相原から上和田城山サイクリング

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折りたたんだ状態の愛機 Dwarf galaxy 号 を玄関先に出す。

快晴とはいえないが、予報通りの曇り空。雨は大丈夫だろう。展開して 10:20 頃に出発する。

羽村駅で愛機を折りたたみ、輪行袋に収納、JR青梅線、拝島駅からJR八高線、八王子駅からJR横浜線と乗り継ぎ、相原駅で電車を降りる。

11:40 頃、開札を出たところで愛機を輪行袋から出して展開、

11:45頃、出発します。

駅前から南下して、小さな古い橋を渡ります。境川です。

2016/12/18 に 友人の俊敏さんと走った 高尾 > 江の島 > 茅ヶ崎 サイクリング以来の道です。少し懐かしいですね。旧 – Ver.34’s report – (FC2) に掲載しています。

基本的に右岸の住宅街の曲がりくねった一般道を境川沿いに下る道です。基本的に右岸と書いたのは、川沿いでなるべく舗装路を選んで時々右往左往を楽しんでいたので、割とテキトーなんです。

右岸沿いの橋本五丁目のファミマで飲み物と軽く補給食を購入。

12:30頃、右岸沿いの路地で、神社の門前を通ります。

横山党は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、武蔵国多摩郡横山荘を中心として、武蔵国および相模国北部に割拠した同族的武士団である。武蔵七党の一つ。
矢部城(矢部氏館)は、鎌倉時代に横山党の一員であった矢部義兼がつくったものとされる日本の城。現在の神奈川県相模原市中央区上矢部にあたる。
矢部義兼は1213年の和田合戦で戦死してしまう。享年67といわれている。
(Wikipediaより)

矢部城(矢部氏館)には、いつか探索に行きたいですね。

12:45 頃、右岸沿いの親水広場で小休止。

 

12:55 頃、鹿嶋神社の崖下を通ると横穴が・・・防空壕の跡でしょうか。近寄って覗いてみると、安全の為か半ば埋めてありました。

 

13:35 頃、東急田園都市線そばの水道橋のアーチ。

14:15 頃、第一目的地の仕事関係先に到着、補足調査を済まします。

14:50 頃、大和市上和田 境川右岸沿いの 上和田城山 に到着。

地形の凹凸が城の遺構の名残りに思えて、静かなる興奮を覚えます。

防御の空堀りが道に・・・そもそも道が空堀・・・想像が膨らみます。

この段々は、昔はもっと急峻で高く、敵兵の侵入を阻んだのではと。

今は つわものどもが ゆめのあと 小さな緑のお山となっています。

桜ヶ丘駅前に案内板があり、上和田城山が出ています。

和田 義盛は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将・御家人。初代侍所別当。三浦氏の一族で源頼朝の挙兵に参加。鎌倉に頼朝の初期武家政権がつくられると初代侍所別当に任じられる。治承・寿永の乱では源範頼の軍奉行となり、山陽道を遠征し九州に渡り、平家の背後を遮断した。平家滅亡後は奥州合戦に従軍して武功を立てた。頼朝の死後、梶原景時の変での景時弾劾追放では中心的な役割を果たし、比企能員の変や畠山重忠の乱などの御家人の乱では北条氏に与した。しかし、2代執権・北条義時の挑発を受けて挙兵に追い込まれ、幕府軍を相手に鎌倉で戦うが敗死し、和田一族も滅亡した(和田合戦)。(Wikipediaより)

ちなみにその和田合戦で、先程立ち寄った御嶽神社を創建した矢部義兼も戦死しているとのことでしたね。

城からは、小さい城からは特に、人々の営みや栄枯盛衰の息吹、出会いと別れ、歴史の濁流に流されときに抗い翻弄される人々の、腑に落とした躍動や慈哀を感じます。

15:40 頃、桜ヶ丘駅に到着。小田急江ノ島線ですね!

疲れたので、
電車に乗って、帰ることにします(笑)。
小さい自転車って面白いですね!

走行距離はだいたい 31キロ ぐらいでした。

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