唐沢山城跡 相沢酒造 佐野城跡を巡る🚘

6/23 今日はクルマでの移動です。

10:40、栃木県佐野市の唐沢山城跡に到着。

越後から三国峠を越えて関東へ押し寄せる当時最強クラスの戦国大名、上杉謙信の軍勢に10回も攻められた城というのは凄い。

上杉と北条に挟まれて、佐野氏や領民は大変だったよね。

上杉謙信がやってきたといっても、遊びでなく、城攻めに来るわけで、唐沢山城の堅固さが際立ちます。

しかし城下の領民にとっては、家屋や田畑は灰塵に帰し、捕まれば拉致や生命の危険の憂き目にあい、それが毎年繰り返されたのですから・・・戦国時代とはそういう時代とはいえ、生きるのは厳しかっただろうな。

城は領民の避難所でもあったのでしょうね。

①の駐車場から入る。③の井戸は山城としては貴重だね。枯れたことがないそうです。しかし城が大きい。小さい山城が好きな僕には手に余る規模です。

④の四つ目堀を渡り、三の丸、二の丸を左に見上げながら、大手道を登ってゆきます。⑥の南城側から本丸に登ります。関東には珍しい戦国時代の高石垣が圧巻です。重機もない時代に人力・牛力・馬力で・・・頭が下がります。

本丸から大手道や二の丸を見下ろす。荒々しい石垣が美しい。

本丸から南方を見る。晴れていれば江戸(東京)が望めるそうです。

まさに唐沢山城は要害ですね。凄い城だ。いろいろな由来やら伝承やらがあるので、興味のある方は是非どうぞ。上杉謙信が10回も攻めあぐねた名城です。

唐沢山神社の社務所で、『戦国 唐沢山城 武士たちの夢の跡(著者:出井博)』という本を買いました。読むのが楽しみです。

12:10、佐野ラーメンが食べたくて、佐野市堀米町の らーめん文 さんへ。

チャーシューメンをいただきました。手打ちの腰のある縮れ麺と柔らかいチャーシューとスープがとても美味しかったです。お店は混んでいて活気があり繁盛していました。

13:10、佐野市堀米町の相沢酒造さんへ。

休業日の札が出ていましたが、店の戸が開いていて、声を掛けてみたら蔵元さんが出てこられて、愛乃澤 純米吟醸 純 720㎖ を買うことができました。飲むのが楽しみです。

13:40、佐野市若松町にある佐野城跡へ。

わずか十数年で佐野氏は改易、城も廃城とは、厳しい時代ですね。

元々、古墳があって、佐野厄除け大師の惣宗寺があった場所だそうです。

二の丸や本丸西側の土塁、本丸と二の丸や北出丸の間の空堀が見所です。

改易された佐野氏は幕府旗本として代々続いたそうです。廃城後の城下町のその後の発展や領民の暮らしを知りたいのですが、又の機会にしたいと思います。

今井城跡 五十嵐酒造 大河原城跡を巡る散走

6/2

9:24 に家を出る。天気は曇り。陽射しは強くなく助かる~。

先日登城した青梅 藤橋の藤橋城跡の望遠を撮る為、藤橋城跡北側の霞川沿いへ寄り道します。

撮影の後(藤橋城跡の記事に追加しました)、僕が19歳から数年間住んでいた懐かしい青梅市今井の住宅街(人手に渡った元我が家は今も健在でした!お久しぶりね~😢)を抜けていきます。

そこからスイスイと東に走って、10:08 青梅 今井の今井城跡へ。

空堀がいい感じですね。往時はより高く深く急斜面だったことでしょう。

登城しました、

主郭は除草され開けていますが、樹木が生い茂り眺望はききません。

朽ちたお社がありました。

今井城跡を南側から望遠します。

小さいお城ですが、往時は地域にとって大切なお城だったことでしょう。歴史に埋もれた庶民の暮らしに、在地の今井氏の栄枯盛衰に想いを馳せます。

今井城跡を後にして、八高線沿いを北上します。金子から入間川への下り坂がとても気持ちいいです。落下物や路面コンディションには注意しましょう。気を抜かずにね!

10:47 飯能 市川寺の五十嵐酒造に到着。

おいしそうなお酒がたくさん並んでいて迷うけど、ベーシックなものを。天覧山 本醸造 の 四合瓶を購入。それと『天覧山』のロゴが入ったぐい吞みもひとつ!飲むのが楽しみだなぁ。

近くの城跡を検索すると、大河原城跡がヒットしました。向かうことにします。

なんか素敵な建物だね。お店かな。いい感じ。

三角屋根の連棟がいいね。軒先に樋がなくてシャープ。きっと二階はお洒落だぞ・・・と想像してみる。

入間川沿いを走ってきたつもりが、徐々に川から離れてる感じで・・・道は広く長い登り坂になってエッチラオッチラ・・・???、停まって位置を確認すると、なにここ・・・間違ってるし(笑)。

せっかく登ってきたんだから、そのまま登って飯能市クリーンセンター前の大きな十字路を右折北上・・・ふ~。

サインアーテックという会社の前で除草ヤギさん発見。かわいい。呼んだらすぐ脇まで来るし!除草ヤギを放つとは、なんていい会社なんだ。斜面の除草はヤギさんがいい。癒されます。ありがとう。会社の最強の広報係なんじゃないかな。道を間違えなかったら出会えなかったよ。

名残り惜しくもヤギさんとお別れして出発!

シューっと下り坂を疾駆します。いやはや気持ちいい。坂道を登った甲斐があるよ。分岐路にお地蔵さんが!ここを右だ!導かれました。ありがとうございます。

お、あの山の辺りだな・・・、

11:52 飯能 大河原 の大河原城跡を望む。

牛乳屋さんの店員さんに城跡の登り口を訊くと、すぐそこの会館のところから登れますよと教えていただきました。ありがとうございます。早速会館へ!

案内板によると

八耳堂

軍茶利神社

大河原城 館跡地

登山道を登ります。たぶん登山道で、登城路ではないとは思うけど。

龍崖山山頂の大河原城跡の主郭に登城しました。軽登山の大先輩の団体さんが15人ぐらいいて、賑やかでしたよ~。

主郭南側の堀切

有志により程よく手入れをされたよい山城ですね。現在は軽登山を楽しむ方々の憩いの山として、愛されている城跡でした。城跡ということを知らない方々も多いことでしょう。街も建物も城跡も、人の活気って大切ですね。下山にて先程の大先輩の団体さんに追いついたら、「急行さんが来たから譲って~」と号令をかけてくれ、道を空けてくださいました。ありがとうございます。山っていいね。

大河原城跡を後にして、飯能市街に向かいます。吾妻渓が美しい。バーベキューが楽しそう!

途中、飯能市博物館に寄って、大河原城跡の資料を入手する。

飯能市街に立つ美しい銅像の前で呼び止められる・・・美しい。瀬音というタイトルで制作者として T.SATO の刻印がありました。女性の銅像ではあまり停まらないのだけれど、美しさに停まっちゃいましたよ。いい作品だね。

13:40 東飯能駅に到着。愛機を折りたたんで輪行バックに収納します。

西武線の特急電車が通過したけど、銀色のニョロニョロみたいな妙なデザインだった(笑)。なにあれ。ん~時代か・・・。

14:06発のJR八高線 八王子行きに乗ります。

14:24 東福生駅で電車を降りる。

愛機を輪行バックから展開して、走り出します。

14:48 帰宅しました。この頃は毎晩の日本酒効果?なのか(笑)体調もいいし、毎日漕いでる成果も若干あるのか?上り坂も下り坂も楽しいね。

少し蒸したけど、曇り空で陽射しが優しくて身体的には助かりました。

34㌔ほど走りました。

乗機は、小さい銀河号 (BS スニーカーライト SNL163)でした。

また走ろう!

藤橋城跡 長澤酒造 田波目城跡 毛呂氏館跡 高取城跡を巡る散走

5/18

酒蔵に行こう。城跡に行こう。

埼玉方面だね。

9:42に自宅を出発。

走りながら沿線気になるウォッチング。

折りたたみ自転車の楽しみのひとつです。

なかなか、とんがってる家だね~。

シンプルなファサードと植栽が美しいね。

10:25頃、青梅 藤橋の藤橋城跡に到着。

登城しました。城跡内の案内板によると、

土塁が残る。城とは土で成るものなり。

北方の眼下を見下ろす。

沸々と血が沸き立つような気が・・・。

戦国時代に想いを馳せる。

小さい城だけれど、立派なものだね。

北方の霞川沿いから藤橋城跡を望遠する(6/2写真追加)。

城を後にする。岩蔵街道を北に向かう。

下り坂を調子よく走っていたら、後ろから徐々に並走してきた乗用車に幅寄せされ端に追いやられたら目の前に陥没穴が迫る!・・・ギリギリ回避、頭に血が上る!!!抗議しようと力走するも追いつけず・・・腹立つ~、危なかったです。走りながら心を静めます。冷静に冷静に。追いつかなくて良かったんだよ。その日一日台無しになるところだったかも。まだまだじゃのぉ僕も・・・。

広い通りを素直に進むだけでなく、気になる裏道に入ってみたり、普通ではまず通らないような縁もゆかりもない初めて通る細道も、僕の自転車の楽しみのひとつですね。

岩井堂橋から成木川の渓谷を見る。

西武池袋線の飯能駅を過ぎた辺り、いい感じの建物が。2013年に70年の歴史があった工場が移転し、2016年にクリエイターの集まるシェアアトリエとしてリノベーションされたとのことです。

思わず笑みがこぼれた可愛い家。

11:25頃、7-11飯能駅北口店で、缶コーヒー・コッペパン玉子・ツナマヨ手巻寿司を買って休憩。納豆巻きが売れ残ってるね・・・ツナマヨ増やして(笑)!

11:40頃、北に向かう。

八高通りの中居の交差点。いい感じのお寺が見えてきたので寄ってみよう。

曹洞宗の宝蔵寺というお寺さんで、綺麗な本堂だね。お寺の裏山の第二天覧山が気になる・・・。

北側の採光と換気を考えてる居宅兼工場。

上の写真の建物と続いている工場のこれぞハイサイド採光。

かかし効果(笑)?

飯能寄居線を北に進みます。

トーベ・ヤンソンに敬意を表して。

東飯能~高麗川駅間にある八高線事故慰霊碑。事故は1947.2.25 7:50 に起きた。カーブを曲がり切れなかった客車三両が脱線転覆。死者184人・重軽傷者570人という日本鉄道史上で最大規模の惨事だったとのことです。手を合わせました。

高麗川の四季の菓子工房シャロンという洋菓子屋さん。素敵な建物ですね。

「素敵なお庭と建物ですね 写真を撮らせてください」とお願いして撮らせていただきました「あら やだよ~(笑)」って照れ笑いしている大先輩のご婦人とお洒落な作業着も素敵です。

展示場のログハウス。シャープな屋根がいいね。

12:40頃、日高 北平沢の長澤酒造 君が旗 高麗王 醸造元に到着。

おいしそうなお酒がたくさん並んでいるけれど、まずはベーシックなもので、高麗王純米酒 の 四合瓶を購入(一升瓶を背負って走るのもなんなので)。飲むのが楽しみだなぁ。

12:55頃、出発。近くの城跡に行ってみよう!

高麗川橋から八高線の橋梁を望む。架線がありません。スッキリ。

高麗川沿いを北上し、法雲寺横を抜けて、高麗川左岸の断崖の激坂を登る(途中から押し歩き)。

13:15頃、坂戸 西坂戸の田波目(田和目)城跡に到着。

北側から登城?のような方位左の谷状地を通ってアプローチする。

登城しました。鬱蒼と茂り、兵どもが夢の跡、眺望はまったくきかず。

主郭のなかを通り、北東部に出て、田波目城跡を後に北上します。

かわいい門扉周りの飾りつけですね。癒されます。

シャープで深く低い軒先が美しい屋根ですね。アプローチも美しい。

八高線の踏切(踏切からはみ出てないです)。架線がなくてスッキリ。

沿道の花が美しくて。

13:55頃、毛呂山 小田谷鳳谷の毛呂氏館跡に到着。城主の毛呂氏開基の長栄寺の境内となります。お寺さんに手を合わせてから登城開始。

ため池を望む。急坂につきペダルをガードレールに引っ掛けて駐機しています。

境内の案内板より。

登城しました。城跡は倒木で荒れています。

一応、山頂も目指しましたが、半袖半ズボンのサイクルウェアで、草木が生い茂った巨木も倒れる惨状に立ち入るのは危険と判断し、断念しました。貴重な文化遺産なのでせめてもう少し整備してほしいですね。城跡ファンを集めて有志のボランティアで少しづつ整備してはと思いました。

城跡を後にして、北上します。

越生郵便局の窓ガラスに映った僕。

越生の山間の坂道をエッチラオッチラ登る。舗装路は行き止まり、道は土の登山道へ・・。仕方なく愛機を置いて、徒歩で山道をテクテク登る。

14:50頃、越生の高取城跡に登城しました。土塁が美しいですね。

主曲輪は越生神社奥宮となっており、よく除草されています。

石の祠が時の流れを感じさせます。

外側の樹々が生い茂り、眺望はききませんが、これはこれでよいのかも知れません。

駅前の観光協会で入手した「おごせの文化財・越生町教育委員会」によると、(P5~6)

関東平野を望む標高170mの頂上が平らに削られ、土塁や空堀で画された数段の郭(曲輪)の跡がのこされている。(中略)『新編武蔵風土寄稿』には、「越生四郎左衛門屋敷跡 村の西にあり、上り二町許の山丘にして、平地の処は僅か二十間四方もあるべし、古は要害山と唱えし由、今はとなへ誤りて、りふかひ山といへり、山の四辺は大抵松杉の類、雑木茂りて屋敷の跡たるさまおもひやられる」とある。越生四郎左衛門は、南朝の総大将北畠顕家を討ち取るという抜群の戦功を挙げた(中略)。この城の築城者や城主は不明であるが、織物会館付近一帯と伝えられている越生氏の館跡との関係を考えると、館の背後に、有事の際の備えとして築かれた「物見の砦」や「詰めの城」である可能性がある。

とのことでした。

城をあとにします。

15:35頃、JR越生駅に到着。

八高線の発車時刻まで30分ほどあり(一時間に一本)、小腹が空いたので駅前の商店で(レジ手打ち)ちちぶメロンサイダー と チョコバナナロールを買って食べました。意外といけました!

お~、二両編成のワンマン気動車(ディーゼルカー)がやってきました。令和Tシャツを着たカワイイ男の子を抱いたままスマホで列車を撮影しているお父さんがいいですね。

列車は定刻の16:12に発車。高麗川で電車に乗り換えて、東福生駅で降ります。

輪行袋をたたんで仕舞って、のんび~りと巡航し、17:25頃に帰宅しました。

酒造所を1蔵 と 城跡を4城 巡ったポタリングとなりました。

46㌔程 走りました。面白かった~。

乗機は、小さい銀河号 (Dwarf galaxy号・BS スニーカーライト SNL163)でした。

前川國男邸復元工事報告書

前川國男邸復元工事報告書
編集:江戸東京たてもの園
発行1999/3

建築家の前川國男さん(1905-1986)設計の建物で、僕はこの前川國男邸が一番好きです。

大昔、二十歳そこそこの頃に雑誌かなにかでモノクロの写真で初めて見たときに、飛行機の格納庫みたいでかっこいいな~というのが第一印象。

それ以来、僕にとってはカッコイイ格納庫建築なんです。

建築家の清家清さん(1918-2005)曰く、「住宅は生活の格納庫」とテレビ番組かなにかでおっしゃられていたのも僕にとって影響していると思いますが、前川國男邸=格納庫なんです(すいません)。

江戸東京博物館で実際に建物に入ったとき、明治村のフランクロイドライトさん設計の旧帝国ホテルの玄関に入ったときのような感動を体験しました。凄い建物だ・・・と、固まってしまいました。そしてやはりこれは格納庫だと、それもとびきりの。

正しく建築を勉強された方からはお叱りの言葉をいただきそうですが・・・。

建物見学をされていた一般の年配のご婦人が「なんて素敵な建物なの~!」って感動されていましたが、まったくもってその通りだと。

本文中、建築家の大谷幸夫さん(1924-2013)が、座談会のなかで、「この建物が傑作なのは、前川先生が、この建物を三浦美代さん(妻)に捧げようとしたからだ。」(P80)とあったけど、とても素敵なエピソードですね。

(2019 年の23冊目)

初詣 鶴岡八幡宮 と 鳩サブレー と 海街diary

鎌倉の鶴岡八幡宮さんへ初詣に行く。

6時の電車に揺られつつ、『海街diary 第9巻』を読みながら、時々 『すずちゃんの海街レシピ』 や 『すずちゃんの鎌倉さんぽ』 に目を通しつつ(笑)、いつの間にか8時に鎌倉駅へ。8時半頃には参拝できました。去年は遅い時間に行ってかなり並びましたので、やはり初詣の参拝は早めの時間に限ります。

お神酒とお札をいただき、おみくじを引き、甘酒を飲んで境内を後にします。

実に清々しい気持ちになりました。

鎌倉といえば、銘菓 鳩サブレー。明治の末頃からあるらしく、なんと発売から約110年もの歴史があるとは。愛すべき 定番の 銘菓 ですね。お土産にお買い上げです。

鎌倉駅から江ノ電に乗ります。

線路端の車止めの上にカエルがいる。ふと渋谷駅前のアオガエルを思い出す(笑)。江ノ電によく似合ってます。

かわいいですね。お久しぶりです。

極楽寺駅で降ります。そうなんです。吉田秋生さん作の 海街diary の4姉妹が住む家の最寄り駅で、作中に何度も出てくる あの駅 なんです。来ちゃった~。もしかして居ないかな~・・・そんな気にもなる小さくて素敵な駅です。

駅のすぐ北側の赤い屋根の地蔵堂。今にも登場人物たちが出てきそう!

東側の桜橋を渡って少し行った左側、極楽寺坂切通し上の GOKURAKU亭 というカフェでコーヒーをいただきます。鎌倉のコーヒーは雰囲気も含めて美味しいなぁ。江ノ電や極楽寺界隈が描かれた山田獏さん作の素敵な絵葉書を六枚買いました。

鎌倉っていいなぁ・・・住んでみたい。

後ろ髪を引かれる思いで(引かれるほど髪の毛ないけど)、鎌倉を後にします。

藤沢→登戸→立川経由で、13時半頃に帰宅しました。

お土産の 鳩サブレー を家族で美味しくいただきました。ありがとう!

小屋2 男の秘密基地

小屋2 男の秘密基地
WORLD MOOK 1181
発行2018/9
ワールドフォトプレス

特集記事の

イギリスの小屋コンテストは見ていて楽しかったです。イギリスの人ってこういうの好きですよね。例えば車の MINI とか、007の小さな特殊装備とか、サンダーバードの秘密基地とか、機関車トーマスとか、男の子がワクワクするような・・・イギリス人のセンスって面白い。

NEW YORK CITY のビルの屋上に木製水槽が一万基以上もあるという記事にはワクワクしました。日本じゃ考えられない。お国が変われば考え方も変わる。面白いですね。

ポートランドのADUの達人 Kol・Peterson、「ソローの小屋と椅子たち」のちょっとした記事も興味を引きました。

小屋をつくるなら、どんな小屋がいいかな・・・想像するだけで楽しくなりませんか?

城ヶ島 と 江の島 の 灯台

8/23(木)、城ヶ島灯台に行ってみた。
三浦半島の先っぽの先 城ヶ島 。
岬の頂に建つ 小さな灯台 。

鎌倉時代、三浦水軍の本拠地で、戦国時代に北条氏との戦いで滅亡するも、その残党の末裔の苗字は今も残るようです。
歴史ロマン・・・勇壮な血が流れているのですね。

幕末から昭和20年の終戦まで砲台が置かれ、城ヶ島の名に相応しい歴史があります。

そうそう、小学一年生の頃、東大生のことを灯台生だと思っていて、灯台の塔の階段に座って講義を受けているものと本気で思ってました。「すっげ~、あの筒の中で勉強してるんだ~、カッコイイ~」と、灯台の図鑑の断面図を見て、想像に胸が膨らんでいました。いや~お恥ずかしい。灯台って言うと思い出しちゃうんですよね(笑)。

案内板

この案内板で一番心が揺れ動いたのは、

猫しゃんでした。

実に気持ち良さそうに寝ていて、指先 とか 肉球 とか 鼻先 とかそっと触れても、
微動だにせず爆睡。
近くで飼われている愛され猫なんでしょうね。癒されました。

灯台から見える太平洋は、台風20号の影響で、波打ち際は白い飛沫が上がっています。

昼食(鮪カツ丼・懐かしい味)をいただいた しぶき亭 のご主人に、「波が高いので波打ち際にはあまり近寄らないでくださいね」と丁寧にお知らせいただきました。楽しく食事が出来ました。ありがとうございます。

 

江の島展望灯台にも寄ってみました。Sea Candle ともいうそうです。

旧江の島灯台(僕の記憶にあるのはこっちかな)は、日本初の民間灯台だったそうです(知らないことばかりですね)。

現在の灯台は 江ノ島電鉄 により、清水建設の設計施工で、2002年に着工~2003年に竣工、地上60m、海面から107mの高さで、光達距離は46km(民間灯台としては国内最大級)とのことです。

台風20号の影響で、呼吸困難(笑)になりそうな、髪の毛グシャグシャになるような(僕の毛は微動だにしない・・・ないけど)、強風が吹いていましたが、海風はなかなか気持ちよかったです。

Sea Candle 展望台から 江の島大橋 を見下ろす。風で舞った土埃で白っぽく霞んでいます。波のうねりがよく見えます。猛禽類のトンビさんが、気持ち良さそうにヒラリヒラリと滑空していました。

ダムもいいけど、塔っていうのもいいもんだね。小さな灯台って素敵です。

高幡鹿島台ガーデン54 & フォレステージ高幡鹿島台

2018.7.14 12:45 多摩都市モノレールに乗って程久保駅で下車。愛機 Dwarf galaxy 号とともに降り立つ。30度超えの気温、日射、舗装の照り返し、目的地方向の丘を見上げていると、折りたたみ自転車で来たことを少し後悔しましたが、上り坂も検証してみようと思います。

中程久保から西に向かって斜面を登り始める。200mほど進んだら右折して北に向かって更に急な坂を登り始める。たった3速ギアの折りたたみ自転車にとっては、かなりの坂で、道路沿いの塀の目地を見ると勾配がわかろうかというものです。この真っ直ぐで長い急坂は、積雪やアイスバ-ンの際はどうするのだろうかとか、道路でキャッチボールや玉蹴り遊びなどしてキャッチし損ねたらどうなるのだろうかとか、ブレーキの効かない子供の自転車の暴走等々、妄想は膨らんで、恐怖を覚えてしまいました。車庫入れで車のフレームが歪まないかなぁとかも・・・。

丘を越え、道は急な上り坂(南斜面)から緩い下り坂(北斜面)に変わりました。左手には高幡鹿島台のガーデン54とフォレステージの内部に開かれた住宅街が広がっているようです。先に高幡鹿島台ガーデン54(1984)のほうから訪れてみます。

建築家:宮脇 檀さんが宅造設計の段階から環境計画に取り組んだとのことで、ボンエルフ、ポケットパーク、フットパス、生垣、街路樹、シンボルツリー、門扉、門灯、駐車場などを統一して、連続性のあるヒューマンスケールの美しい街並みがそこにはありました。そこだけ別世界といってもいい街並みでした。

ボンエルフ(生活道路において、車道を蛇行させるなどして自動車の速度を下げさせ、歩行者との共存を図ろうとする道路 Wikipedia)、生垣、シンボルツリー、門扉、門灯、駐車場などの外構が統一された美しい街並み。

街区を横切るフットパス(小道)は、風や光が駆け抜け、街路と直行する生活動線をとっていて、視覚的にも楽しい変化があった。

住宅方向にはカメラを向けなかったのですが、空き地があったので向けさせていただきました。まさに宮脇 檀さんの設計した住宅地という感じですね。このデザインは1984年ということで34年も前のものですが、これらのデザインが、今日の住宅メーカーや街の外構に与えた影響はとても大きいと思いました。

ポケットパークは、息抜き、コミュニケーションの場、住宅街の品位や快適性を高めていました。

仕事柄か地面のことが気になるのですが、植樹ますや雨水側溝がコンクリート製でなく、煉瓦を斜めに使用したものであることに感動してしまいました。こういう部分でも人への配慮が感じられますね。公共の建物の外構でこういう納まりはあると思いますが、もしやその元祖なのかな・・・と思ったもので。

擁壁の水抜き穴も目地と組み合わされて四角くて(中の塩ビパイプは丸形ですが)、カッコイイですね。

緩い曲線と並木と街路灯と植樹桝とボンエルフ。30数年が経過し、痛みもありますが、それも含めて美しい街並みだと思います。

住宅街の並木とは。

フットパス(小道)とは。ポケットパークとは。

隣接するフォレステージ高幡鹿島台(1997)へ。

上記の高幡鹿島台ガーデン54に隣接した社宅跡地を、宮脇 檀さんの設計で再開発した住宅地とのことです。

ガーデン54とは趣を変えて、緑化されて緩やかに曲がる街並みと、クルドサック型(道路の末端がサークル状で自動車はUターン可能)の道路及び広場には、居住者共有のシンボルツリーで緑化された憩いの場が広がっていました。

ここの擁壁の水抜き穴は四角くではなくて丸形でしたが、やはり目地と組み合わされていて、美しい納まりなのではないかと思いました。

シンボルツリーの廻りを廻れることについて、宮脇 檀さんの住宅設計では特徴的な回遊性というものを、意識してしまいました。楽しい広場ですね。井戸でもあれば井戸端会議に華が咲きそうです。

緑化されて緩やかに曲がる街並み・・・なかなかここまでは一般の住宅街では計画することは出来ないでしょう。ですが、これからの郊外の街並みは、長所がないと過疎化して没落してゆくケースが増えると思います。

高幡鹿島台ガーデン54、

フォレステージ高幡鹿島台、

ともに素晴らしい住宅街でした。

建築家:宮脇 檀さんの住宅設計に対する圧倒的なスペックや熱意を、一端から思い知らされるような経験になりました。

ガーデン54とフォレスレージともに、街区内外では素晴らしい設計でしたが、街区の外側に広がる一帯は、斜面と言うこともあって、住むにはそれなりの覚悟がいる場所と感じました。冒頭で述べましたが、積雪、アイスバ-ン、道路で遊べない、自転車には不向き(電動アシスト必須(自転車趣味人除く))、なにより年を取ったら歩いて買い物や駅に行くことも難しいので、これからはライフラインの維持も含めてどうなのかなと思いました。なにか、坂の街として、地域をけん引するものが必要なのではないかとも思いました。

すぐ北東には、高幡城址があるので(そういう厳しい地形ということです)、別の機会に行ってみたいと思います。

13:45 程久保駅にて愛機を輪行バックに収納して、多摩都市モノレールに再び乗り込みます。予定より早く戻りましたが、坂道で頑張りすぎたのと、この猛暑で参ってしまったからです。宮脇 檀さんの設計した・・・ということでなければ、折りたたみ自転車で丘を登ることもなかったでしょう(笑)。

モノレール車内で、近くの二人組の女子高生が「あのバックに何が入っているのかな?」「たぶん折りたたみ自転車だよ」と、話しているではありませんか。よく分かったなと感心しました。さすがだね。なんか嬉しかったな。

地元の駅を降りて、古本屋さんへ。一冊必ず何か買おうと決めて店に入るも、これはと思える本を見つけられず。仕方なく何年か前の本だけど、ホリエモンが刑務所で1000冊の本を読んだらしいので、面白そうなので買ってみた。刑務所もスキルにして、起き上がって来るのは凄いなと思います。ロケットも造ってるし。

17:15 福生にて、多摩サイの夕陽を望む。

17:30 帰宅しました。

自宅~駅 程久保駅~現地~程久保駅 駅~古本屋~自宅 の行程で、本日は15㌔ほど走りました。

暑かった~。ポロシャツが、汗で蒸れて、エアコンで乾いてを繰り返して、帰宅時にはプール帰りの海パンみたいな匂いになってた(笑)。