玉川上水滑走路延長跡

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僕が生まれ育った立川の砂川界隈にて、面白そうな史跡を検索していて、思わず食いついてしまった史跡を発見。

僕の子供時代の遊び場エリアの何気ない謎として、脳裏の片隅にあったけど、もう忘れていた場所が、なんと「玉川上水滑走路延長跡」として、出ているではありませんか!

西武立川駅の南側の玉川上水が、ここだけ暗渠になっている理由について、子供だった頃に「なんでだろう?」と思っていたことを、謎として憶えておりました。

「そうか昭和飛行機の滑走路を延長するつもりだったんだ!」
思わず膝を打ちました(凄いスッキリ・・・そういうことだったのか~)。

この辺りは、旧横田基地、昭和飛行機、旧立川基地、立川飛行機等々、軍都だったわけですが、戦争に敗けて昭和飛行機の滑走路延長計画はなくなったようです。もっとも横田基地の滑走路は戦後に米軍により強引に延長され、牛浜から砂川へ真っ直ぐ抜けていた五日市街道は拝島経由に付け替えられ、今も大渋滞の元になっております。

16時25分頃、懐かしい玉川上水の暗渠の入口側(西側)へ行ってみます(柵の網目から撮影)。
年代物の低いアーチ型の欄干が時代を感じさせます。暗渠の天井部分も緩いアーチ型になっていて、手間を掛けて極力少ない資材で造るという、人件費が安くて材料が貴重だった当時の時代背景が見えてくるようです。

暗渠の出口側(東側)です。欄干が台形型の平面であることが解ります。
暗渠の天井部分の緩いアーチ型もよく解りますね。

今は遊歩道となって、市民の憩いの場所として利用されていますが、この場所に滑走路が延長される予定だったことを知っている地元住民も、興味のない人にはあまり知られていないのではと思われます。

案内板を設置していただけると、史跡巡りの散策が更に楽しくなるのでは思いました。

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