人類資金Ⅰ
著者:福井晴敏 発行:2013/08 講談社文庫
読んでいて、しびれてしまったのは
自由と移民の国を謳いながら、根強い人種差別が残るのが彼の祖国だ。(P31)
リーマン・ショックに大震災、その後も危機また危機の連続で、国民は現行の統治システムに対する信頼を失ってる。民主の凋落で自民が盛り返したのはいいが、日銀と二人三脚で仕掛けたアベノミクスも底が割れたし、少子高齢化のツケが回ってくるのもこれからだ。数字のマジックで国内総生産を増やしたところで、お先真っ暗じゃ国民の財布の紐は緩まない。(P105)
で、また未来への負債が積み増しされる。年間四十兆円の税収に対して、政府支出が毎年八十兆円。消費増税なんて焼け石に水で、すでに千兆円もの負債を溜め込んでるこの国で、だ。金をばらまきゃ経済が動き、名目税収と支持率が上がって万々歳って理屈は、もうどこの先進国でも通用しない。特に日本の内需はどう頑張っても減少傾向だ。最大のボリュームゾーンだった団塊世代が現役引退したせいで、モノも土地も在庫で根腐れしてる。もうモノの供給を絞ってくしかないところまできてるんだが、こいつは経済界では絶対の禁句だ。消費者の数に合わせて企業の生産性を見直しましょうなんて話、株主資本利益率ひとつでクビが飛ぶ経営者が受け入れるわきゃないからな。そいつらに後押しされてる政治屋どもも、言わずもがなだ。(P110~111)
確かに日本には技術力がある。国債で塩漬けになってる分を除いたって、五百兆円近い個人資産だってある。それほど悲観する必要はないって話もあるが、一人っ子政策のツケが目前に迫ってる中国といい、これからの先進国はどこも生産年齢の減少って事態に直面する。従来のモデルじゃ輸出が伸び悩んでいくのは自明だし、個人資産にしたって大半が消費に回らない死に金だ。(P111)
リストラや経費削減で見かけの数字を稼いでいる会社にいりゃ、いざって時のことを考えて貯蓄に走るしかない。いくら財政出動したって、みんな死に金ブラックホールに呑み込まれちまう。そのへんの庶民感情ってやつが、金に困ったことのない二世議員やお公家さんにはわからんのさ。底を打っただの緩やかに回復してるだの、バカでもできる短観発表で仕事した気になってやがる。十年後を見据えた施策なんて、逆さに振っても出てきやしねぇ。(P112)
この世に、永遠に成長し続けるものなど存在しない。バブル崩壊で学んだはずの教訓をよそに、企業は生産性の向上に励んで大量のモノを供給し、需要者なき市場で値崩れを起こしてはデフレだと嘆く。儲からなければ経営の効率化をさらに推し進め、不要と切り捨てられた人材をあぶれさせて、消費環境の悪化に一層の輪をかけもする。(中略)無制限のばらまき政策で失われた二十年を取り戻そうとしたアベノミクスも、国家財政をより深い負債の海に沈める結果に終わりつつあり、(中略)少子高齢化過程の社会保障制度は、消費税増税程度では将来の年金給付が賄えず、投資による利殖活動なくしてシステムを維持できないところまできているという。未来を担保に経済も人口も膨れ上がらせるだけ膨れ上がらせ、自然的な人口減が始まっても元に戻る道筋さえ見つけられない。エコだ節電だと叫んでも焼け石に水で、自転車操業で経済を回していかない限り、これまでに積み上がった借金の量に圧し潰されてしまう。実体経済だけでは年金機構が破綻するなら、引き続き金融主導型経済を。電気代の高騰で産業の空洞化が懸念されるなら、原発の再稼働を。国内総生産を上回る金融商品が世界規模のバブル崩壊を引き起こそうと、暴走した原子炉が国土を放射能で抉り取ろうと、他に選択の余地はないし、考えても仕方がない。一方の秤に〝危険〟を乗せねば均衡が取れない、それが現代社会の実相であるという現実ひとつを受け入れ、出口のない闇の中を歩き続ける他ない。なにをしても先に進めず、先があるとも信じられずに、見えない牢獄の中をぐるぐると。こうする以外にないのだと囁きかける声、囚人たちの行動をあらかじめ規制する〝ルール〟に縛られて—-。(P162~164)
柵に囚われたノンフィクションよりも、よりフィクションのほうが事実を物語ることもある・・・。福井さんの作品は、Twelve Y.O.、亡国のイージス、川の深さは、終戦のローレライ、機動戦士ガンダムUC などを読んだことがあります。長い序章は重いのですが、徐々に徐々にその世界観に足元から浸っていき、展開がスピードを増している頃にはすっかり世界に浸っていることになる。今回もそのようです。僕にとっては久しぶりの福井ワールドなんですが、展開が楽しみですね。面白いです。
(2018年の18冊目)