地域や漁業と共存共栄する洋上風力発電づくり

地域や漁業と共存共栄する
   洋上風力発電づくり
著者:渋谷正信
発行:2021/3
KKロングセラーズ

 異常気象が人々に実感として体感されるようになって、従来からの文明生活の継続性に限界が見え始め、国策からビジネスへと再生可能エネルギー導入のウェーブが起こって、太陽光や風力発電が注目されています。

 今現状として、最もエコロジー&エコノミーな乗り物は自転車(笑)で、オートバイ、軽自動車、リッターカー、ハイブリッド、電気自動車と続く感じでしょうか。

 世の中的にはEVがエコカーということになっていますが、製造から廃棄に至るまでのトータル二酸化炭素排出量は、発電やバッテリーの廃棄まで考慮すると、現状ではEVは未だ不利だと思っていますが、近い将来に再生エネ発電が普及し環境負荷の軽いバッテリーが普及すれば、価格も含めてEVの環境優位性は増すものと信じています。

 などと前置きが長くなりましたが、再生エネの太陽光発電は見ていてつまらないんですよ・・・無表情で静かだし・・・。そこへいくと風力発電は風車がグルグルと回り、風切り音が聞こえたり、ジブリ映画にも風車は出てきますが、文明的な歴史もあって、面白いんじゃないかって僕は思っているのかな?

 海の中に構造物をつくれば、海の環境が悪くなって、魚や海藻は寄り付かなくなるのではないかという話をよく耳にします。
 ところが実際に水中を観ると、風の塔や海ほたるの海中は魚や海藻の楽園になっていたのです。(P30)

 また、自分の内側を見つめるという「内観」も体験しました。今思い返すと、弟の自殺や部下の裏切りで精神が弱っていたようでした。
 わらをもすがる気持ちで内観に取り組んだと思います。
 内観をする際、三つのテーマが与えられました。
・お世話になったこと
・お返ししたこと
・迷惑をかけたこと
 生まれたときから現在まで、この三つを手掛かりにしながら、父や母について丹念に記憶の中から「事実」を調べていくものでした。(P53~54)

オランダ・イマーレス研究所が教えてくれた「海はとても豊かになっている」
 リンデブーム博士の調査の結果は次の通りでした。
 洋上風力発電の風車が建っている海域では、確実に魚介類が増えていました。私がアクアラインの海中で体験したのと同じことが起こっているのです。
 海鳥も増えていました。魚が増えれば、当然のことながら、それを餌とする海鳥も集まってきます。(P78~79)

五島の沖につくられた一基の洋上風力発電。その海域を調べたら、次のようなことがわかりました。
①洋上風力発電は電気をつくるだけでなく、良好な漁場もつくれるのではないか。一石二鳥で環境と漁業資源戦略になるのではないか、ということ。
②ヨーロッパのように洋上風力発電がたくさん並ぶ海は、大漁場になる可能性が見えてきたこと。
③漁業者の方のヤル気をきびしい磯焼けの海に向けることで、海藻(ヒジキ)を再生することができたこと。
④洋上風力発電を建設するには漁業者の方との協力が不可欠だということです。(P128)

 洋上風力発電は、主目的は電気をつくることであっても、風車の水中部をエコロジカルデザインにすることで海の環境が回復して漁業が豊かになり、漁業が活性化することで地域が豊かになるというサイクルができ、周辺の住民にとっても大きな喜びを生み出すことができると思っています。
 CO2を削減するエネルギー問題解決と同時に、海の環境や漁業の再生・活性化ができる洋上風力発電の普及をめざしています。(P141~142)

 著書にありましたが、持続可能な社会を目指す上で、再生可能エネルギーの比率を上げるしかありませんし、環境の面ではもちろんのこと、ビジネスの面でも大きな期待が持たれていますし、課題はまだまだたくさんあるようですが、風力発電って面白いと思いますよ!

北条早雲

北条早雲
著者:池上裕子
発行:2017/7
山川出版社

 戦国大名 小田原北条氏の祖、北条早雲(伊勢盛時)についての小冊子。

 伊勢盛時は、自身では北条を名乗ったことはなく、子の氏綱の代に、(氏綱が)鎌倉北条氏末裔の女性との婚姻(P86) や 扇谷・山内両上杉氏打倒、武蔵制圧、房総侵攻継続を当面の目標とし、ひいては関東に覇を唱える構想(夢)があったであろう。上杉苗字に対抗できる名乗りとして、北条を選んだに違いない。伊豆での拠点の辺りが北条と呼ばれたこと、鎌倉北条氏が伊豆から相模に進出し、幕府の執権となったことなどが念頭に合ったかと推測される。それはまた、由緒ある伊勢名字に決別し、関東支配に軸足をおいたことを意味しよう。(P87) ということで、北条と名乗るようになったようです。

 京都では、室町幕府と関係の深い武家に生まれ育ったとはいえ、少数の家来を引き連れて伊豆に小さな足掛かりを築いてから、そこから伊豆と相模の二か国を平定し、後に関東の覇者となった小田原北条氏の礎となった伊勢新九郎盛時(北条早雲)とは、先見性と実行力と人心掌握術に長けた天才創業経営者であったともいえるのでしょうね。

 近場の城跡を訪ねると、小田原北条氏に必ず関係してきますので、暫くは北条さんから目が離せません(笑)。

ハゲタカ2.5ハーディ下

ハゲタカ2.5ハーディ下
著者:真山仁
発行:2017/11
   2011~2013 雑誌掲載作品
講談社文庫

途中まで読んで、積ん読になってました。
(;^_^A アセアセ・・・

ハゲタカシリーズは1~5まで既読です!

本作は2と3の間のスピンオフ作品で、
読むのを再開したら、やっぱ面白いです。
待っててくれる紙の本はやはり、イイネ!

って、上巻の時に書いてたのですが、
ホントにそのまんまの気分でやんす。

土曜の夜と日曜AM

 昨夜は拝島で17:30に合流して、2020.11.29に飯能から入間川・荒川沿いを東京湾まで折りたたみ自転車で一緒に走った俊敏さんと飲むことになりました。

 「断わられるのも楽しもうぜ」と、予約なしで人気店の『大柴』さんの戸を一寸期待して潜ってみるも、やはり「満席です」と丁重に断られ(笑)、次の店もダメだろうな(笑)と逆期待してお向かいの『ハイカラ酒場』さんの戸を潜ってみたら、「お二人様どうぞ~」と一つだけ空いてたテーブル席に座れました・・・ラッキーですね!というか、もっと空席を探して徘徊してもよかったのですが・・・。

 ハイボールを飲みながら、串焼き盛り合わせ、とんぺい焼き、もつ鍋、枝豆、塩昆布キューリ、ポテトフライ、じゃがマヨ明太チーズなど美味しくいただきました。

 積もる話はお互いに盛沢山でしたが、特に食に関してはお互いに好き嫌いがないことや、出てくる食べ物に関しては、大抵食べてしまう等、食癖が似ていることや、学生時代の似た境遇・・・(爆)で盛り上がりました!

 俊敏さんは会社経営者でもあり、苦境に負けない力強い目力が印象的で、元気をいただきました。

 帰り際、駅前のコンビニで奥方様へ(酔っ払って電話して)のスウィーツを買って帰途につきました。途中で福生の七夕祭り帰りで友人と立ち話をしている小娘に遭遇。ご機嫌に「〇〇〇ちゃんのパパです」と手を振って挨拶しながら通り過ぎました(笑)。

 翌朝はゆっくり起きて(11時間爆睡)、午前中に小一時間ほど多摩川河川敷にて、ごみ拾い散歩を楽しみました。

 面白いもんで、吸い殻などの小物は袋の下に溜まり、マスクや紙コップなどの大物(笑)は袋の上に待機していて、割れたビンなどの危険物を拾ったときには切り口を包む梱包材となって袋が破れないように役立ったりして、拾う前後の因果関係に運命めいたものを感じたり(笑)、その思い付きの一手先に思わぬ世界が広がっていたり・・・ごみに導かれております。

 そこそこ集まりました。スタバ や 7-11 はやはり売れているんだな~と経済活動を良い意味で実感いたしました。個数でいうと断トツで煙草の吸い殻ですが、季節柄か花火も多かったですね~。空き缶や瓶を分別して、ごみ拾い散歩終了です。
 曇り時々雨で助かりました。

 お昼(朝昼兼用(笑))は、奥方様(野口さん)のつくってくれた冷やし中華を美味しくいただきました。

 よし、これから積ん読になってる本でも読もうか!

新九郎、奔る! 13

新九郎、奔る! 13
著者:ゆうきまさみ
発行:2023/4
BIG SPIRITS COMICS SPECIAL

 戦国大名 小田原北条氏の祖、伊勢新九郎盛時(北条早雲)の物語。

 伊勢盛時(北条早雲)の若い頃は、親の代からの借金の返済に苦労したようですね。
 しかし、「京でそれなりの活動をするにはそれなりの銭がかかる。」「贈答やら任官の礼銭やら酒宴の開催やら。」「家格が上がればそれだけ出費がかさむ。」etc・・・。
 跡取りは、プラスの財産の相続の恩恵ばかりが語られますが、マイナスの財産という負債の返済責任も引き継ぐわけで、昔も今も大変だなぁ~と思った次第です。

 表紙帯にもあるように戦国大名の先駆けともいわれる伊勢盛時(北条早雲)さんですが、東荏原の領主を辞し、少数の家来を引き連れて新天地の伊豆にいかにして足場を築いていくのか、いかにして相模や武蔵に覇を唱えていくのか、今後の展開が楽しみですね!

 面白いのは、刀の時代の軍記ものや城跡の本を読んでいると「歴史が好きなんだね」と割と好意的に言われますが、戦艦や戦闘機の時代の軍記ものや要塞の本を読んでいると「軍国主義なんだね」と暗に批判的に言われてしまいます・・・。
 いかに先の大戦へのアレルギーが日本人の心のDNAに残っているのかの、ひとつの正しい反応なのかな・・・とも思った次第です。

 平和が一番です。
 ですが平和は現に脅かされます。
 ではどうやって平和を維持するのか?
 答えは自然界にあるのかも・・・。

 僕には小さいことしか出来ませんが、
 面白がって生きたいと思ってますが!

立河氏館跡(昭島市中神町)

6/10、小さな城跡を検索していたら、昭島の中神町に立川照重館跡とある。
ちょっと気になるじゃないですか。
スカーレット号で行ってみましょう。
14:00頃に現着しました。

立川の砂川に育った僕は、多摩川での釣りや川遊びでよく自転車で通った中神坂(昔はもっと狭かったような・・・)の上のお寺さん(福厳寺)が館跡のようです。
へぇ~・・・ここがそうなんだ。
子供の頃は全く館跡なんて思いもせず、意外さや懐かしさとともに、何気なく通り過ぎていた身近な街並みにも、激動の歴史が埋もれているのだなぁ~と感慨深いものがあります。

中神坂交差点より館跡(福厳寺)を見る。

これも立派な玉石積ですね。
左右で石の大きさが違うのが興味深い。
施工年度が違うのか工事人が違うのか。

館跡の南側には防空壕の跡があります。
こういう部分にも歴史が残っています。

福厳寺さん本堂に参拝してから境内散策。
土塁や空堀などの遺構は不明でした。

案内板は文字が薄くて判読し難いです。

手持ちの資料の昭島の歴史によると

P79>
 『新編武蔵風土寄稿』には、福厳寺の項で「(福厳寺は)村の伝承によると、天正(1573~92)以前、立河宮内少輔一族の館があったところである」としています。確かに福厳寺は、普済寺の末寺になっています。
 また寺には『福厳寺境内及び除地絵図』(明治4年)があります。これには、かつて居館であったことを推測させる、土塁が描かれています。

P69>立河氏
 武蔵七党の、西党日奉氏の一流。宗恒の代から立河氏を称したという。
 鎌倉時代、現在の立川辺りの地頭であった。1213(建保元)年、和田義盛の乱で、西党21家が加担し、北条義時に滅ぼされた中で、平山氏と共に北条氏に味方し、その後も生き残った。
 室町時代は、土淵郷(現日野市)の地頭を兼ね、文和年間(1352~56)現在の柴崎町に普済寺を建てた記録がある。現在土塁が残るが、館との関係ははっきりしていない。
 柴崎八幡宮(現、諏訪神社に合祀)の本地仏阿弥陀如来に、天正14年(1586)年の背銘が残っており、立川照重の名がみえる。
 1590(天正18)年、北条氏の滅亡と共に、滅びたとされる。

とのことでした。

臨済宗建長寺派寺院名鑑によると

P74>智勝山 福厳寺
開基萬松和尚が夢窓国師を開山に観請して創建(1624)。寺域は往時武蔵七党一派の立川宮内少輔一族が居館した跡という。

とのことでした。

多摩川沿いの断崖沿いには多くの城館跡が点在していますが、断崖は湧き水が豊富で当時の農業には必須で、そこを抑える為と地形を生かした防御上の利点も高かったのでしょう。

兵どもが夢の跡・・・何を想いますか。

蒼い夜の狼たち

蒼い夜の狼たち
作 :寺崎美紅
絵 :玉川麻衣
発行:2022/1
出版:たばやま観光推進機構

先日、山梨の小菅城跡の帰り道、
道の駅たばやまで出会った絵本。
地域の狼伝承に由来しています。

山の神様の使いとして、
山間の里には山犬(日本狼)伝承があり、
御岳山や三峯山などが知られていますが、
丹波山の七ツ石山のお話しが本作品です。

日本狼は、
鹿や猪や猿などが里に出る前に捕食して、
里山の人々の農作物を守る山の神として、
人々に篤く信仰されていたのだそうです。

地域に残る素敵な伝承や物語、
深いブルーの蒼き狼の美しい雄姿。
道の駅たばやまでの素敵な出会いでした。

小菅城跡(山梨県小菅村)

5/28(日)、
11時45分頃に自宅を出発、
奥多摩湖畔で小休止して小菅村へ。

道中、懐かしい かどや旅館さん前にて。

13時30分頃に小菅城下に到着。
スカーレット号の駐機場所を探すと、
箭弓(やぎゅう)神社脇に場所があり。

有難いことに小菅城の案内板があり、
遺構の様子がわかるようになっています。
上の地図と比べると、
東西方向に新しい道が一本走っています。

まずは箭弓神社に参拝してから城内へ。

入口は神社北側に整備されています。
(少し風化で荒れていますが)
西斜面の山道を登ると、
自然地形を利用した小さな山城(砦)の
全容が徐々に伝わってくるようです。

図の一番西寄りの堀切。

図の中央左寄りの大きな堀切。

図の中央の堀切。右の斜面上が主曲輪。

北側帯状腰曲輪。右の斜面上が主曲輪。

東側帯状腰曲輪。左の斜面上が主曲輪。

南側帯状腰曲輪を登ると斜面上が主曲輪。
戦国時代当時は、斜面は急で堀切は深く、
上は板塀等で囲われ下は隠れ場所もなく、
上から準備された矢や石礫が降り注ぎ、
近づく敵には槍がエイヤと突き出され、
簡単に登れる場所ではあり得ず・・・。
僕なんか秒殺でしょうな ( ´艸`) 。

主曲輪には小さな祠が祭られていました。
参拝してから小さな山城で小休止です。

いつもの言わせて、「兵どもが夢の跡」。

破壊カ所から下って虎口を見下ろす。

虎口下より御屋敷跡の小学校を見下ろす。
城を南に出た所にも案内板がありました。

本来のお城の出入口はこちら方面でした。
(勝手口から入ったのが σ(゚∀゚ )オレ )
知らんかった_(_^_)_反省・・・。

小さな山城(砦)は全国に無数にあって、
多くが忘却の彼方に去ろうとしています。
小菅城跡の遺構は、有志の活動と研究で、
わかりやすく実に素晴らしい城跡でした。

復路、道の駅たばやまで小休止。
売店でこの地域の狼の絵本を買いました。

作 :寺崎美紅
絵 :玉川麻衣
発行:2022/1
出版:たばやま観光推進機構

読むのが楽しみな狼伝承の絵本です。

若洲風力発電施設

5/20、
あさイチでエブリイさんのオイル交換へ。
(5千キロ毎の)
いつもの車屋さんに作業をお願いします。
リフトアップしたら下廻りは割とキレイ。
なんか萌える(いい年齢して)光景です。
いやぁ・・・全く廉価なお車なんですが。
( ̄m ̄〃)ぷぷっ! 自慢度ゼロっす!
(むしろ下のリフトの方が凄い)

新車で3年3カ月で5万キロ余り・・・、
自家用の割にはよく走る方かなぁ・・・。
(車屋さんが大袈裟に驚くもんで)

帰宅後、
切抜き待ちの新聞の山の整理をしてたら、
そうそうあった、若洲公園の風力発電が、
来年度に撤去されちゃうんだったっけか。

壊した後は太陽光とは・・・残念だなぁ。
ひょいと出て来た(記事が)のは、
「観ておいでよ」「ユ~行っちゃいなよ」
と、幸運の女神様が言った気がしました。

今宵はいつもの所用がございまして、
24時30分に任務終了。(^O^)/
それからエブリイさんで、
夜のハイウェイを飛ばしまして、
(跳々~軽貨物~体感速度のみ~(笑))
夜景の綺麗な道中の東京港臨海道路より、
ジェイウィンド東京湾臨海風力発電所
東京風ぐるまの漆黒の回転に感動しつつ、
東京ゲートブリッジはお上りさん状態で、
25時30分に若洲公園付近に現着です!

でかぁ・・・もう見てるだけでドキドキ。
風力発電の風車は本当に格好いいと思う。
構造物として知的で力強く魅力的かなと。

残念ながら、今は稼働停止中なんですが、
先程稼働中の風力発電所を望遠できたし、
夜の巨大風車の回転を想像してみました。

スマホでズームしたら航空灯がピカッと。
ちょっと宇宙空間っぽい感じに見えます。
来年度の取壊し後に太陽光発電新設より、
僕的には風力発電を once again !
_(_^_)_ なんて思ってしまいました。

余談ですが、
反対車線でパトカーがじっとしています。
何やってんだろ(どっちがだよ)・・・。
( ´艸`)

27時にご帰宅・・・眠すぎだぁ・・・。
奥方様に「只今帰りました」と帰宅報告。
酒も飲まずに爆睡いたします。
(^.^)/~~~

江東区HPより若洲風力発電所の
スペックを転載させていただきました。

メーカー ノルデックス社(ドイツ)
定格(最大)出力 1,950kW
年間想定発電量  270万kWh
高さ       100m
ブレード(翼)の長さ 40m
発電し始める風速(カットイン風速)
         毎秒4m/s
定格出力で発電する風速
         風速12~25m/s

陽だまりでのんびり

3/19

昨夜は久しぶりの面子で楽しい飲み。
(たくさん飲んだぞ~)
日曜はゆっくり起きて、庭先で、
新聞や読みかけの小説を読んで、
陽だまりでのんびり過ごしました。
(出掛けるには寝坊しすぎた・・・笑)

アメリカの金融不安が波及して、
日本の株式相場にも影響を及ぼす。
日経平均、TOPIX、NYダウ、
NASDAQ、その他を気にしつつ、
保有&追跡銘柄から目が離せない。
一年間の株式運用はざっとこんな感じ。
金額が少ないからたいしたことないけど。
( ´艸`) まだまだ勉強中ですわ。