多摩の某所にて

昭和40年代新築の住宅を耐震診断の後、

耐震改修にて筋交いを増設しています。

筋交での土台の浮き上がりを防止する為、

適材適所に金物を増設しています。

旧い建物を大切に引き継いで更新する。

それもひとつのエコロジーですよね。

住宅ストックを活用して更新して使う。

建物も乗り物も楽しみながら使い続ける。

新しいものにはない豊かさがあると思う。

藤橋城跡 長澤酒造 田波目城跡 毛呂氏館跡 高取城跡を巡る散走

5/18

酒蔵に行こう。城跡に行こう。

埼玉方面だね。

9:42に自宅を出発。

走りながら沿線気になるウォッチング。

折りたたみ自転車の楽しみのひとつです。

なかなか、とんがってる家だね~。

シンプルなファサードと植栽が美しいね。

10:25頃、青梅 藤橋の藤橋城跡に到着。

登城しました。城跡内の案内板によると、

土塁が残る。城とは土で成るものなり。

北方の眼下を見下ろす。

沸々と血が沸き立つような気が・・・。

戦国時代に想いを馳せる。

小さい城だけれど、立派なものだね。

北方の霞川沿いから藤橋城跡を望遠する(6/2写真追加)。

城を後にする。岩蔵街道を北に向かう。

下り坂を調子よく走っていたら、後ろから徐々に並走してきた乗用車に幅寄せされ端に追いやられたら目の前に陥没穴が迫る!・・・ギリギリ回避、頭に血が上る!!!抗議しようと力走するも追いつけず・・・腹立つ~、危なかったです。走りながら心を静めます。冷静に冷静に。追いつかなくて良かったんだよ。その日一日台無しになるところだったかも。まだまだじゃのぉ僕も・・・。

広い通りを素直に進むだけでなく、気になる裏道に入ってみたり、普通ではまず通らないような縁もゆかりもない初めて通る細道も、僕の自転車の楽しみのひとつですね。

岩井堂橋から成木川の渓谷を見る。

西武池袋線の飯能駅を過ぎた辺り、いい感じの建物が。2013年に70年の歴史があった工場が移転し、2016年にクリエイターの集まるシェアアトリエとしてリノベーションされたとのことです。

思わず笑みがこぼれた可愛い家。

11:25頃、7-11飯能駅北口店で、缶コーヒー・コッペパン玉子・ツナマヨ手巻寿司を買って休憩。納豆巻きが売れ残ってるね・・・ツナマヨ増やして(笑)!

11:40頃、北に向かう。

八高通りの中居の交差点。いい感じのお寺が見えてきたので寄ってみよう。

曹洞宗の宝蔵寺というお寺さんで、綺麗な本堂だね。お寺の裏山の第二天覧山が気になる・・・。

北側の採光と換気を考えてる居宅兼工場。

上の写真の建物と続いている工場のこれぞハイサイド採光。

かかし効果(笑)?

飯能寄居線を北に進みます。

トーベ・ヤンソンに敬意を表して。

東飯能~高麗川駅間にある八高線事故慰霊碑。事故は1947.2.25 7:50 に起きた。カーブを曲がり切れなかった客車三両が脱線転覆。死者184人・重軽傷者570人という日本鉄道史上で最大規模の惨事だったとのことです。手を合わせました。

高麗川の四季の菓子工房シャロンという洋菓子屋さん。素敵な建物ですね。

「素敵なお庭と建物ですね 写真を撮らせてください」とお願いして撮らせていただきました「あら やだよ~(笑)」って照れ笑いしている大先輩のご婦人とお洒落な作業着も素敵です。

展示場のログハウス。シャープな屋根がいいね。

12:40頃、日高 北平沢の長澤酒造 君が旗 高麗王 醸造元に到着。

おいしそうなお酒がたくさん並んでいるけれど、まずはベーシックなもので、高麗王純米酒 の 四合瓶を購入(一升瓶を背負って走るのもなんなので)。飲むのが楽しみだなぁ。

12:55頃、出発。近くの城跡に行ってみよう!

高麗川橋から八高線の橋梁を望む。架線がありません。スッキリ。

高麗川沿いを北上し、法雲寺横を抜けて、高麗川左岸の断崖の激坂を登る(途中から押し歩き)。

13:15頃、坂戸 西坂戸の田波目(田和目)城跡に到着。

北側から登城?のような方位左の谷状地を通ってアプローチする。

登城しました。鬱蒼と茂り、兵どもが夢の跡、眺望はまったくきかず。

主郭のなかを通り、北東部に出て、田波目城跡を後に北上します。

かわいい門扉周りの飾りつけですね。癒されます。

シャープで深く低い軒先が美しい屋根ですね。アプローチも美しい。

八高線の踏切(踏切からはみ出てないです)。架線がなくてスッキリ。

沿道の花が美しくて。

13:55頃、毛呂山 小田谷鳳谷の毛呂氏館跡に到着。城主の毛呂氏開基の長栄寺の境内となります。お寺さんに手を合わせてから登城開始。

ため池を望む。急坂につきペダルをガードレールに引っ掛けて駐機しています。

境内の案内板より。

登城しました。城跡は倒木で荒れています。

一応、山頂も目指しましたが、半袖半ズボンのサイクルウェアで、草木が生い茂った巨木も倒れる惨状に立ち入るのは危険と判断し、断念しました。貴重な文化遺産なのでせめてもう少し整備してほしいですね。城跡ファンを集めて有志のボランティアで少しづつ整備してはと思いました。

城跡を後にして、北上します。

越生郵便局の窓ガラスに映った僕。

越生の山間の坂道をエッチラオッチラ登る。舗装路は行き止まり、道は土の登山道へ・・。仕方なく愛機を置いて、徒歩で山道をテクテク登る。

14:50頃、越生の高取城跡に登城しました。土塁が美しいですね。

主曲輪は越生神社奥宮となっており、よく除草されています。

石の祠が時の流れを感じさせます。

外側の樹々が生い茂り、眺望はききませんが、これはこれでよいのかも知れません。

駅前の観光協会で入手した「おごせの文化財・越生町教育委員会」によると、(P5~6)

関東平野を望む標高170mの頂上が平らに削られ、土塁や空堀で画された数段の郭(曲輪)の跡がのこされている。(中略)『新編武蔵風土寄稿』には、「越生四郎左衛門屋敷跡 村の西にあり、上り二町許の山丘にして、平地の処は僅か二十間四方もあるべし、古は要害山と唱えし由、今はとなへ誤りて、りふかひ山といへり、山の四辺は大抵松杉の類、雑木茂りて屋敷の跡たるさまおもひやられる」とある。越生四郎左衛門は、南朝の総大将北畠顕家を討ち取るという抜群の戦功を挙げた(中略)。この城の築城者や城主は不明であるが、織物会館付近一帯と伝えられている越生氏の館跡との関係を考えると、館の背後に、有事の際の備えとして築かれた「物見の砦」や「詰めの城」である可能性がある。

とのことでした。

城をあとにします。

15:35頃、JR越生駅に到着。

八高線の発車時刻まで30分ほどあり(一時間に一本)、小腹が空いたので駅前の商店で(レジ手打ち)ちちぶメロンサイダー と チョコバナナロールを買って食べました。意外といけました!

お~、二両編成のワンマン気動車(ディーゼルカー)がやってきました。令和Tシャツを着たカワイイ男の子を抱いたままスマホで列車を撮影しているお父さんがいいですね。

列車は定刻の16:12に発車。高麗川で電車に乗り換えて、東福生駅で降ります。

輪行袋をたたんで仕舞って、のんび~りと巡航し、17:25頃に帰宅しました。

酒造所を1蔵 と 城跡を4城 巡ったポタリングとなりました。

46㌔程 走りました。面白かった~。

乗機は、小さい銀河号 (Dwarf galaxy号・BS スニーカーライト SNL163)でした。

前川國男邸復元工事報告書

前川國男邸復元工事報告書
編集:江戸東京たてもの園
発行1999/3

建築家の前川國男さん(1905-1986)設計の建物で、僕はこの前川國男邸が一番好きです。

大昔、二十歳そこそこの頃に雑誌かなにかでモノクロの写真で初めて見たときに、飛行機の格納庫みたいでかっこいいな~というのが第一印象。

それ以来、僕にとってはカッコイイ格納庫建築なんです。

建築家の清家清さん(1918-2005)曰く、「住宅は生活の格納庫」とテレビ番組かなにかでおっしゃられていたのも僕にとって影響していると思いますが、前川國男邸=格納庫なんです(すいません)。

江戸東京博物館で実際に建物に入ったとき、明治村のフランクロイドライトさん設計の旧帝国ホテルの玄関に入ったときのような感動を体験しました。凄い建物だ・・・と、固まってしまいました。そしてやはりこれは格納庫だと、それもとびきりの。

正しく建築を勉強された方からはお叱りの言葉をいただきそうですが・・・。

建物見学をされていた一般の年配のご婦人が「なんて素敵な建物なの~!」って感動されていましたが、まったくもってその通りだと。

本文中、建築家の大谷幸夫さん(1924-2013)が、座談会のなかで、「この建物が傑作なのは、前川先生が、この建物を三浦美代さん(妻)に捧げようとしたからだ。」(P80)とあったけど、とても素敵なエピソードですね。

(2019 年の23冊目)

初詣 鶴岡八幡宮 と 鳩サブレー と 海街diary

鎌倉の鶴岡八幡宮さんへ初詣に行く。

6時の電車に揺られつつ、『海街diary 第9巻』を読みながら、時々 『すずちゃんの海街レシピ』 や 『すずちゃんの鎌倉さんぽ』 に目を通しつつ(笑)、いつの間にか8時に鎌倉駅へ。8時半頃には参拝できました。去年は遅い時間に行ってかなり並びましたので、やはり初詣の参拝は早めの時間に限ります。

お神酒とお札をいただき、おみくじを引き、甘酒を飲んで境内を後にします。

実に清々しい気持ちになりました。

鎌倉といえば、銘菓 鳩サブレー。明治の末頃からあるらしく、なんと発売から約110年もの歴史があるとは。愛すべき 定番の 銘菓 ですね。お土産にお買い上げです。

鎌倉駅から江ノ電に乗ります。

線路端の車止めの上にカエルがいる。ふと渋谷駅前のアオガエルを思い出す(笑)。江ノ電によく似合ってます。

かわいいですね。お久しぶりです。

極楽寺駅で降ります。そうなんです。吉田秋生さん作の 海街diary の4姉妹が住む家の最寄り駅で、作中に何度も出てくる あの駅 なんです。来ちゃった~。もしかして居ないかな~・・・そんな気にもなる小さくて素敵な駅です。

駅のすぐ北側の赤い屋根の地蔵堂。今にも登場人物たちが出てきそう!

東側の桜橋を渡って少し行った左側、極楽寺坂切通し上の GOKURAKU亭 というカフェでコーヒーをいただきます。鎌倉のコーヒーは雰囲気も含めて美味しいなぁ。江ノ電や極楽寺界隈が描かれた山田獏さん作の素敵な絵葉書を六枚買いました。

鎌倉っていいなぁ・・・住んでみたい。

後ろ髪を引かれる思いで(引かれるほど髪の毛ないけど)、鎌倉を後にします。

藤沢→登戸→立川経由で、13時半頃に帰宅しました。

お土産の 鳩サブレー を家族で美味しくいただきました。ありがとう!

小屋2 男の秘密基地

小屋2 男の秘密基地
WORLD MOOK 1181
発行2018/9
ワールドフォトプレス

特集記事の

イギリスの小屋コンテストは見ていて楽しかったです。イギリスの人ってこういうの好きですよね。例えば車の MINI とか、007の小さな特殊装備とか、サンダーバードの秘密基地とか、機関車トーマスとか、男の子がワクワクするような・・・イギリス人のセンスって面白い。

NEW YORK CITY のビルの屋上に木製水槽が一万基以上もあるという記事にはワクワクしました。日本じゃ考えられない。お国が変われば考え方も変わる。面白いですね。

ポートランドのADUの達人 Kol・Peterson、「ソローの小屋と椅子たち」のちょっとした記事も興味を引きました。

小屋をつくるなら、どんな小屋がいいかな・・・想像するだけで楽しくなりませんか?

城ヶ島 と 江の島 の 灯台

8/23(木)、城ヶ島灯台に行ってみた。
三浦半島の先っぽの先 城ヶ島 。
岬の頂に建つ 小さな灯台 。

鎌倉時代、三浦水軍の本拠地で、戦国時代に北条氏との戦いで滅亡するも、その残党の末裔の苗字は今も残るようです。
歴史ロマン・・・勇壮な血が流れているのですね。

幕末から昭和20年の終戦まで砲台が置かれ、城ヶ島の名に相応しい歴史があります。

そうそう、小学一年生の頃、東大生のことを灯台生だと思っていて、灯台の塔の階段に座って講義を受けているものと本気で思ってました。「すっげ~、あの筒の中で勉強してるんだ~、カッコイイ~」と、灯台の図鑑の断面図を見て、想像に胸が膨らんでいました。いや~お恥ずかしい。灯台って言うと思い出しちゃうんですよね(笑)。

案内板

この案内板で一番心が揺れ動いたのは、

猫しゃんでした。

実に気持ち良さそうに寝ていて、指先 とか 肉球 とか 鼻先 とかそっと触れても、
微動だにせず爆睡。
近くで飼われている愛され猫なんでしょうね。癒されました。

灯台から見える太平洋は、台風20号の影響で、波打ち際は白い飛沫が上がっています。

昼食(鮪カツ丼・懐かしい味)をいただいた しぶき亭 のご主人に、「波が高いので波打ち際にはあまり近寄らないでくださいね」と丁寧にお知らせいただきました。楽しく食事が出来ました。ありがとうございます。

 

江の島展望灯台にも寄ってみました。Sea Candle ともいうそうです。

旧江の島灯台(僕の記憶にあるのはこっちかな)は、日本初の民間灯台だったそうです(知らないことばかりですね)。

現在の灯台は 江ノ島電鉄 により、清水建設の設計施工で、2002年に着工~2003年に竣工、地上60m、海面から107mの高さで、光達距離は46km(民間灯台としては国内最大級)とのことです。

台風20号の影響で、呼吸困難(笑)になりそうな、髪の毛グシャグシャになるような(僕の毛は微動だにしない・・・ないけど)、強風が吹いていましたが、海風はなかなか気持ちよかったです。

Sea Candle 展望台から 江の島大橋 を見下ろす。風で舞った土埃で白っぽく霞んでいます。波のうねりがよく見えます。猛禽類のトンビさんが、気持ち良さそうにヒラリヒラリと滑空していました。

ダムもいいけど、塔っていうのもいいもんだね。小さな灯台って素敵です。

高幡鹿島台ガーデン54 & フォレステージ高幡鹿島台

2018.7.14 12:45 多摩都市モノレールに乗って程久保駅で下車。愛機 Dwarf galaxy 号とともに降り立つ。30度超えの気温、日射、舗装の照り返し、目的地方向の丘を見上げていると、折りたたみ自転車で来たことを少し後悔しましたが、上り坂も検証してみようと思います。

中程久保から西に向かって斜面を登り始める。200mほど進んだら右折して北に向かって更に急な坂を登り始める。たった3速ギアの折りたたみ自転車にとっては、かなりの坂で、道路沿いの塀の目地を見ると勾配がわかろうかというものです。この真っ直ぐで長い急坂は、積雪やアイスバ-ンの際はどうするのだろうかとか、道路でキャッチボールや玉蹴り遊びなどしてキャッチし損ねたらどうなるのだろうかとか、ブレーキの効かない子供の自転車の暴走等々、妄想は膨らんで、恐怖を覚えてしまいました。車庫入れで車のフレームが歪まないかなぁとかも・・・。

丘を越え、道は急な上り坂(南斜面)から緩い下り坂(北斜面)に変わりました。左手には高幡鹿島台のガーデン54とフォレステージの内部に開かれた住宅街が広がっているようです。先に高幡鹿島台ガーデン54(1984)のほうから訪れてみます。

建築家:宮脇 檀さんが宅造設計の段階から環境計画に取り組んだとのことで、ボンエルフ、ポケットパーク、フットパス、生垣、街路樹、シンボルツリー、門扉、門灯、駐車場などを統一して、連続性のあるヒューマンスケールの美しい街並みがそこにはありました。そこだけ別世界といってもいい街並みでした。

ボンエルフ(生活道路において、車道を蛇行させるなどして自動車の速度を下げさせ、歩行者との共存を図ろうとする道路 Wikipedia)、生垣、シンボルツリー、門扉、門灯、駐車場などの外構が統一された美しい街並み。

街区を横切るフットパス(小道)は、風や光が駆け抜け、街路と直行する生活動線をとっていて、視覚的にも楽しい変化があった。

住宅方向にはカメラを向けなかったのですが、空き地があったので向けさせていただきました。まさに宮脇 檀さんの設計した住宅地という感じですね。このデザインは1984年ということで34年も前のものですが、これらのデザインが、今日の住宅メーカーや街の外構に与えた影響はとても大きいと思いました。

ポケットパークは、息抜き、コミュニケーションの場、住宅街の品位や快適性を高めていました。

仕事柄か地面のことが気になるのですが、植樹ますや雨水側溝がコンクリート製でなく、煉瓦を斜めに使用したものであることに感動してしまいました。こういう部分でも人への配慮が感じられますね。公共の建物の外構でこういう納まりはあると思いますが、もしやその元祖なのかな・・・と思ったもので。

擁壁の水抜き穴も目地と組み合わされて四角くて(中の塩ビパイプは丸形ですが)、カッコイイですね。

緩い曲線と並木と街路灯と植樹桝とボンエルフ。30数年が経過し、痛みもありますが、それも含めて美しい街並みだと思います。

住宅街の並木とは。

フットパス(小道)とは。ポケットパークとは。

隣接するフォレステージ高幡鹿島台(1997)へ。

上記の高幡鹿島台ガーデン54に隣接した社宅跡地を、宮脇 檀さんの設計で再開発した住宅地とのことです。

ガーデン54とは趣を変えて、緑化されて緩やかに曲がる街並みと、クルドサック型(道路の末端がサークル状で自動車はUターン可能)の道路及び広場には、居住者共有のシンボルツリーで緑化された憩いの場が広がっていました。

ここの擁壁の水抜き穴は四角くではなくて丸形でしたが、やはり目地と組み合わされていて、美しい納まりなのではないかと思いました。

シンボルツリーの廻りを廻れることについて、宮脇 檀さんの住宅設計では特徴的な回遊性というものを、意識してしまいました。楽しい広場ですね。井戸でもあれば井戸端会議に華が咲きそうです。

緑化されて緩やかに曲がる街並み・・・なかなかここまでは一般の住宅街では計画することは出来ないでしょう。ですが、これからの郊外の街並みは、長所がないと過疎化して没落してゆくケースが増えると思います。

高幡鹿島台ガーデン54、

フォレステージ高幡鹿島台、

ともに素晴らしい住宅街でした。

建築家:宮脇 檀さんの住宅設計に対する圧倒的なスペックや熱意を、一端から思い知らされるような経験になりました。

ガーデン54とフォレスレージともに、街区内外では素晴らしい設計でしたが、街区の外側に広がる一帯は、斜面と言うこともあって、住むにはそれなりの覚悟がいる場所と感じました。冒頭で述べましたが、積雪、アイスバ-ン、道路で遊べない、自転車には不向き(電動アシスト必須(自転車趣味人除く))、なにより年を取ったら歩いて買い物や駅に行くことも難しいので、これからはライフラインの維持も含めてどうなのかなと思いました。なにか、坂の街として、地域をけん引するものが必要なのではないかとも思いました。

すぐ北東には、高幡城址があるので(そういう厳しい地形ということです)、別の機会に行ってみたいと思います。

13:45 程久保駅にて愛機を輪行バックに収納して、多摩都市モノレールに再び乗り込みます。予定より早く戻りましたが、坂道で頑張りすぎたのと、この猛暑で参ってしまったからです。宮脇 檀さんの設計した・・・ということでなければ、折りたたみ自転車で丘を登ることもなかったでしょう(笑)。

モノレール車内で、近くの二人組の女子高生が「あのバックに何が入っているのかな?」「たぶん折りたたみ自転車だよ」と、話しているではありませんか。よく分かったなと感心しました。さすがだね。なんか嬉しかったな。

地元の駅を降りて、古本屋さんへ。一冊必ず何か買おうと決めて店に入るも、これはと思える本を見つけられず。仕方なく何年か前の本だけど、ホリエモンが刑務所で1000冊の本を読んだらしいので、面白そうなので買ってみた。刑務所もスキルにして、起き上がって来るのは凄いなと思います。ロケットも造ってるし。

17:15 福生にて、多摩サイの夕陽を望む。

17:30 帰宅しました。

自宅~駅 程久保駅~現地~程久保駅 駅~古本屋~自宅 の行程で、本日は15㌔ほど走りました。

暑かった~。ポロシャツが、汗で蒸れて、エアコンで乾いてを繰り返して、帰宅時にはプール帰りの海パンみたいな匂いになってた(笑)。

世界で一番美しい住宅デザインの教科書

世界で一番美しい住宅デザインの教科書

巨匠『宮脇 檀』に学ぶ家の仕組み

著者:中山繁信 発行:2012/11

X-Knowledge

久しぶりに、建築家 宮脇 檀さん関連の本を読みました。僕の本棚には宮脇さんの本が10冊ほどあります。軽い気持ちで読みはじめたのですが、スケッチや図面、写真や解説文を見ているうちに、今は亡き宮脇 檀さんの住宅設計者としての才能に圧倒されたのか、震えてしまいました・・・。そのすぐ後に地震が来て、辺り一帯が震えだして更に驚きましたが(笑)。僕が言うまでもなく、宮脇 檀さんは、巨匠と言われる建築家でしたが、亡くなってもう20年にもなるのに、今でもその作品の斬新さは色褪せていないと思います。残念ながら既に現存しない作品も多いとは思いますが、見てみたいと思いました。没後20年の回願展がやっていたようですが、どうやら間に合わなかったようです。残念です。なにかやっていたらみたいです。

読んでみて、ぐっと来たところは、ほとんど全部なんですが、少しだけ紹介したいです。

 

作品も人柄も「モダンディズム」
宮脇さんは誰もが認めるダンディな建築家であった。そして、外見ばかりでなくセンスも良い。「モダンな住宅を設計するダンディな建築家」を略して、私はこう呼んでいる。(P22)

狭い空間を有効に使うこつは、こういった綿密な下調べと、それにもとづく細かく丁寧な設計にあるのだ。造付けの家具とは、収納棚のオーダーメイド化である。既製品の収納箪笥のように無駄な空間をつくってしまっては、建て主に満足してもらうことはできないだろう。(P46)

宮脇さんは都市部の建築の外壁には派手な色を塗るが、別荘地では内部に強い色を使う。それは、自然と調和させるための配慮が必要な外部とのコントラストでもある。(P62)

宮脇さんはこの石津氏から山中湖の別荘の設計を依頼された。石津氏が当時の若き建築家 宮脇 檀 に依頼した時の一言が「面白い家の案ができるまで見せなくていい」であった。(P76)

センチ刻みの設計
私はこれほど細部にわたって神経が配られ、何1つ無駄なスペースを出さずに設計された住宅を見たことがない。収納も一切の無駄をなくすため、必要なモノとその寸法が徹底的に洗い出され、それらをしまう場所を決めたうえで設計している。(P118)

リビングより半階上がり、45度の角度に振られたブースには、上部の高い吹抜けの解放感がある。リビングを上から見降ろす位置でとる食事は、このうえなく楽しく、そして心地よい。(P126)

しかし宮脇流住宅では、和洋室にかかわらず、必ずと言って良いほどこの障子が用いられているのである。(中略)
宮脇さんは、紙の張り替えが必要な障子を敬遠して、カーテンを好むクライアントを嫌った。きちんと手入れができなければ、美しい空間に住む資格はないというこだわりである。(P174)

高幡鹿島台ガーデン54(P178)

 

是非、本書を読んでみてほしいです。スケッチや図面、写真や解説文などの内容を考えると、ものすごくお得な本といえるでしょう。

(2018年の29冊目)