでいて、思わずしびれてしまったのは
被災地に救いの手を差し伸べた男が、小一時間前にはひとりの人間を脅かしつけ、破滅させようとしていたなどと信じられるだろうか。これと決めた相手への自己犠牲を厭わぬ献身と、人を人とも思わぬ暴力性が一個の人格の中で矛盾なく存在する。(P36)
大戦による喪失を埋め合わせるために、特例的に人口が増えた異常を、団塊ジュニア世代が少子化傾向によって正常化しようとしている。このまま行ったら、何十年後かには日本の年間出生数は一人になるなんて試算もありますが、ぼくにはそうは思えません。団塊世代が永眠し、高齢者人口が一気に減少し始めれば、出生数は自ずと回復してゆく。人口の適正値が何人なのかはわかりませんけど、どこかで底を打つ時が来ると信じています。(P60)
金を借りた者は、必ずそれを増やして返さなければならない。この〝利子〟という制度が、我々の社会に永遠の成長を強いているのです。(中略)
銀行も、投資家も、その者が将来的に富を生み出すであろうという予測、すなわち信用に基づいて金を出す。信用が失われれば誰も金を貸さない。あり余る金は金庫に死蔵され、経済は回らなくなり、みんなが困窮する本末転倒が引き起こされる。9・11、リーマン・ショック、ヨーロッパ債務危機、すべて構造は同じです。伸び代を使い切ったと誰もが暗黙に了解している世界では、いともたやすく信用不安が起こる。(P62)
個人参加の投資家も抱き込んで、「モノを言う株主」なんて言葉を流行らせたのも彼らです。株の配当が鈍いなら、経営に口出ししてでも株価を上げさせろ。できない経営者は首を切れ。そんな風潮が当たり前になれば、企業は短期収益が望める仕事しかできなくなる。長期開発投資が不可能になった企業は空洞化し、実業たる産業はさらなる衰退に追い込まれて、すべてが金融市場に寄りかかった脆弱な社会構造ができあがった。(P63)
企業を育てるのが投資家、株の上げ下げにヤマを張るのが投機家。確か、グレアムの定義だったよな。(P63)
融資に金利という基本条件がつく以上、貨幣経済システムは果てしない発展を強いられる構造を持つ。その構造、システムを維持するために、ぼくたちは自分の尻尾を食ってでも成長するよう仕向けられている。善意から始まったシステム、人を生かすためのシステムが、人を取り込んで使役する逆転現象が・・・・・・暴走が起こっているんです。(P68)
生きるためにはなんでも正当化する一方、ロシア正教伝来の宗教観ですべては神の思し召しと割り切り、自己矛盾を一顧だにしない強かさが彼らロシア人の根底にはある。国ぐるみの刻苦を経験した分、名より実の精神が染みついているのだ。終戦直後の日本を生き抜いた人々も、あるいはこんな目をしていたかもしれない・・・・・・(P76)
二十一世紀の最初の数年間、日本は規制緩和の波に乗って好況を享受し、ホリエモンに体現される拝金主義に国ぐるみで浸かったのだが、一般就業者に還元されない——と言うより、還元しないがゆえの好況だった——数字だけの好況は長く続かず、リーマン・ショックを待たずして個人投資家ブームは終焉。(P84)
「しかし尖閣はともかく、竹島はどうかな。あれは朝鮮戦争の最中に韓国が一方的に領有を宣言したものだが、当時の日本には発言権がなかった。島に軍事拠点を置いて、実効支配の既成事実を積み重ねている韓国を相手に、いまさら返還を要求するのは難しい。北方領土も然りだ。戦争に敗けたどさくさで、当時のソ連に奪われた。土壇場で不可侵条約を覆したソ連は、外交政策上うまく立ち回ったというだけのことで、批判されるには当たらない。それが政治というものだ」(P120)
さあ、Ⅳ巻ではどうなってゆくのか!
(2018年の21冊目)