中村好文 小屋から家へ

中村好文 小屋から家へ
著者:中村好文
写真:雨宮秀也
発行:2013/04
TOTO出版

 

読んでいて 気になったり 同感だなぁと思ったり したのは、

鴨長明の方丈(P16)
ヘンリー・デイヴィッド・ソローの小屋(P18)
猪谷六合雄の小屋(P20)
立原道造のヒアシンスハウス(P24)
高村光太郎の小屋(P28)
堀江謙一のマーメイド号(P32)

皆川 その胎内的な落ち着き具合が、小屋のとても大事な要素かなと。(P210)

皆川 小屋って、自分の気持ちと対話をしながら、自分自身を見つめなおす場所なのではないかということを、僕も強く感じました。(P211)

中村 僕は、小屋的な建物を見たり、そこに入ったりすると、「こういう場所こそが人のすまいの原型なんだ」という想いに取りつかれてしまうんです。(P212)

中村 (前略)「ひとつ屋根の下」という感じはぜひ欲しい。(P213)

風景に寄り添う小屋(P214)

皆川 窓枠によって外の見え方という切り取られ方が違っていますね。(P215)

中村 建築素材は、原則として古びたとき美しくなるものを使うようにしていますが、(P216)

中村 その味わいを愉しめるクライアントと一緒に仕事をしたいですね。(P217)

中村 住めるか住めないかは別にして、小屋や小屋的な建物を見るとけっこう血が騒ぎます(笑)。(P221)

中村 面積や予算などのハードルがいくつもあるからいいんだと思います。(P224)

中村 ヨットやキャビンの内部みたいな感じでしょう?(P224)

皆川 やっぱり、小屋は住宅とは違う。自分にとってのもうひとつのスペースとしての小屋は、人生でいろいろな経験をしてきて、好きなものとか自分の癖もあって、それだけを集めてもいい場所にしたい。小屋にはそういうことの意味というものが、あると思います。
自分が小屋に求めるものは、今までの自分というものをギュッと圧縮して、「自分にはこれだけで十分です」というものを小屋の中に持ってきて、ほかの付随するものは小屋以外のところに置いておいて、という住まい方なのかもしれません。(P226)

中村 たとえばヘンリー・デイヴィッド・ソローの小屋とか、高村光太郎の小屋とか、鴨長明の方丈とか、ああいう孤高の小屋へのあこがれが僕の中にはあるのかもしれない。(P227)

中村 小さな螺旋階段で上っていく(P231)

中村 「屋根裏部屋」と「小屋」とは、双子の兄弟と言ってもいいかもしれない。(P232)

玄関と台所を結ぶ道線に特別な「こだわり」(P235)

 

(2018年の25冊目)

移動を車→自転車 気になるものを停まって見る

移動を車から自転車にすると、
街中で見た気になったものを、
すぐに停まって見やすくなります。

立川市内の住宅。
ハーフ八角形の弓形の下屋部分は、どんな部屋なのでしょう。
外壁と窓廻りの納まりが美しく、円形窓がとても上品ですね。

 

あきる野市内の住宅。古い建物なんですが、
設計者はどなたなのか、気になる建物です。
僕の第一印象は、巨匠:白井晟一っぽいなぁと・・・。

 

あきる野市内の住宅。やっぱり住宅は切妻がいいね。
ハーフ八角形の弓形の部屋部分は、どんな感じなのでしょう。

 

移動を車から自転車にして、寄り道追加な感じのポタリングですが、
心にも身体にも気持ちよく、結果として程よい運動になるのでした。

32km程走りました。

自転車で気ままに

日曜日の午後などに、自転車で、街をフラフラしていると、面白い建物に出会うことも。

住宅だと思うけど、建物の大きさと玄関廻りが、不思議なバランス。

 

美術って文字があるから、芸術家の住む作品だね。どんな人かなぁ。

 

かわいい戸建て住宅の、出っ張りの内側はどうなっているでしょう?

 

酒場のログハウス。建物が傷んでいても、なんか味わいがあるね~!

 

ちょいとフラフラしただけでも発見があったり。目につくのは豪邸などではなく、割と小さな家とか、不思議な家とか、かわいい家とかですかね。

最近、家が面白くなってきた。たくさんの気になる家を見たいです。

小さな家、可愛い家

小さな家、可愛い家 TINY HOUSE
著者:ミミ・ザイガー Mimi Zeiger 訳者:黒崎 敏
発行:2012/07 二見書房

感銘を受けて、吸い寄せられてしまったのは次の3件です。
素晴らしい建物ですね。

こぶたの家 S(ch)austall ドイツ、ファルツ
設計:FNP Architeckten

P122より
一見、古めかしいお屋敷のようだが、元をただせば「豚小屋」だった。その名残りが正面の床レベルにある横軸回転式の開口部———かつて豚たちが出入りした戸口である。
建物そのものは18世紀の石造りの小屋だが、第二次世界大戦で損傷を負い、長年にわたり修繕されながら使用されてきた。

P125より
外壁から屋根が浮いていることで小屋の愛らしさが生じている。

P126より
風化した石積みの壁とは対照的に、内装は質素なラーチ合板でシンプルに仕上げられ、ギャラリーのようだ。
室内に張られた合板はけっして高価なものではないが、オレンジがかった照明が石壁の窓から漏れ出て、つい暖かそうな室内へ誘われそうである。

P129より
鬱蒼と茂る森の中に潜むように・・・・・・。灯る明かりが廃墟ではないことを物語っている。

 

ページを開いて・・・というのは気が引けるので、
以下の2作品については、簡単に 描いて みました。
長男曰く、「画力が足りない・・・」と直球の指摘(笑)。
あ~・・・検索して写真と比較しないように・・・^^;。

ビーチハウス Casa Mar Azul アルゼンチン、マール・アスール
設計:BAK Arquitectos

P58より
浜辺に建てられた1軒
ビーチ沿いに松林が長くのびる土地に建てる家
周辺の風景にうまく馴染むプラン

P59より
杉板型枠コンクリート打ち放しの壁面と屋根が描く水平ライン
粗い打放しのコンクリート壁でキッチンと寝室のプライバシーを守っているが、テラスやリビングを気品ある木材で仕上げているため、全体に木造家屋の感が強い。
片持ち梁の平らなコンクリート屋根だけで家全体を覆っているのも一興

P61より
本物のいい素材だけで造られたこの家は、海辺のどんな気候にも耐えられるような工夫が施されている。
防風林となる松林は、夏には心地よい日陰をつくってくれ、爽やかな海風が吹き抜ける。
部屋に明かりが灯り、荒々しいコンクリート空間と無垢材の家具が美しい調和を。

 

キノコの家 Woodland Cabine ベルギー、フランダース
設計:Robbrecht en Daem

P112より
森の中の一軒家
森の中を流れるせせらぎの畔にひっそりと佇み、おとぎ話に出てきそうな雰囲気を漂わせている。
ベルギーで昔から親しまれているコミック『スマーフ・ビレッジ』に登場する家をイメージして造ったという。
丸い壁は2つの円が重なる輪郭をなぞって、ピーナッツの殻のようなラインを描いている。

P113より
〝ピーナッツの殻〟の中央にはシンプルな薪ストーブがでんと据えられている。それを境に、一方の殻には明るい憩いの間が、もう一方の殻には檀状のベッドが設けられ、思いのほか室内はゆとりある空間になっている。
とりわけ角材を煉瓦のように積み重ね、凹凸の表面を強調した丸い壁は面白い。

P114より
無垢の木片を煉瓦のように積み上げた壁がそのまま室内に現れている。
林立する雑木林の足元に同化する小さな小屋はまさしく隠れ家だ。

P115より
小さな木橋を渡って入るというアプローチも、この〝隠れ家〟の一つの趣向である。

 

本書の世界の小さな家34作品は、いずれも独創的で見ていて楽しいです。
僕はそのなかで上記3作品に強く惹かれました。
素晴らしい〝小さな家〟です。
小さいって面白い!
ですね。

(2018年の24冊目)

小屋

小屋

WORLD MOOK 1144号 発行:2017/5 ワールドフォトプレス

小屋に住みたい・・・そんな願望があります。居間、寝床、キッチン、トイレ、シャワーがついていて、3坪(6帖)ぐらいの家に住んでみたい。小さいけれど上質な家、スモールハウスと呼ばれて、アメリカ等でも静かなブームだそうです。住宅ローンや高額な家賃に追われることもなく、人間らしい豊かな暮らしがしたい・・・。家が小さいが故に、什器や持ち物なども含めて環境負荷も小さくなり、本当に必要な物以外は家に置くことができないので、心の整理もつくのではないかと想像しています。

世の中にはいろいろな小屋があります。テント,秘密基地,避難小屋,釣り小屋,ガレージ,読書小屋,ツリーハウス,農機具小屋,大草原の小さな家!等々、小屋はときに命を守ってくれるシェルターであり、ときに冒険心を掻き立てる最前線基地でもある。僕の心にヒューマンスケールで生きたい願望があるのかも知れません。

じゃあ住めば。そだね(特許は出願していません)。僕が造った木造の駐輪小屋をスモールハウスに改造するのが手っ取り早いかな・・・。完成したら、主屋から追い出されたりしてね(あり得る)。

WORLD MOOK 1144号には、スモールハウスではなくて、いろいろな楽しい小屋が紹介されていました。木造船をひっくり返して半分にしたものを小屋として利用しているのは典型的らしいのですが面白かったです。見ていてやはり、廃材をうまく利用している小屋はセンスがいいし、アイデアが素晴らしいし、環境的にも正統派だし、クールだよね。

お昼を食べにフルマラソン?(ただし自転車で)

3/24(土)12:55、ちょいとお昼を食べに、少し遅くなったけれど、Dwarf galaxy号 (BS SNEAKER LIGHT SNL163) にて自宅を出る。

羽村の堰付近から、多摩川サイクリングロードを下ってゆきます。一部ですが、桜が開花し始めたので、お花見散策の方が多いですね。

13:10頃、福生の辺りでは、もう少し桜が咲きつつあり、綺麗です。

13:25頃、拝島橋の辺り、一面にかわいい野草が花をつけています。

拝島橋付近や多摩大橋付近が整備され、自転車で走りやすくなりました。拝島橋付近なんて夏場はマムシに怯えながら通るような遊歩道でしたし、多摩大橋付近はダートでした。そんなルートを避けて住宅街を多くの自転車が通り抜けるような状況だったので、整備されたのはよかったですね。

とはいえ、全体的に多摩サイは道幅が狭くて、歩行者や堤防沿いで遊ぶ人たちと、楽しく共存することを考えると、自転車乗りは自分も歩行者や遊ぶ人たちであるのだから、せっかくの休日を周りを思いやってお互いに楽しく利用したいですよね。

14:00頃、国立の四谷の辺り、今までは通り過ぎていたけれど、この小屋、よくよく見るとなかなかの いい小屋 じゃない。ログハウスだし。こんな小屋に住んでみたいね。

水位観測所だったんだね。

吹き流しがほぼ水平で、右側からの向かい風が強く吹いていることを教えてくれています。しばらく耐えると緩むのですが、なかなか体力を消耗します。でも、近頃は毎日少しでも〝エアロバイク〟を漕いでいるからなのか、徐々に体力がついてきたことを実感できます。走行ペースとか持久力とか回復力とか、少しだけ進化したみたいです。嬉しいですね。

15:00頃、狛江界隈の桜、けっこう咲いてますね。羽村から自転車で走ってみて、都心方面へ行くに従って桜の開花が徐々に進んでいく様子がよくわかりました。これって自転車の楽しみのひとつだよなぁなんて思いました。

15:05頃、多摩水道橋を渡って多摩川右岸へ。川沿いのラブホをチラリと見る。駐車場には車がいっぱい入ってるなぁ・・・今頃部屋でも入ってる😻ガルル~・・・お腹空いてるから飢えてる~?・・・いかんいかん妄想が(笑)・・・前を見て安全運転です。

15:30頃、二子玉川をバックに小休止。お腹が空いてきました。今日はまだなにも食べていないのです。口にしたのは家から持ってきた午後っティーのみ。しかしまぁ自転車が小さいので、写真を撮るとボトルが目立ってしまいます。

ここで多摩川を離れ、第三京浜沿いを南下します。しばらく走るとJR南武線沿いの道と交差したので左折、線路沿いを東へ、武蔵新城駅前を通り過ぎ、視線を遠くに泳がせると・・・あった あった ありました。散歩の達人に 知る人ぞ知るインディーズ牛丼チェーンと紹介されていた『どん亭』がぁぁぁ!あったどぉ~!

久しぶりぃ!って気分。懐かしいです。

15:45頃、羽村からわざわざ自転車で来たぜ!しかもなにも食べずに!

注文したのは、もちろん どん亭スペシャル(並盛680円ですが)、トッピングサービスでチーズをお願いしました。

出てきた!なんか、30年前にあった阿佐ヶ谷店より、洗練されてる!

食べてみる。うん、記憶に残ってる味より、油がいいのか美味しい!

散歩の達人に、とにかく安くてボリュームがあって味は・・・・・・そこそこ、と紹介されていた当時の味と、僕の記憶を辿って比較すると、とても美味しくなっている印象ですね。違いは僕の経年変化か、メニューの進化か、阿佐ヶ谷店の味が違っていたのか、わからないけど、でも安いのにとても美味しいよ!

懐かしさも加味して、激ウマ~!と言っとくね!

なんかさ、山田うどんもそうだけど、チェーン店なのに「緩い感じ」がいいよね。この緩い感じが僕にとっては居心地がいいし魅力です。ご馳走様でした。

また来るぜ!

と心で言ってから店を後にします。

さて、お腹一杯になったし、ほどよく疲れたし、電車で帰りますか!

16:20頃、JR南武線 武蔵新城駅へ(近くに城跡があるのかな?)。

JR南武線・青梅線と揺られて・・・少し眠りました。

17:45頃、羽村駅を後にしてのんびり家路につきます。少し寄り道。

17:50頃、羽村の堰越しの山並みと雲が割とダイナミック。きれい。

17:55頃、無事に帰宅しました。

小さい自転車って、やっぱ面白いね!

走行距離は、42キロぐらいかな。やっぱサイコンつけようかな~。

( そうそう、いいかげんカメラの時刻設定を直さなきゃ・・・笑 )

プラム・クリークの土手で

プラム・クリークの土手で
On the Banks of Plum Creek
著者:ローラ・インガルス・ワイルダー
画家:ガース・ウィリアムズ
訳者:恩地三保子
発行:2002/11(刊行:1937)
福音館文庫

大草原の小さな家〈インガルス一家の物語〉のシリーズの3作目。

あとがき 「インガルス一家の物語」について より

この物語は、いまから100年以上まえ、北アメリカがまだ開けていなかったころ、大森林や大草原でのきびしい開拓生活のなかで成長していった、ひとりの少女ローラと、その家族の物語です。
大吹雪、イナゴの大群、日照り、熱病などの、思わぬ自然の脅威にいつもおびやかされながら、とうさんとかあさんとローラたち一家は、大自然のまっただなかで、助け合い、自分たちの手で、丸太を組みあげ家を建て、パンやバターやチーズをつくり、生活のどんなことでもひとつひとつ自分たちの手でつくり、家庭を、生活を築きあげていきます。人間の生活のこんな基本的なことが、深い喜びとなって、いきいきと、この物語から伝わってきます。それは、この作者、ローラ・インガルス・ワイルダーが、1870年代から1880年代に、実際に、生きる喜びにみちあふれた少女時代を送り、その経験を、そっくりそのまま、私たちの目の前に再現してみせてくれるからなのでしょう。
作者は、自分が5歳のときから、あちこちに移り住み旅の多かった少女時代を経て、アルマンゾ・ワイルダーと出会い結婚をして、娘が生まれ、インガルス家から離れ、新しい家庭をつくっていくまでのことを、9冊の本にして物語っています。この9冊をならべると、ひとりの女性の生涯と一家の一代記を描いた、大河歴史物語といえるでしょう。
1冊1冊にもりこまれた物語のおもしろさはもちろんのこと、何冊か通して読んだときに、年月を経て成長し、変化していくものの重みを、ずしりと深く感じずにはいられません。この物語が、1932年に1冊目が出版されてから現在まで、アメリカの子どもたちのベストセラーとして、代々、読みつがれてきたことも、こんなところに秘密があるのかもしれません。(P407~408)

 

開拓者というか、農家というか、挑戦者というか、インガルス一家の物語は、今の時代を生きる我々にも、時代を超えていろいろなことを教えてくれる。借金して設備投資して自ら切り開いて耕して実った畑が大豊作に湧き大金が入る収穫の寸前、イナゴが大発生し畑は全滅・・・途方に暮れるよ・・・。借金は返せない、一家の生活はどうする、冬をどう越す・・・。読み手が家族を背負う責任ある立場の者ならば、なおのこと他人事でなくずっしりとしたものを感じる筈だ・・・重い、重すぎる。でもしかしインガルス一家は負けない。父も母も子供達も犬も馬も牛も負けない。すげ~。フロンティアスピリット。半端じゃないな。勇気をもらいました。そもそも生きていくことは大変なことなんだよね。生きていることに感謝しないといけない。もっと毎日をしっかりと生きていきたいです、インガルス一家のように。

(2017年の51冊目)

家を せおって 歩いた

家を せおって 歩いた

著者:村上 慧

発行:2017/04

夕書房

 

家族を背負って の せおってなんかではなくって、

発砲スチロールで作った 小さな家 に著者が入って担いで、

路上で突然この 小さな家 に出くわした 人 から見ると、

家のゆるキャラが歩く如く、家に足が生えて歩く如く、

東京を出て 青森 宮崎 と経由して 東京 へと戻ってきた、

「移住を生活する」美術家の369日の旅の記録。

こんなことをする人がいるなんて考えもつかなかった。

世の中には 面白いことをする人がいるもんだね。

 

読んでみて気になったところ

いま日本には670万戸もの空き家があり、問題になっている。(中略)これから新しいものを建てる必要なんてあるのか?P24

家の最大の機能は「寝る場所の確保」だということ。これさえなんとかなれば、洗濯やお風呂やご飯は外でもどうとでもなる。P32

自分のそれまでの経験だけでは及びもつかないような社会や覚悟や個人の生き方がこの世界にはたくさんあるのだと、いつも忘れないようにしないといけない。P59

この潮目はその波で生まれた瓦礫を使って建てられた。(中略)美術とか建築の価値、評価について考え直してしまう。こういうものこそ「みんなの家」と呼ぶべきなのでは。P86~P87

道を歩くよりもインターネットの中のほうが情報があるというのは錯覚だ。錯覚に対抗するには歩くしかない。P179

しかしこんなに良い月と寝られるなんて。(中略)大雨の中、雨漏りと戦いながら寝たあの夜に感謝したい。あのときのうんざりがあるから、いま幸せを感じられる。(中略)いつも同じ環境に、安心、安全、便利、快適な環境に寝てたら、こんな激しい喜びは味わえないと思う。今夜の満月を世界で一番堪能している。P180

住職さんはつづけた。「みんな自分の中にある闇を見ようとしなくなっている。『人に迷惑をかけ、煩悩にまみれながらも生きていかなくちゃいけない』事実と向き合おうとしない。だからボランティアが流行る。すべてのボランティアがそうだとは言わないけれども、自分は『人に迷惑をかけない人間』でいたい、『人のために尽くす自分』でいたいというのは傲慢だ。(後略)」P231

おばちゃんが迎えてくれた。(中略)「昔は居場所なんて至るところにあったのにな、住みづらい生きづらい世の中になってしもうたな。こんな田舎でも、心を悪くしてしまう人も増えてきててなあ」P233

ある一定の日数以上移動しない日がつづくと、移動したくなくなってくる。そうするとなぜか思考が暗黒面に陥りやすくなる。絶望する暇を頭に与えないためにも移動は良い。P257

自分の職場だけで日常が完結している人は、その職場の中で敵をつくってしまう。せまい世界の中で簡単にいがみあったりしちゃう。映画「インディペンデンスデイ」で、地球が宇宙人から攻め込まれた途端に、あらゆる国が争いをやめて団結し、宇宙人に立ち向かうのと逆だ。P264

油断するとすぐに、自分の身内から学ぶことを忘れる。自分が学ぶべきことは、本やテレビやインターネットや有名人のセリフの中にだけあるように思い、友達や家族からは学ばなくなる。これはこの社会の刷り込みだと思う。二次情報三次情報があふれ、それだけに価値があるかのように錯覚してしまう。危ないことだ。人と話すとき、いつも授業を受けるような気持ちで向き合う姿勢を忘れないようにしたい。P265

生後間もない赤ちゃんは、真っ白で罪のない存在ではない。生まれた国と時代と家庭環境によってあらゆることが事前に決まってしまっている。生まれた瞬間にせおった業から逃げることはできない。この世界には正義VS正義の構図しか存在しないし、日本人として生まれた以上、どんな事情があろうと、敵にならなくちゃいけない相手がいる。P276

 

1ページ約1000文字で、約300ページに及ぶ日記は、

なかなか読み応えがありました。

あたり前だけれども新鮮な指摘が随所にあって、

はっとすることがたくさんありました。

家で歩いていると、自分が前に進んでいるのではなくって、

地面が後ろに動いているような感覚になるらしい。

でもそれ、わかる気がする。僕もそう感じる時があるから。

著者の活躍を追いかけてみたいですね。

(2017年の34冊目)

スモールハウス

スモールハウス 3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方

著者:高村友也

発行:2012/09

同文館出版

3坪の家というと、母屋の離れの小屋とかバンガローみたいな建物を想像するけど、本書のスモールハウスはそうじゃない。母屋として一式揃って3坪の家なんです。イメージでいうとキャンピングカーの規模で一軒家を建てた感じでしょうか。

大真面目にスモールハウスを論じていている本書には衝撃を受けました。僕も小さな物、必要最小限の物は、これからの時代は大切になってくると思うし、だから本書にも目が留まったと思うけど、さすがに3坪の一軒家は考えてなかったですね。

3坪のスペース(キャンピングカーを考えてみて!)に、軒下ウッドデッキ・居間(ソファ・お洒落なガスストーブ・机と椅子・本棚・収納)・キッチン・シャワー&トイレルーム・ロフトの寝室を備える手造りの家・・・完璧に洒落てます。

で、実際に著者は住んでいるとのことで、僕も自分の生活に取り入れることを考えてみたけど、もし実際にそんな生活が出来たなら、かなり自由でエキサイティングな暮らしが出来そうな気がする・・・。スモールハウスって面白そう!

 

読んでみて気になったところ

「僕は、自分の平穏な暮らしを支えてくれる家が欲しかったのであって、それを支えるために暮らしを捧げなければならないような家を欲しくはなかった。一方で、賃貸という考えは自分にはなかった。借り物じゃなくて、自分色に染めて使える、正真正銘の自分の家が欲しかったんだ。」P032

「完璧なデザインというのは、それ以上加えるものがないときでなく、それ以上取り除くべきものがないときに、初めて達成される。」P034

物を買うセンスよりも買わないセンス、手に入れる技術よりも捨てる技術、情報収集能力よりも情報遮断能力だ。P063

「大きすぎる家屋は、家というよりは、債務者の監獄だよ。」P068

環境負荷は大きさの問題(中略)家が小さければ建築資材は少なくてすむし、建築時に費やされるエネルギーや、照明や空調といった日常生活に用いられるエネルギーも抑えられる。解体・再生の手間や建築廃棄物も、家の大きさに比例して少なくなる。そうやって、すべての絶対量を減らす。環境のことを考えるのなら、こまごまとした省エネ仕様の商品に惑わされるよりも、それが一番近道だと思う。なんといっても、簡単だ。誰でもできる!P100

より大きく、より多く、より速くといった意味での人類の成長は、いずれ近いうちに停滞する。最終的には、自然の循環そのものや、太陽光という外部から事実上無限に供給される緩いエネルギーの中で生きていくしかない。P102

家を小さくして、物を買うことをやめることで、莫大な時間とお金が転がり込んできた。彼女はその時間とお金を、スモールハウスを世に広めるために用いることにした。P115

このような歴史的背景を省みて、「みんなが家を小さくすれば、消費が縮小してしまうのではないか」と危惧している人もいるかもしれない。住宅そのものに関わる消費はもちろんのこと、家を小さくすれば、家主は家に運び入れるものを厳選し出すから、社会全体の消費活動の縮小に繋がる。これに答えるためには、二つのことを言わねばならないと思う。第一に、大きな家は贅沢であるということ。第二に、贅沢なものの消費によって回る経済は誰も幸せにしないということ。P140

たとえば、スモールハウスに移り住もうとしているアメリカ人のカップルが、こんなことを言っている。「資源のために戦争しているアメリカ人だけが、贅沢な暮らしをするのはおかしいと思う。だから僕らは、スモールハウスに引っ越すつもりなんだ。」P141

技術や知識は間違いなく進歩してきたし、地球が何億年もかけて貯めた石油を湯水の如く使っている最中だ。だったら、僕ら人間は、どうしていまだにフルタイムで働いているのだろうか?P142

しかし、「コレコレは経済を回している」「コレコレは消費を拡大している」という結論が無条件に話の落とし所となる時代は終わった。これからは、何によって、何を目的に、経済が回っているか、それが重要になる時代だ。「住宅私有による経済効果」を無条件に賛美することも、必要な物を効率的に行き渡らせる経済と、不必要な物で空回りしている経済とを、混同していることになるだろう。P145

彼は『森の生活』の著者ヘンリー・ソローを敬愛しており、「大きな家と大きな負債を背負って周囲の自然世界を味わう時間のない生活は馬鹿げている」というソローの哲学が、自らの生活や、スモールハウスムーブメントの基盤になっていると語る。P166

空回り経済の本当の罪は、それが「人の心」を巧妙に支配して、金儲けや消費に関する絶対的な礼讃の論理を作り上げてしまうところだ。P170

最も贅沢な暮らし P176

 

未来の暮らしを考える上で、たいへん有益な考えだと思った。と同時に、個人も、会社も、国家も、やはり生存競争をしているので、他との比較優位に立つ本能は止まらないとも思う。

家族で暮らすことを考えると本書のスモールハウスは馴染まない。今は馴染まないけれども、考え方としては面白いんじゃないかと思う。家族というものが変わってゆくなかで、家だって変わってゆくだろう。小さい家って面白いと思うよ!

(2017年の33冊目)