十三夜荘奇談

十三夜荘奇談 吉田秋生傑作集3

著者:吉田秋生 発行:1983/9

PFビッグコミックス小学館

吉田秋生さんの短編集の魅力のひとつに、作品の幅がある。

著者の若かりし頃の、この短編集のラインナップの多彩さには、まったくもって驚異的な才能を感じざるを得ません。

後の作品群につながってゆくものが、そこかしこに感じられて、最新作の海街diaryから遡ってきた僕には、とても新鮮な過去作品なのです。

コミックスの新刊がないのでやむなく古書の程度のよいものを入手しましたが、それもまた古書の味わいがあって、いいものですね。

・夏の終わりに・・・ 別冊少女コミック1978.9月号に掲載

・風の歌うたい 別冊少女コミック1980.1月号に掲載

・十三夜荘奇談 プチフラワー1981.冬の号に掲載

・金の糸 銀の糸 1982年度作品

・きつねのよめいり プチフラワー1982.9月号に掲載

・ざしきわらし 1983年度作品

(2019 年の39冊目)

夢みる頃をすぎても

夢みる頃をすぎても 吉田秋生傑作集1

著者:吉田秋生 発行:1983/2

PFビックコミックス 小学館

先に、吉田秋生傑作集2を読んでしまいましたが、本作は全く別ストーリーなので、支障なしでした。

本作は別々の短編集なのかなと思っていたら、5作品は繋がっていました。

楽しく懐かしい青春ストーリーでした。よい作品だね。吉田秋生さんて当時からすごい作家だね。全作品を追いかけて読んでみたいです。

・楽園のこちらがわ 別冊少女コミック1977.12月号に掲載

・楽園のまん中で 別冊少女コミック1979.5月号に掲載

・はるかな天使たちの群れパート1 別冊少女コミック1980.3月号に掲載

・はるかな天使たちの群れパート2 別冊少女コミック1980.4月号に掲載

・夢見る頃をすぎても プチフラワー1982.1月号に掲載

(2019 年の38冊目)

百姓から見た戦国大名

百姓から見た戦国大名

著者:黒田基樹 発行:2006/9 ちくま新書

読んでいてぐっときた部分は、

大名としての武田氏の存続のためには、そうした世論を真摯に受けとめなければならなかった。信玄は、世論の要求に応えるために、クーデターを起こし、実力で代替わりをおこなった。そして代替わりによる、「世直し」のための対策を大々的に行ったのだろう。それが、人々をして、救世主のような扱いをさせることになったのだろう。(P26~27)

このように敵地に侵攻すると、まず間違いなく敵地の作物を刈り取り、生産破壊が行われた。こうしたことを、刈田狼藉といい、敵地の地力を衰退させるための一般的な戦略となっていた。(中略)その地域の人々はたちまち深刻な飢餓におちいることになった。そのうえ容赦のない掠奪が繰り広げられた。それは作物をはじめ、雑具と呼ばれた日常生活品、さらには人身そのものに至るまで、あらゆるものが対象にされた。(P47)

戦国時代の戦争は、けっして戦国大名やその家臣たちだけのものであったのではなく、その根底には、そうした村人の戦争参加があったことがわかる。しかもそれが自身やその家族の生存のためであったところに、事態の深刻さがうかがわれる。自村では生活できないから戦争に行ったのである。まさに「口減らしの出稼ぎ」であった。(P49)

村同士の、武力をともなった争いは、当時の支配者からも「合戦」と表現された。「合戦」は、決して領主レベルだけのものではなかった。このことから中世というのは、領主から民衆までの多様な階層で、いたるところで合戦が繰り広げられていた時代であった。(P67)

領主同士の合戦とみえるものの根底には、こうした村々同士の用益をめぐる紛争があった可能性は、限りなく高い。(P93)

城の維持・管理についての村々の負担は、村にとってはどのような意味があったのであろうか。(中略)城は、村々の避難所としても機能したからである。敵軍が来攻してきたとき、村人は領域の城に避難した。敵方軍勢による、情け容赦のない掠奪から逃れるためである。(P111)

北条氏の領国支配の内容をみていくと、それこそ近世社会の原型といって差し支えのないものである。このことはむしろ、戦国大名・国衆の領域権力が、近世権力の原型であったとみるべきことを示している。決して信長・秀吉が傑出していたわけではなかった。(P143)

こうした対策によって、領国では耕作が維持され、秋の収穫から回復が見込まれることになったが、それが一瞬にして台無しになるような事態が生じた。永禄3年9月からの上杉謙信の関東侵攻である。(中略)この時の進軍によって、領国は「国中山野の体」、「山野の体、年月経られば、侍・人民共に退転すべし」「相州悉く亡国と成る」といわれるような状態になった。上杉軍によって散々に掠奪された結果である。(P162)

そして村の側でも、決して戦国大名の言いなりになったわけでもなかった。確かに徴兵台帳は作成され、それに基づいて実際の動員もあった。しかしそもそも台帳作りの際に、「一人も漏らさずに記載するように」とか、「精兵を村に残して、戦争の役に立たないものを出したら、村役人を斬首する」とか言われているから、村は、村そのものの防衛のために、精兵を村に温存しようとしていたことがわかる。(P204)

村にとっては、自村の存立こそが最大の課題であり、(中略)誰であってもいいから、ただ強い領主に従うのみといって、村の存立を保障してくれる大名・領主を選択した。村々は、特定の大名・領主と、決して運命をともにすることはなかった。これこそ、戦乱のなかでの存続を図る、村のしたたかな知恵に他ならなかった。(P205~206)

当時の村人の逞しく生きる姿が目に浮かぶようです。 私たちはまさに、慢性的飢饉を乗り越えた人々の子孫にあたる。(P61) のですよね。戦国時代のムラや領国の概念は、今の日本国に相当すると思うけど、現代も、好戦的な国家が割拠しているし、それぞれに内政上の不安定な問題を抱えているし、そんななかで、平和を維持していくにはどうすればいいのか、歴史は語っていると思います。

英雄目線の戦国大名でなく、百姓から見た戦国大名に興味のある方、ご一読をお勧めします。興味のある方はとっくに読んでいるかな。

(;^_^A アセアセ・・・

(2019 年の37冊目)

夢の園

夢の園 吉田秋生傑作集2 カリフォルニア物語番外編

著者:吉田秋生 発行:1983/4

PFビックコミックス 小学館

(2019 年の36冊目)

吉田秋生さんの著書を検索していて、カリフォルニア物語の番外編ということで、読んでみました。本編では描き切れなかった幼き過ぎ去りし兄弟の日々は、懐かしくも切なくも苦しくもあり、あの日々をもう一度と願っても、戻ることは出来ない。僕も私事で、妹弟や子供達との幼き日々のことを想いました・・・時間よ戻れ・・・もう一度、あの頃に・・・なんてね~。

夢の園の他に短編が3ストーリー入ってます。

・ジュリエットの海 別冊少女コミック1982.3月号に掲載

・夢の園 別冊少女コミック1982.5月号に掲載

・最後の夏 プチフラワー1982.11月号に掲載

・解放の呪文 別冊少女コミック1982.10月号に掲載

吉田秋生傑作集2ということで、傑作集1があるんじゃんね・・・ということで、読まなくっちゃね~。

唐沢山城跡 相沢酒造 佐野城跡を巡る🚘

6/23 今日はクルマでの移動です。

10:40、栃木県佐野市の唐沢山城跡に到着。

越後から三国峠を越えて関東へ押し寄せる当時最強クラスの戦国大名、上杉謙信の軍勢に10回も攻められた城というのは凄い。

上杉と北条に挟まれて、佐野氏や領民は大変だったよね。

上杉謙信がやってきたといっても、遊びでなく、城攻めに来るわけで、唐沢山城の堅固さが際立ちます。

しかし城下の領民にとっては、家屋や田畑は灰塵に帰し、捕まれば拉致や生命の危険の憂き目にあい、それが毎年繰り返されたのですから・・・戦国時代とはそういう時代とはいえ、生きるのは厳しかっただろうな。

城は領民の避難所でもあったのでしょうね。

①の駐車場から入る。③の井戸は山城としては貴重だね。枯れたことがないそうです。しかし城が大きい。小さい山城が好きな僕には手に余る規模です。

④の四つ目堀を渡り、三の丸、二の丸を左に見上げながら、大手道を登ってゆきます。⑥の南城側から本丸に登ります。関東には珍しい戦国時代の高石垣が圧巻です。重機もない時代に人力・牛力・馬力で・・・頭が下がります。

本丸から大手道や二の丸を見下ろす。荒々しい石垣が美しい。

本丸から南方を見る。晴れていれば江戸(東京)が望めるそうです。

まさに唐沢山城は要害ですね。凄い城だ。いろいろな由来やら伝承やらがあるので、興味のある方は是非どうぞ。上杉謙信が10回も攻めあぐねた名城です。

唐沢山神社の社務所で、『戦国 唐沢山城 武士たちの夢の跡(著者:出井博)』という本を買いました。読むのが楽しみです。

12:10、佐野ラーメンが食べたくて、佐野市堀米町の らーめん文 さんへ。

チャーシューメンをいただきました。手打ちの腰のある縮れ麺と柔らかいチャーシューとスープがとても美味しかったです。お店は混んでいて活気があり繁盛していました。

13:10、佐野市堀米町の相沢酒造さんへ。

休業日の札が出ていましたが、店の戸が開いていて、声を掛けてみたら蔵元さんが出てこられて、愛乃澤 純米吟醸 純 720㎖ を買うことができました。飲むのが楽しみです。

13:40、佐野市若松町にある佐野城跡へ。

わずか十数年で佐野氏は改易、城も廃城とは、厳しい時代ですね。

元々、古墳があって、佐野厄除け大師の惣宗寺があった場所だそうです。

二の丸や本丸西側の土塁、本丸と二の丸や北出丸の間の空堀が見所です。

改易された佐野氏は幕府旗本として代々続いたそうです。廃城後の城下町のその後の発展や領民の暮らしを知りたいのですが、又の機会にしたいと思います。

COBRA 6,7,8

COBRA 8
著者:寺沢武一
発行2006/2(完全版)
MFコミックス (2019 年の35冊目)

COBRA 7
著者:寺沢武一
発行2006/1(完全版)
MFコミックス (2019 年の34冊目)

COBRA 6
著者:寺沢武一
発行2005/12(完全版)
MFコミックス (2019 年の33冊目)

新版 雑兵たちの戦場

新版 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り

著者:藤木久志 発行:2005.6

朝日新聞出版

誰にも先祖はいる。貧富も家柄も関係なく先祖はいる。1世代25年と仮定して、10代前(250年前)の先祖は1,024人、15代前(375年前)の先祖は32,768人、20代前(500年前)の先祖は1,048,576人、25代前(625年前)の先祖は335,54,432人、当時の人口を超えます。実際は近親交配などで倍々には増えないけど、誰にも等しく先祖はいます。これって凄いことですよね。ということは、誰であってもきっと歴史上の著名な人物に血筋は繋がっているよね。とてつもない困難な時代のなかを子孫を残したご先祖様って、特にお母さん方、貧富も家柄も関係なく、その偉業に敬意を表さずにはいられません。先祖の誰か一人欠けても僕はいません。

僕の子孫がどれだけ続くかわからない。でも先祖は誰にも等しく続いている。そんなことを考えていたら、戦国乱世を生き抜いたご先祖様に想いが飛んだ。その多くは貧しき庶民だったと思うけど、どうあれご先祖様は子孫を残した。庶民目線での戦国時代に興味が湧いた。地域地域に小さな山城跡がある。この山城跡と当時のその界隈の庶民の暮らしはどうだったのか。英雄目線でなく庶民目線での戦国乱世・・・僕に関係があるのはほとんどそっちだよな(笑)・・・そんなわけで、庶民の戦国時代に興味があるのです。

読んで心にぐっときたところ

連歌師の宗長は、永正元年(1504)九月、今川軍兵から聞いた武蔵野(東京都立川市辺)の戦場の様子を「行かたしらず二千余、討死・打捨・生捕・馬・物の具充満」と書いていた。(P23~24)

北信濃に進出した武田軍は、信越国境の関山(新潟県妙高市)を超え、春日山城(上越市)近くまで侵入し、村々に火を放ち、どさくさに紛れて女性や児童を乱取りし、生捕った越後の人々を甲斐に連れ帰って、自分の召使い(奴隷)にした、という。(P28)

おそらく雑兵たちには、御恩も奉公も武士道もなく、たとえ懸命に戦っても、恩賞があるわけでもない。彼らを軍隊につなぎとめ、作戦に利用しようとすれば、戦いのない日に乱取り休暇を設け、落城の後には褒美の略奪を解禁にせざるをえなかったに違いない。(P30)

1994年の特派員記事がある。この戦場の町を、自動小銃で武装し巡回するザイール民間防衛隊が、地元の難民や市民から外国の報道陣にまで、公然と脅しや強盗を働いている。(中略)給料代わりの略奪というのも、上司に命じられた組織ぐるみの略奪というのも、その稼ぎによる分け前の配分というのも、16世紀日本の戦場にそっくり当てはまりはしないか。(P31)

小田氏治の常陸小田城(茨城県つくば市)が、越後の長尾景虎(上杉謙信)に攻められて落城すると、城下はたちまち人を売り買いする市場に一変し、景虎自身の御意(指図)で、春の2月から3月にかけて、20~30文ほどの売値で、人の売り買いが行われていた、という。折から東国は、その前の年から深刻な飢饉に襲われていた。(P35)

その上杉軍が関東へ攻め込んだのは、「万民餓死に及ぶ」といわれた永禄8年(1565)の冬11月、越後へ引き揚げたのは翌春の3月であった。現代の出稼ぎさながらに、冬に関東に出て、春に国へ帰っていたのである。(P96)

農閑期になると、謙信は豪雪を天然のバリケードにし、転がり込んだ関東管領の大看板を揚げて戦争を正当化し、越後の人々を率いて雪の国境を越えた。収穫を終えたばかりの雪もない関東では、かりに補給が絶えても何とか食いつなぎ、乱取りもそこそこの稼ぎになった。戦いに勝てば、戦場の乱取りは思いのままだった。こうして、短いときは正月まで、長いときは越後の雪が消えるまで関東で食いつなぎ、なにがしかの乱取りの稼ぎを手に国へ帰る。(P99)

越後人にとっても英雄謙信は、ただの純朴な正義漢や無鉄砲な暴れ大名どころか、雪国の冬を生き抜こうと、他国に戦争という大ベンチャー・ビジネスを企画・実行した救い主、ということになるだろう。しかし襲われた戦場の村々はいつも地獄を見た。(P99~100)

もともと戦場は、春に飢える村人たちの、せつない稼ぎ場だったのではないか。(P103)

戦争のときだけ必要な傭兵を、できるだけ大勢集めるには、農閑期に戦うしかなかったし、食料の乏しくなる端境期の口減らしの意味もあった、と考えてみた。(P109)

あくまでも農業が主で、暇な冬場や苦しい端境期だけ、なんとか食いつなぐために、戦場に出稼ぎする百姓兵士たちは、けっして武士の成り損ないだったわけでも、みな侍になりたがっていたわけでもなかった。(P114)

城は民衆の避難所   従うべき主君は、その砦がすぐ近くにある主君であり、騒乱が通過するときには、住民全員が逃げ込み、閉じこもることのできる避難所の上で、守備し監視する主君である。したがって、封建制とは、まず第一に城なのである。(P153)

戦いにおいては何一つ看過されることもなく、いっさいのものが焼却、破壊されて火の刃(の犠牲となる)ので、集落や村の人々は全員が籠城する以外に(生き延びる)方法とてはなかったのである。(中略)城に避難した人々の恐れと心配は、自分たちが全員殺されるか、あるいは捕虜として連行されるか、また町や村が焼き払われ破壊されて、自分の家や住居に帰れなくなるか、ということであった。(P165~166)

もともと中世の村には、自力で村や地域の平和を守る掟があり、勝手に侵入するよそ者に対しては、実力でその武装を剥ぎ取り、村から追い出し、抵抗すれば殺す。それだけの武力を村も備えていた。よく知られる村の落人狩りは、その一環にほかならなかった。(P179)

もし戦争が戦国社会の最底辺を支える生命維持装置であったとすれば、戦場の閉鎖は新たな労働市場の開発を必要とした。「豊臣の平和」に引き続いた朝鮮侵略は、その第一の吸収先であった。(P228)

秀吉は大がかりな普請と並行して、朝鮮侵略の戦場を開き、戦場の閉鎖が引き起こす社会不安を避けようとしていた。(P240)

あいつぐ築城という巨大な公共事業によって、戦場に代わる新たな稼ぎ場が、どれだけ用意されていたか。つまり戦場を閉鎖し平和を保ち続けるために、日本社会がどれほどの規模の公共投資(社会の富の再配分)を強いられたか。(P246)

都市の普請ラッシュ、つまり新たな大規模公共事業にありつこうと、都市の普請場へ向かう人々の奔流は、戦場の雑兵から都市の日用へと、秀吉の予想した流れをはるかに超えて、村の地滑り的な荒廃を引き起こしながら続いていた。(中略)秀吉は都市の治安の問題でも、ただならぬ難問を突きつけられていた。(P248)

16世紀末から17世紀初頭にかけて、どれほど多くの日本人が東南アジア世界に散っていったかについて、数々の貴重な証言がある。(中略)おそらく10万人以上にのぼり、東南アジアに住み着いた人々もその1割ほどはいた(中略)自ら海を渡ったのは、海賊・船乗り・商人・失業者・追放キリシタンなどで、また西欧に雇われて渡海したのは、伝道者・官吏・商館員・船員・傭兵・労働者・捕虜・奴隷など、じつに様々であった。(P269~270)

生きるだけで大変に厳しい社会。ときには地獄のような厳しい状況をかいくぐって、逞しく生き抜いた先人たちの、ご先祖様の人間力に、心から敬意を表します。時代は変わってもカタチを変えて、共通するような事案があるのだなと、だからこその現代社会なのかと、先人たちの英知に新たに目を覚まされた思いがします。

本書を一読することをお勧めします。

(2019 年の32冊目)

カリフォルニア物語8

カリフォルニア物語8
著者:吉田秋生
発行:1982.4
小学館フラワーコミックス

(2019 年の31冊目)

1978~1981にかけて別冊少女コミックに掲載されていた『カリフォルニア物語』の完結編です。最新作の『海街diary』との作風の違いや、ちょっとしたシーンやセリフに片鱗が見えたり、吉田作品のデビューと最新作の40年の時間差を楽しめた気がします。

作品が完結した1981年といえば僕はまだ中学生でしたね。作品を読むのになんとかその頃に戻ろうとしたけど、戻れるどころかかえって時間の経過を思い知らされるばかりでした(笑)。

カリフォルニアの次の作品も読むぞ。

ヒース・スワンソンは何処へ・・・。

おせっかいな神々

おせっかいな神々

著者:星新一 カバー装画・カット:真鍋博

刊行:1965/7(新潮社) 発行:1979/5(新潮文庫)

仕事の鞄にいつも忍ばせてある星新一のショートショート。ちょっとした合間に読みはじめるとすぐにその世界に浸れるし、急に読むのをやめても引きずることもない。星新一という作家は、小さいSF作品をたくさん創った方ですが、その作品群は独特のもので、他者の追従を許さないとはこういうことでしょうか。

本書の解説で中島梓氏が、「星新一氏は彼のショートショートを書くにあたって(中略)一、セックスネタを扱わない 二、時事ネタを扱わない 三、残酷ネタを扱わない(後略)」とのことでしたが、作品が陳腐化しない理由はこのあたりにもあるのでしょうか。さすがですね。

次作を鞄に忍ばせました。

(2019年の30冊目)