(5/11その2 金子十郎家忠館跡を歩く より続く)
6/1、午前中で終わった仕事現場からの直帰の途中で入間市博物館に立ち寄り、特に中世の展示物を見学して、市で刊行している中世城館跡に関する書籍を閲覧していて衝撃を受けた。
5/11に歩いた金子十郎家忠館跡の想定位置が全く違う・・・(爆)。ネット地図あるあるですが、中世の館跡は正確な所在が不明瞭なことが多くて、違う位置に表示されていることも多くて・・・(笑)。
・入間市博物館紀要第1号
・入間市博物館紀要第12号
・板碑で読み解く武士と寺院
・木蓮寺村絵図 を購入して、研究だぁ!
金子館跡は、瑞泉院跡の南側、赤城明神(現桂川神社)の南西に描かれています。
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入間市博物館紀要第1号より
木蓮寺村絵図でも金子館跡は、瑞泉院跡の南側、赤城明神(現桂川神社)の南西に描かれています。
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木蓮寺村絵図より
ネット地図では瑞泉院跡や桂川神社の北側に表示されています・・・違うじゃん(笑)そっちじゃない!
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金子館跡は、木蓮寺の字の下の + の辺りを中心にした台形平面の縄張りで、館跡を囲う道路は空堀跡なのではないかと思えてきました。では、現地に行ってみましょう。
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6/2、9:00頃にスカーレット号 (CT125 ハンターカブ)にて自宅を出発し、途中コンビニで絵図のコピーをとり、9:30頃に桂川神社に到着、まずはお参りいたします。
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1190年に金子十郎家忠・畠山重忠、
1213年に金子十郎家忠の由緒あり!
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館跡外郭の北端付近かな?
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道路(堀跡)との比高差は見事で、館跡内郭の北端といってもいいように思える。
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北端から館跡の北東方向を巡る断崖は、当時としては比高差も十分(堀は更に深い)で、見ていて僕的には発見した嬉しさからか震えが来ましたよ・・・すげえ!
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館跡北東部、時代の流れで下部は玉石積となっていますが、上部は土の斜面となっています!
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館跡北東部をふり返って!鬱蒼と茂った土の斜面がイイネ(通りすがりの人の立場でですが・・・)!
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上の地図の十字のすぐ東、内郭を南北に突っ切る空堀跡か?
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上の地図の十字のすぐ北、内郭を東西に突っ切る空堀跡か?
館跡の西側は、現況では館跡との比高差も少なく、堀は埋まって(現道路)しまったのかも知れません。
ということで、金子十郎家忠館跡は、僕的にはここだ!と思っています。
がしかし、市の刊行物によれば、他説もあるところが歴史の面白いところです。
例えば、
・「答説」の館跡の絵図に土塁がない。
・現地に土塁などが確認できない。
・館に関係する小字の種類もわずか。
・板碑も中世陶器も出土していない。
・館というより櫓か砦規模。
・館跡とは今井城なのではないか。
などなど、専門家が頭を悩ませているようです。
城館跡巡りって、本当に面白いですね。箱付きのカブ系は城館跡巡りに相性ばっちりの機体といえるかも知れません。