泉ヶ城跡を見る

5/11 その3
 金子十郎家忠館跡から北進してきた スカーレット号 (CT125 ハンターカブ) は、15:05頃に泉ヶ城跡(埼玉県飯能市青木)とされる辺りに現着しました。

 西方の八高線側からクネクネと主郭形態の名残りと思われる道を南側に沿って東に進み、上図十字ポイントの左側の東西方向に長い真新しい長屋門の前を通り、東側に回り込んで、南小畔川を渡った所に愛機を停めて、私有地につき城跡への立ち入りは出来ないので、北側の水路沿いを歩いてみました(市の境界標の川側)。

 上図十字ポイントの北側の南小畔川が湾曲する付近を西向きに見る。

 北側からの泉ヶ城跡遠景。
 鬱蒼と茂る竹林が、埋もれた歴史ロマンを感じさせます。

 『新編武蔵風土記稿』などの古文書によると、旧家青木氏の先祖青木式部大輔實近が居城していたとのことで、東西二町200m、南北一町半150mの城域で、平坦な地形に土塁が遺されていたと伝えられているようです。
 青木氏は鎌倉幕府に仕えていたが、正治元年(1199)に源頼家と安達景盛の戦いでは、同族の判乃氏らとともに安達氏側に味方し、判乃基兼が討死、丹党の武士団も多くの戦死者を出したが、滅亡せずに新田義貞の鎌倉攻めに青木五郎左衛門の名を残しているとのことで、今も末裔の方がお住まいとのことです。
 城跡の周辺には青木前、馬場、屋敷前などの小名が残され、西側等の一部に土塁が残されているようですので、機会があったら是非見学できればと思います。
 平安時代から戦国時代まで、地域領主の館として使われていたのではないかと想像すると、数え切れない人々の営みが伝わってくるようです。

 続いて、スカーレット号は西へ向かうのであった。

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