11/3(木) 11:45 頃、
百草園駅前のスーパーで昼食を買って、
店の軒先のベンチで お昼 いたしました。
ポカポカ陽気で気持ちいいですねェ~。
ベンチ先客の老紳士から、
「あれってカブなの?」と尋ねてこられ、
「ハンターカブです カブの兄弟ですね」
と答えたら、以前カブに乗ってたらしく、
「自動遠心クラッチとシフトが面白い!」
って、カブ話しで盛り上がりました~。
巡回バスが来た。爺ちゃん元気でね~!
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12:30 頃、百草城跡(日野市百草)へ。
百草城は地域の郷土史家によって1980年代に発見された城跡で、鎌倉~戦国時代にかけての城のようですが、詳しいことはまだわからないようです。
新田義貞率いる倒幕軍と鎌倉幕府軍が戦った分倍河原・関戸合戦(1333)で、城跡内に位置する松連寺(現在の百草八幡宮・京王百草園にかけて存在した)が焼け落ちているとのことで、幕府側陣営の城であったという説もあるようです。
城域内の百草八幡宮にお参りします。
裏の散策路を歩きながら、
地形の痕跡より当時の姿を想像してみる。
樹齢数百年の圧倒的な椎の木さんが凄い。
城域は、
百草八幡宮、京王百草園、松連庵と
広範に及んでいるように思われました。
なので京王百草園にも入場してみます。
(¥300)
茶会が催され、美しい着物姿の老婦人、
梅の老木も見事でした。
京王百草園の最高所・・・ということは、
百草城跡の主郭に到達かな?
生い茂った木がなければ眺望に秀でて、
北岸は急斜面で、弓、槍、刀の戦闘では、
極めて有効な陣地(城)だと思いました。
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ジェラート屋さんに寄ったら休みだった。
( ´艸`)
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13:45 頃、高幡城跡(日野市高幡)へ。
高幡城の詳細も不明です。
1455年の第一次立河(立川)原合戦で、関東公方の足利成氏に敗れた上杉憲秋が高幡城下で自害したとのことで、高幡不動の境内に墓所もありました。
1504年の第二次立河(立川)原合戦で、上杉朝良・今川氏親・北条早雲 VS 上杉顕定・足利政氏との多摩川付近での戦いでも、拠点となったとの説もあるようです。
戦国時代に入ると、北条氏照の配下として、平山氏が城主であったようです。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、北条氏旗下の高幡十右衛門の居城で、豊臣氏旗下の前田利家・上杉景勝の軍勢と戦ったと伝わるそうです。
縄張りは自然地形を生かしたもので、築城年度は室町時代以前で、戦国時代においては小規模な地域の城で、大掛かりな改修はされなかったようです。
高幡不動の裏山が城跡で、比高差は約50m。
田中祥彦著:多摩丘陵の古城址を片手に、
高幡不動からの散策路を登ってゆくと、
尾根上の曲輪群に到着しました。
生い茂った木がなければ眺望に秀でて(東京タワーも見える)渡河地点を押え、急斜面や堀切で、防備を固めたようです。
高幡城跡で検索したら、心霊とか落ち武者のワードが出たけど、特に何も感じなかったけどなぁ~。
戦国時代の城跡は戦いの陣地だから、兵どもが夢の跡、命懸けで戦った場所で、逆に僕はロマンを感じるんですが・・・!
ですが陽が落ちると一変ちょっと怖いよ。
my後頭部は 落ち武者 に近いかなぁ?
( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
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14:30 頃、川辺堀之内城跡(日野市川辺堀之内)へ。
川辺堀之内城の詳細も不明です。
付近一帯は武蔵七党の西党の支配地域で日奉氏が治めていたらしく、室町時代には高麗氏が領有し、戦国時代には北条氏旗下の地域の武将の居館があったとの説もあるようです。
中世には川辺十騎衆というのが存在したらしく、付近には小土豪が割拠し、それらの館が点在していたようです。
多摩川・浅川南岸を制圧してきた後北条氏に対抗して、扇谷・山内上杉氏が構築した、『高幡城・平山城』の監視目的の砦であったという説もあるようです。
台地の南岸下から見た竹林が城跡です。
小さなお城は屋敷規模のようです。
戦国時代以前の地域の名士の居館かなぁ?
城跡へのアクセスはこの辺り。
散策路を歩くと右手に地主の墓地がある。
私有地っぽいので散策路のみを歩きます。
散策路から南向きに曲輪方面を望むと、城跡らしい雰囲気は感じられますね~。
台地南岸に立てば、眺望はよいでしょう。
百草城跡、高幡城跡、川辺堀之内城跡も、ネットや本で曲輪の配置図は見れるので、
気になった方は是非検索して見て欲しい。
苦労して(楽しんで)書かれた各絵図は、一見の価値があると思いますよ。
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17:00 頃に一旦帰宅。
弦月号さんで、ちょいと散走。
( Kawasaki KSR110 )
少し肌寒い風が気持ちイイですねぇ~。
日常から解放された一寸一息・・・かな。
最悪のことを考えつつ楽観的にいくって、稲盛和夫さんの言葉だったかなぁ・・・、そんなことを思いつつ、頑張りましょう!