嫁が車ぶつけた

6/10の夜
嫁:「ねえねえ怒らないでね」
俺:「何が?」
嫁:「怒らないでね・・・」
俺:「何が?・・・(嫌な予感)」
嫁:「車・・・少し擦っちゃった」
俺:「えっ・・・又ぶつけたの・・・?」
嫁:「ううん 擦っただけ ぶつけてない」
俺:「・・・マジか(ガックリ)」
嫁:「あっ怒ってる だから嫌なんだよ」
俺:「まだ怒ってないし」
嫁:「ううん 顔が怒ってるじゃ~ん!」
   (-_-メ)
俺:「はあっ?何逆ギレしてんの?」
嫁:「今度から気をつけてね(*^^)v
   とかさ 笑って言えね~のかよ!」
俺:「あのさ 何でこうもぶつけるかな?
   テリオスはリアゲート交換
   ステップワゴンはスライドドア交換
   エスティマは運転席ドア交換
   その他諸々擦り刷りガリガリ
   運転は上手いけど注意力なさすぎ」
嫁:「過ぎたことはしかたないじゃん
   早く見てきてよ 擦ったとこを」

俺:「ちょっとじゃないじゃん
   バンパー曲がってるし・・・」
嫁:「曲がってません 擦っただけだし」
俺:「何処にぶつけたの?」
嫁:「実家の玄関ポーチ」
俺:「自分のテリトリーでぶつけんなよ」
嫁:「そんなの仕方ないじゃん」
俺:「本当の少し擦ったのは黙ってるし
   目立つやつは少しと言うし(苦笑)
   はぁ~修理代バンパー交換かなぁ」
嫁:「ちょこっとペンキ塗るとかでいい」
俺:「よくない 取付ステーが曲がってる
   落下したらどうする?」
嫁:「落ちるわけないじゃん
   いいじゃん既に傷はあるんだし」
俺:「あのな全部オマエな擦ったの!」
嫁:「男のくせに細かいこと言うな」

などと他愛もない夫婦の小バトルが続き、
嫁さんは絶対に謝らないモードに突入。
わかっているからここは手打ちで(笑)。

平日の昼間は嫁が通勤で使っているので、
仕事終わりに車屋さんに寄ってもらい、
修理の見積もりをしてもらうと、
「やったね~曲がってるね~」とのこと。
交換だと6万、塗装なら3万とのことで、
修理は塗装でお願いするこにしました。
(傷補正・取付ステーの修正含む)

一週間ほどお預けして、傷ひとつなく、
無事に綺麗になって戻ってきました。
(写真は雨天走行で汚れていますが)

嫁ちゃん 安全運転でマジお願いします。
特に注意力散漫に気をつけてください。
こればっかりは性格と習慣だからなぁ。

「トイレの電気消し忘れに気をつけて」
嫁からの反撃の言葉でございました。
┐(´∀`)┌ヤレヤレ めんどくせー(笑)。

若洲風力発電施設

5/20、
あさイチでエブリイさんのオイル交換へ。
(5千キロ毎の)
いつもの車屋さんに作業をお願いします。
リフトアップしたら下廻りは割とキレイ。
なんか萌える(いい年齢して)光景です。
いやぁ・・・全く廉価なお車なんですが。
( ̄m ̄〃)ぷぷっ! 自慢度ゼロっす!
(むしろ下のリフトの方が凄い)

新車で3年3カ月で5万キロ余り・・・、
自家用の割にはよく走る方かなぁ・・・。
(車屋さんが大袈裟に驚くもんで)

帰宅後、
切抜き待ちの新聞の山の整理をしてたら、
そうそうあった、若洲公園の風力発電が、
来年度に撤去されちゃうんだったっけか。

壊した後は太陽光とは・・・残念だなぁ。
ひょいと出て来た(記事が)のは、
「観ておいでよ」「ユ~行っちゃいなよ」
と、幸運の女神様が言った気がしました。

今宵はいつもの所用がございまして、
24時30分に任務終了。(^O^)/
それからエブリイさんで、
夜のハイウェイを飛ばしまして、
(跳々~軽貨物~体感速度のみ~(笑))
夜景の綺麗な道中の東京港臨海道路より、
ジェイウィンド東京湾臨海風力発電所
東京風ぐるまの漆黒の回転に感動しつつ、
東京ゲートブリッジはお上りさん状態で、
25時30分に若洲公園付近に現着です!

でかぁ・・・もう見てるだけでドキドキ。
風力発電の風車は本当に格好いいと思う。
構造物として知的で力強く魅力的かなと。

残念ながら、今は稼働停止中なんですが、
先程稼働中の風力発電所を望遠できたし、
夜の巨大風車の回転を想像してみました。

スマホでズームしたら航空灯がピカッと。
ちょっと宇宙空間っぽい感じに見えます。
来年度の取壊し後に太陽光発電新設より、
僕的には風力発電を once again !
_(_^_)_ なんて思ってしまいました。

余談ですが、
反対車線でパトカーがじっとしています。
何やってんだろ(どっちがだよ)・・・。
( ´艸`)

27時にご帰宅・・・眠すぎだぁ・・・。
奥方様に「只今帰りました」と帰宅報告。
酒も飲まずに爆睡いたします。
(^.^)/~~~

江東区HPより若洲風力発電所の
スペックを転載させていただきました。

メーカー ノルデックス社(ドイツ)
定格(最大)出力 1,950kW
年間想定発電量  270万kWh
高さ       100m
ブレード(翼)の長さ 40m
発電し始める風速(カットイン風速)
         毎秒4m/s
定格出力で発電する風速
         風速12~25m/s

巡羊羹

長男坊の大学卒業旅行のお土産で、
旭日旗と高尾型の重巡洋艦が印刷された、
その名も巡羊羹を買ってきてくれました。
世界に誇った名艦じゃないすか。
大和ミュージアムで買ってきたようです。
S = 1 / 10 の大和は凄かったらしい。

巡羊羹
武田製鋼(株):呉市本通7丁目

大変美味しくいただきました。

酒好きですが、
甘いもの大好きなVer.34です。

エブリイ ポジション LED

2/18に1年点検。
納車から3年で約46064キロ走行。
消耗品の交換をお願いしましたが、
今回はオイル交換のみでした。
「ブレーキは平気?」って訊いてみたら、
「パッド残はあるから大丈夫」とのこと。

ところが次の週末、
ポジションランプの片方が球切れ・・・。
「点検出したばかりなのに」と嫁の嘆き。
「仕方ないよ、そんなもんさ」とオイラ。
急いで交換したくて(日曜は車屋休み)、
羽村のオートバックスへ。

ポジションランプを、
純正のハロゲンからLEDにしてみたら、
6500K 300lm 明るいっすね。

といいますか、
イケイケのお兄ちゃん車っぽい光撃です。
( ´艸`)

明るい方が前がよく見えるしね。
ヘッドライトも明るくしたいな。

STUDLESS

12/11
入間市寺竹のミツミタイヤさんで、

春夏秋タイヤとして使用している
GOOD YEAR CARGO PRO
145/80R12LT 80/78N を

冬タイヤの
BRIDGESTONE STUDLESS W300
145/80R12 80/78N LT に
履き替え(新調)いたしました。

二日連続でミツミタイヤさんだね!
(よかったら是非HPを観てからどうぞ)

我が家のエブリイさんは、
距離をそこそこ走るので、
2シーズンで新品に交換することに。

プラス、雪が降ったら砂を100キロ、
荷室に積んで後輪荷重を増やします。
それでも、FRは滑ります(笑)。
特に 嫁ちゃん の運転が怖いっす。

冬になると、
4駆にしときゃぁよかったって、
毎年思うけど、
春になると、2駆でよかったって、
思ってしまう移り気なオイラです。

今年の冬の雪はどうかなぁ?
大雪対策で鎖のチェーンも持ってるけど、
使う機会がある気がしています。

宮寺氏館跡

12/10

朝イチで母の住まいに向かい、母の車(ワゴンR)を預かって、入間市寺竹のミツミタイヤさんで、ホイル込みでスタッドレスタイヤに交換してもらいました。

165/55 R15 を、

155/65 R14 へ インチダウン。
BLIZZAK VRX2 にしときました。

せっかく入間に来たんだし(笑)、さて、近くに城跡はないかなぁと検索。
なぬ?・・・宮寺氏館跡ですと・・・。
よし、ちょっと行ってみようか!

10:40頃、着いた。
お寺さんをひと回りして駐車場所を探す。
法事をやってるっぽかったので、公園前にちょい置かせていただきました。

宮寺氏館跡(入間市宮寺)

現在は西勝院というお寺さんで、宮寺氏の菩提寺とのことです。

入間市HPより宮寺氏館跡実測図を転載。

入間市HPより宮寺氏館跡解説文を転載
市指定文化財(史跡・昭和59年7月25日)
 宮寺氏は、武蔵七党のひとつ村山党(平姓)の武士で、村山頼家の二男家平が鎌倉時代に宮寺郷の領主となって居館を構え、宮寺氏を称したとされる。その後、鎌倉幕府滅亡時には加納下野守(しもつけのかみ)が、江戸時代には狩尾氏・伊濃氏が居を構えたといわれ、現在は西勝院(さいしょういん)の境内地となっている。
 外郭約130m四方で、内郭の堀跡・土塁の一部が残存している。土塁の外側に沿って、狭山丘陵からの沢水を利用した水堀が館を囲っていた。周辺には「城ノ腰(しろのこし)」・「城東(しろひがし)」・「的場(まとば)」・「的場後(まとばうしろ)」という小字があり、館に関係のある地名と考えられる。また、境内より鎌倉期から室町期にかけての板碑や宝篋印塔(ほうきょういんとう)が出土している。

とのことで、この館の主は、
宮寺氏(平安末・1100年代末)
加納下野守(~鎌倉末・1330年代)
〇〇氏(南北朝・1330年代~)
〇〇氏(~戦国時代・1500年代末)
〇〇氏(~安土桃山・1600年代初頭)
狩尾氏(江戸時代~・1600年代初頭)
伊濃氏(~江戸時代・1600年代初頭)
の居館であったということかな?
範囲は4~500年の期間ですから、数え切れない人達が関わっていて、想像すると気が遠くなりますが、館を巡る人生の攻防は興味深いです。

館の主の移り変わりを7行で書いたけど、数十年の人生でもいろいろあるのに、数百年でこれっぽっちの記録など、何もわかっていないのと同じで、記録に残っていない人々の営みの痕跡が、土で成る城に残っているように思います。

本堂前にてお参りさせていただいた後に、遺構の中央土塁を見学します・・・凄い。
今はなだらかになっていても、無言の存在感がある。
往時の土塁はもっと高く、空堀は深く、険しかったものと推察いたします。

現地解説板より

館南西部の半壊した土塁も残っています。

館西側の水堀は、現在の水路とのことで、往時は水堀内側(右側)に土塁があったと考えられているようです。

館跡北東部の別の案内板より
史跡宮寺館跡
 桓武天皇九代の孫 平頼任は、今からおよそ九百年前、村山に住んで武蔵七党の一つである村山党の祖となった。その子孫は、枝葉のように入間郡を中心にひろがって大武士団となり、源頼朝の鎌倉幕府の成立に大きな力となったことは、広く知られているところである。
 村山(平)頼任の子 頼家に四子があった。長男家綱は入間郡大井町に住んで大井氏を名のり、三男家範は入間市の金子に住んで金子氏となり、四男家継は所沢山口に住んで山口氏をとなえ、そして、二男の家平は宮寺の領主となって宮寺五郎と称して、この地に居館を構えたのである。
 源頼朝、同義経の家来で、源平合戦で名高い金子十郎家忠は、宮寺五郎家平の弟家範の子である。家平の一族と思われる宮寺三郎や宮寺蔵人の名が、当時の史書に見えるから、十郎家忠らとともに活躍したのであろう。
 すでに八百年以上も昔のことであるから、この居館跡の全体の姿を知ることはむずかしいが、西勝院境内の東部に残る長さ約三十メートル、高さ約二メートルの土塁と空堀は明らかに当時の遺構の一部で、さらにその土塁のつづきは、昭和二十七年ころまで、北隣の荻野家の屋敷の北側約百二十メートルにわたってのこっていたのである。
 元弘三年(西暦一三三三)に鎌倉幕府が滅びたころには、加納下野守なるものがここにいたと伝えられ、江戸時代から狩尾氏、のちに伊濃氏(猪尾、井野尾、伊野尾とも書いた)がいたが、この間のくわしい事情はよくわからない。
 以上宮寺館跡の概略を記して見学者の参考に資するものである。
  昭和五八年九月十九日
   入間市教育委員会
   宮寺郷土を知る会
   入間市文化財研究同好会

とのことです。
こりゃぁ・・・親と四兄弟の居城を巡るようだね(笑)。
こうして、偶然訪れた城跡から、広がってゆくんだよね!
僕の城跡好きは、小学生の頃に釣りの帰りに友人と迷い込んだ(笑)滝山城跡に始まります。その子ども時代の興奮が今も一緒なんだよね・・・進歩してないっす。
( ´艸`) 子供オジサンですから・・・。

13:50頃に帰宅。
自宅と母の住まいとの往復は、弦月号(Kawasaki KSR110)で、快走いたしました。
子供オジサンの愛機ですよ!
来週は、オイル交換と自賠責の更新です。

引越し~母の味~OIL~OUTEX

10/22AM、実家の引越しの荷物運び。
隣は既に解体されて更地に・・・。
区画整理で仕方ないけど寂しい光景です。

エブリイに荷物満載で母の小物を運ぶ。
趣味の洋裁の生地ほか荷物が多い・・・。
新居との間をいままで何往復しただろう。
10往復はしてるような・・・( ´艸`)、
母親は荷物が多すぎなんだよ。
かなり捨てたつもりらしいけども・・・。
モンチッチお友達サイズとか、
ケースに入ったフランス人形とか、
ミシン3台とか、母の宝物らしいので。
持っていくしかないわな~・・・。
来月に引越し業者が大物を運ぶので、
その前に不用品を処分&小物を運んでる。

お昼ご飯は母の手料理をいただきました。
イワシのハンバーグが美味いっす。
粗食ですが全て手作りです(トマトも)。
母の手料理が大好きなマザコン息子です。

母は午後は仕事ですので(78才)、
僕も実家を後にして、
エブリイのオイル交換に向かいます。

約束の時間に少し間があり、
サマーランドの対岸から、
根小屋城跡の山並みを望みます。

整備工場で5000km毎のオイル交換。
おかげさまでエブリイさんは快調です。
交換後のエンジンノイズの静かさが好き!

帰り際にバイク屋さんに顔を出すと、
「明日じゃなく今から作業できますよ」
とのことですので、お願いすることに。
一旦帰宅して、
ハンターカブ(スカーレット号)で店へ。

お店で代車のアドレスを借りました。
フィーリングは自動で動く椅子って感じ。
しかも すげ~ 速いし。
なんという運動性能・・・と唸りました。

で、マフラーが、ノーマルから、

こうなりました、OUTEX!

やっとハンターカブらしくなったかな?

バッフル&TPP装着につき静かです。
しばらくは様子見かな ( ´艸`) 。

Top Gun:Maverick ⑤

トップガン マーヴェリック 5回目、観てきました。

前回同様、ちょっと高級な席に座ってみました。
両側に衝立があって座席間隔も広く、快適に映画を鑑賞することが出来ました。
笑っちゃいますけど、ひとつの映画を5回も映画館で観たのは人生初更新中です。

Kawasaki Ninja GPZ900R
極超音速機 DARK STAR
Kawasaki Ninja H2 Carbon
F/A18E/Fスーパーホーネット
PORSCHE 911S
J/125 BOAT
F-14トムキャット
P-51マスタング
と、カッコイイ乗り物のオンパレード。

愛と友情と慈しみと親心と冒険と別れと左遷と情熱と転落と復活と挑戦と達成と、とにかく人生がギッシリ詰まった今作品が魅力的なのは間違いないっす。

エブリイ 球切れ

10/1の未明、走っていて左側が暗いことに気づく・・・。
信号待ちで、前走車のボディーに反射する筈のヘッドライトの左側がない・・・ガ~ン。
(´;ω;`)ウゥゥ
球切れかいな・・・カッコワル~・・・。
こ~ゆ~ときに補助灯(フォグランプ等)があるとよかったね~と思う・・・ないけど。

10/1の朝が明けて、イチバンに車屋さんに飛び込んで、ヘッドライトの球の交換をお願いしました(左右両方)。
飛び込んですぐ後に店に電話があり、そのお客さんの方が先だったら僕は後回しになるところでした。思い立ったが吉日 でしたね。
「白っぽい光のヤツ どうなの」って尋ねたら、「純正で3万~その他で2万ぐらい」っていうので(以前に乗ってたエスティマのライトは高かったっけ・・・)・・・やめた。
( ̄m ̄〃)ぷぷっ!

交換作業を見ていたら、バンパーを外して~ライト本体も外して作業をしている・・・何で?と尋ねたら「外さないと手が入らない」とのことでした。
たしかにそうで、電球を外すだけならそのまんまでも外せるけど、電球を正しく装着するのが厄介なんだよね(前に他の車で自分でやって電球取付に苦労したので自分ではやりたくないの・・・笑)。
( ´艸`)

まだ生きてる方の球(右側)は予備として持っておきます。

取り外した球は OSRAM BILUX 64195 GERMAMY 12V60/55W H4 U37R E1 00801 w9R1 2055 と刻印がしてありまして、なにか見ていて古さと新しさが融合した面白い部品だなぁとマジマジと眺めてしまいました。
おぉ♪(ノ)’∀`(ヾ)

納車から2年8カ月、39000km余り走っての球切れでした。

昭和公園のD51 451

公園内にある市役所施設に寄りましたが、担当者が帰ってくる時間まで少し間があったので、10数年ぶりにD51に会ってきました。
きれいにお色直しされていて、ちょっと感動しちゃいました。
10数年前・・・2008年に子供達3人を連れて来たときは、

割とボロボロの錆々でしたもので・・・。
思えばD51の451号機さんは、僕が小学生の頃からここに居て、当時の友達と来てはよく遊ばせていただきました。蒸気機関車といえば真っ先に思い浮かぶのはこのデゴイチさんです。

ちょうど、お母さんに連れられた小さなお子さんがいて、元気よくデゴイチさんの周りを疾駆しておりました。そのうち運転席に座ったらしく、ガチャガチャとレバーを操作している音が聞こえてくると、お母さんが「こら、ロープが張ってあるでしょ、いじっちゃダメってことですよ」と注意されていました(笑・・・そりゃいじるよな、子供だもの)。
子供達が帰る時、「デゴイチさん ありがとう」って何度も何度も連呼しながら帰っていきました。お母さんが教えてるんだろうなぁ・・・ちょっと感動しちゃいましたよ、今時の若いお母さんもなかなかやるのぉ~。

動輪周りのメカニカルさ、美しいね。

運転席より・・・前方視界良くないですね(笑)。
よく運転したもんだ!

昭和46年からここに居るってことですよね。

令和3年に改修されたようです。
改修を願った人達がいて、その願いを実現すべく改修計画を企画する人達が現れ、地域の実力者の協力を得つつ改修資金を募り、参加者のすそ野を広げて、改修計画を実現していったのだろうなぁ~、なんて想像すると、胸が熱くなっちゃいますね。

もし、孫が生まれたら、3世代で来たいですね。
僕も「デゴイチさん ありがとう」と言いたい。
これからもよろしく。