雪 や こんこん

雪の影響で、帰宅困難になる恐れから、
仕事は午前中で帰宅せよとなりました。
CT125・スカーレット号を駆って、
帰宅途中でちょっと畑地帯へ迂回して、
道端で雪景色を撮らせてもらいました!
やってること~子供みた~い( ´∀` )。

帰宅後、いない時間に家に居る不思議、
何やら興奮冷めやらぬおこちゃま親父。
KSR110・弦月号のエンジン始動、
ゆ~っくり暖機してから近所を周って、
予備機の雪景色を撮ってみましたとさ。
やってること~子供みた~い( ´∀` )。

(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)
ウンウン♪

今宵は、副業の出動の要請がなければ、
読みかけの小説でも読んでみようかな。

そりゃそうと、仕事から帰らぬ奥方様。
スタッドレス履いてるけど大丈夫かな?
エブリイは後輪駆動だから難しい筈で、
朝方に言っといたけど滑って焦るかな?
何処かに衝突して帰ってきそうで怖い。

Scarlett号 OIL交換

2000キロ毎のオイル交換。
(1回目1000km、2回目3000km)

いつものPeaceSさんにて。

飛散し難いチェーングリースを相談。
(今使ってるKUREのは飛ぶかなぁ)
これがいいかもって、WAKO’S。
今度試してみるわ・・・。
当面はノーマルチェーンでいきますんで、
定期的な注油は必須なんでやんすよ。

シールチェーンに換える頃には、
前後スプロケやタイヤも交換かなぁ~。

有馬~大麦代~周遊 辛垣城跡下鎧塚

1/21 スカーレット号 CT125 ハンターカブ
12:15頃にフラっと家を出て、
奥多摩&成木街道、青梅秩父線と疾駆~!

12:55頃に有馬ダムに到着。
頭が肌寒いけど(坊主にしてハゲ隠し)、
( ´艸`) バンダナ~ カブる
気持ちのいい空模様だねぇ~。
寒いし、バイクは数台・・・カブ系皆無。

キャリアにピリオンシートを乗せてみた。
(タンデムの予定はないけどね)
先日の宮ケ瀬のカブミーティングで、
「まずは箱でしょ」のコメントあり~で、
でも気に入った箱、ん~見つからなくて、
床の間の置物じゃないけど、
密かに(笑)用意のシートを積んでみた!

13:10頃に出発、青梅秩父線を戻り、
松の木通り、下畑軍畑線を疾駆します。
JR青梅線の色鮮やかな赤い奥澤橋梁を、
しばし見上げてしまいました。

奥澤橋梁の竣工は1929年(昭和4年)
とのことで、希少なトレッスル橋らしい。

その少し南側には、

戦国時代にこの地域一帯の領主であった
三田氏VS北条氏の戦いで散った武者や
武具を供養したと伝わる鎧塚があります。
現地案内板によると、

道端の祠に両手を合わせました。

余談ですが、
まだ独身の30年近く前に、後に嫁さんとなる彼女と、城跡巡りハイキングで上記の辛垣城跡を含む三田氏の城跡を散策したよ~。
今じゃあり得ないけど、よくもまぁオイラに付き合って来てくれたもんだと、感慨深いものがある(笑)。
だって城跡に全く興味のない人から、そんなもんに延々と付き合わされるのって、退屈の極みですもんね・・・「見て見て、これ土塁だよ・・・すげ~堀切だ・・・ってえと曲輪はこんな感じ?・・・」などと妙に盛り上がってるオイラに天使のように微笑んでくれている彼女・・・そんなもん只の盛土と溝と平地じゃんね(爆)。
そういえば、新婚旅行は沖縄の城跡を巡りましたなぁ~・・・親しい友人にその話をすると「奥さん可哀そうに・・・」と言われたり、燃える前の首里城に行ったとき「初めてまともなお城に来たね」って、言われたのを思い出しました。

さてさて、青梅街道を疾駆して、
14:05頃に奥多摩の大麦代Pに到着。
めっちゃ日陰は寒い~・・・たった3機。

いつものアメリカンドックいただきます。
しかしコレの何がアメリカンなんだろう。

14:20に寒いから出発。
よせばいいのに奥多摩周遊超え・・・、
更にメッチャ さ ぶ い ~ 。
道端には残雪アリ、凍りぎみのカーブで、
ちょいリアが滑ってドキっとしました~。
下り坂は、寒さとビビリでゆっくり巡航。
後方から四駆のスポーティーカーが来た!
道を譲ったらハザードでサンキューって。

14:45頃に都民の森Pに寄るも、
寒くて休んでいられなくて ( ´艸`) 、
5分後に出発。

周遊を下る自転車のロードバイクは凄い。
ちょうど仲良しカップルが、
軽く 口論 しながら走っていて、
(あの時はお腹が空いていたとか)
なんか微笑ましい光景でしたよ。
自転車は結構な車速で下っていたので、
直線で一気、左手で礼をして抜きました。

16:05頃にいつもの理髪店に到着。
顔が寒くて真っ赤になってる~。
寒いんだけど、いつもの0.8ミリ刈り。
( ´艸`) ナハハ 。

今回は、
ハンドルカバーの防寒性を確認しました。
割と薄地の手袋でも問題なく走れました。
春になるまでカバーはもう外せませんね。

AKABU 純米吟醸 NEWBORN

AKABU 純米吟醸 NEWBORN
赤武酒造(岩手県盛岡市北飯岡)

赤・・・KABU・・・、
まるでハンターカブ乗りの酒みたいだね!
(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)
ウンウン♪

正月に実家に集まった際に、
弟夫婦から頂いたお酒でやんす。
(人”▽`)ありがとう☆

クイッ クイッ スポ~ンと開きまして、
トクトクトク⤵とmy酒器に注ぐ。
いい香り~美しく澄んでますね~。
では、いただいてみましょう!

ちびっと飲む・・・嗚呼吟醸~!
ぐいっと飲む・・・おお吟醸~!

美味しい😋っ!

開けたては ガス のシュワ感あり~の、
若さ溢れる吟醸テイストで勢いがあって、
オジサン には眩しい味ですねぇ~。

ありがとう。

カブ ハンドルカバー

冬の寒さは手に凍えます。
(足先も財布も凍えています( ´艸`))
体質的に指先が割れやすいオイラは、
「どうしちゃったの?」と言われる程、
割れて血が滲み痛くて困っておりました。

ハンドルカバーを装着しようかと、
いろいろ検索して、選んでみたのは、
大久保製作所の
YAMAMARUTO1948。
ハンター&クロスカブ用の商品です。

1/12にポチっと発注、1/14に届く。
スカーレット号 HONDA CT125 ハンターカブに
早速装着してみますと、こんな感じ。

写真でもちょっとわかるけど、
左ハンドル側の差込口が少し下向きです。

なんでかなと思ったら、ミラーステーが、
左はバー直上、右は前にオフセットで、
左右で前後位置が異なるので、
ハンドルカバーの穴が左側は手間にずれ、
結果的に差込口が下向きになってました。
↓ 装着前のハンドル廻り状況 ↓

しばし思案・・・左側のミラーステーを、
少々前側に倒したらカバー穴が前に回り、
左右のバランスは丁度良くなりました。

早速走りに行きたかったけど、
雨が降ってきて、試しは月曜の通勤かな。

追伸
標準装備のヒモでは、不器用なもんで、
僕にはいまいちキッチリとは装着できず、
上部と手前の空間確保がよろしくなく、
ハイビームになったりホーンが鳴ったり、
なにか巧い方法はないかと考えまして、
スーパーカブC125のカブ主の、
くらげ模様の そらいろくらげ さんが、
結束バンドで装着の記事を拝見しまして、
コレダ!ということで、
オイラもやってみることにしました。

右ハンドルカバー装着状況。

左ハンドルカバー装着状況。
バーの周りに板状のスポンジを巻いて、
隙間にも丸めたスポンジを詰め込んで、
上部と手前に空間の確保ができまして、
干渉してハイビームになっちゃったり、
ホーンがピーっと鳴っちゃったり、
しなくなりました。(´▽`) ホッ

とりあえず、いい感じになったかな。

宮ケ瀬湖 鳥居原駐車場

1/8、フラッと8時半過ぎにスカーレット号(HONDA CT125 ハンターカブ)で家を出て、なんとなくやってきました宮ケ瀬湖 鳥居原駐車場に10時過ぎに到着。

おおっ、なんかカブが数十台ほど集まっています。
聞くところによると、奇数月の第二日曜日はカブが集まるらしく、「鳥居原のカブミーティングだよ」と、右隣の保土ヶ谷ナンバーのCT110氏に教えていただきました。

保土ヶ谷ナンバー氏の美しいCT110ハンターカブをじっくり見させていただき、面白い話をたくさん伺うことが出来ました。

川越ナンバーのCT125ハンターカブ&CC110クロスカブのお二方からも貴重なお話を伺うことが出来ました。今後の愛機の参考にさせていただきます。

他にもDEEPすぎる株主が多く集まっていて、相当なマニアックな仕様のマシンや衣装の方もおられて、補助灯装着の話など、とても参考になりました。

12時過ぎに帰途につきました。

道中、津久井城跡の雄姿を眺めて、近いうちの来訪を想いつつ、本日の戦利品として、鳥居原の売店で入手してしまいました(笑)。

弦月号 OIL交換 保険更新

弦月号(Kawasaki KSR110)
の オイル交換。
いよいよ20年目に突入ですワン。

それと自賠責保険の更新。
弱気の・・・2年です。
その積み重ねで20年 ( ´艸`) ・・・。
(どっかで3年があった筈だが)
先読みが出来てねぇ~ (´;ω;`)ウゥゥ 。
現状、弦月号はサブ機となっています。
修理が出来れば完全復活予定なんですが。
(重整備はなかなか進まず・・・)


通勤や遠乗りは、安定・静寂(笑)の、
Scarlett号(HONDA CT125)が主力です。

愛宕山城 / 石神井城

11月19日

道中にて。銀杏並木が美しい。

仕事で、小平市花小金井を訪問しました。
時間が出来た、付近の城跡を探索するぞ。

13時45分頃、愛宕山城跡(練馬区上石神井3丁目)に到着。

遺構は特に見当たらず・・・。
もしやと思ったのは、早稲田高等学院敷地内の北東側、石神井川沿いのRC土留上部の法面が名残りかな?外から見ると・・・と思えた程度・・・違うかもですが。
調べた限りでは城(砦)の縄張り等は確認できてないけど(区の教育委員会の史記等にはあるかも)、小規模な平山城といった規模でしょうか。
城の由来は諸説あるようですが、元々は北東約600mの距離にある豊島氏の石神井城の支城で石神井川や南方を監視していたが、1477年に太田道灌による石神井城攻めの際に奪われて、城攻めの陣地として使用された、という説が有力なのかな?と思いました。
平成4年に発掘調査が行われ、城跡(砦跡)は300~400m角で、コの字型の堀に囲まれていたようです。
石神井城の落城後に廃城となったようです。

14時25分頃、石神井城跡(練馬区石神井台1丁目)に到着。

北方より、三宝寺池越しに石神井城跡を見る。
現在は練馬区民の憩いの場である石神井公園の一部として、550年前の豊島氏と太田氏の死闘は忘却の彼方に忘れ去られ、まさに兵どもが夢の跡となっています。

案内板によると、

石神井城跡
 石神井城は、中世武士の豊島氏の城です。豊島氏は、葛西、江戸両氏とともに、秩父平氏で、南北朝時代には、石神井群を領有していました。
 室町時代に、城主の豊島勘解由左衛門尉(泰経)は、関東管領の上杉顕定にそむいた長尾景春に味方しました。そのために、顕定を援助していた上杉定正の重臣である江戸城主の太田道灌により攻められ、文明九年(1477)四月、落城したと伝えられています。
 石神井城は、三宝寺池と石神井川の低地に挟まれた舌状台地にあります。その周囲は空堀や土塁でめぐらされており、今でも土塁と空堀を見ることができます。
 のちに、落城によって照姫が水中に身を投げたという物語が作られ、語り継がれています。
※東京都の史跡に指定されています。
 令和三年(二〇二一)三月

 練馬区教育委員会

とのことです。

案内板によると、

石神井城 主郭跡
 中世に活躍した武将、豊島氏の居城であった石神井城の中心部分です。三宝寺池側は崖で、残る三方には堀と土塁が築かれていました。内部(内郭)は平坦で、有事の際に利用する建物などがあったと考えられている場所です。
 平成10年から6年間にわたって実施した市民参加の発掘調査では堀と土塁及び内郭の一部が明らかになりました。堀は調査地点で幅約12m、深さ約6mで、断面U型に関東ローム層(赤土)を掘り下げ、底面を約3m幅で平らにした「箱堀」であることが分かりました。水が溜まっていた痕跡が無く、空堀です。また、掘り上げた土は黒土を混ぜて少しずつ固めながら内側に盛上げ、土塁を築いています。崩れていた土の量から推定すると現在より約3mも高かったと推定されます。堀と土塁を合わせると比高差10m程となり、堅固な防御施設であったことが分かります。土塁からは14世紀後半から15世紀に作られた常滑焼の甕や鉄製小刀が出土しています。内部の建物跡は明確にできませんでしたが、柱穴が発見されており、小規模な掘立柱建物が建てられていたと考えられます。
 調査では、12世紀~16世紀にかけての中国製陶磁器や常滑焼、渥美焼などが少量ですが出土しており、豊島氏の財力を示すとともに、生活用具の出土は内部建物で居住していたことの可能性を示唆しています。

 平成15年11月
 東京都 練馬区教育委員会

とのことです。


城は道楽でなく、必要に迫られて造っている訳で、戦国時代というのは、武将はもちろん民百姓も含めて、現代から想像するとその厳しすぎる世界は・・・想像を超えていますね。

お腹が空いちゃった ( ´艸`) 。

16時25分頃、遅い昼食で大好きな天津丼と餃子をいただきました。

17時20分頃、帰る途中で横田基地の青い誘導灯に誘われて。

百草城/高幡城/川辺堀之内城 散策

11/3(木) 11:45 頃、
百草園駅前のスーパーで昼食を買って、
店の軒先のベンチで お昼 いたしました。
ポカポカ陽気で気持ちいいですねェ~。

ベンチ先客の老紳士から、
「あれってカブなの?」と尋ねてこられ、
「ハンターカブです カブの兄弟ですね」
と答えたら、以前カブに乗ってたらしく、
「自動遠心クラッチとシフトが面白い!」
って、カブ話しで盛り上がりました~。
巡回バスが来た。爺ちゃん元気でね~!

12:30 頃、百草城跡(日野市百草)へ。

百草城は地域の郷土史家によって1980年代に発見された城跡で、鎌倉~戦国時代にかけての城のようですが、詳しいことはまだわからないようです。
新田義貞率いる倒幕軍と鎌倉幕府軍が戦った分倍河原・関戸合戦(1333)で、城跡内に位置する松連寺(現在の百草八幡宮・京王百草園にかけて存在した)が焼け落ちているとのことで、幕府側陣営の城であったという説もあるようです。

城域内の百草八幡宮にお参りします。
裏の散策路を歩きながら、
地形の痕跡より当時の姿を想像してみる。

樹齢数百年の圧倒的な椎の木さんが凄い。

城域は、
百草八幡宮、京王百草園、松連庵と
広範に及んでいるように思われました。
なので京王百草園にも入場してみます。
(¥300)
茶会が催され、美しい着物姿の老婦人、
梅の老木も見事でした。

京王百草園の最高所・・・ということは、
百草城跡の主郭に到達かな?
生い茂った木がなければ眺望に秀でて、
北岸は急斜面で、弓、槍、刀の戦闘では、
極めて有効な陣地(城)だと思いました。

ジェラート屋さんに寄ったら休みだった。
( ´艸`)

13:45 頃、高幡城跡(日野市高幡)へ。

高幡城の詳細も不明です。
1455年の第一次立河(立川)原合戦で、関東公方の足利成氏に敗れた上杉憲秋が高幡城下で自害したとのことで、高幡不動の境内に墓所もありました。
1504年の第二次立河(立川)原合戦で、上杉朝良・今川氏親・北条早雲 VS 上杉顕定・足利政氏との多摩川付近での戦いでも、拠点となったとの説もあるようです。
戦国時代に入ると、北条氏照の配下として、平山氏が城主であったようです。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、北条氏旗下の高幡十右衛門の居城で、豊臣氏旗下の前田利家・上杉景勝の軍勢と戦ったと伝わるそうです。
縄張りは自然地形を生かしたもので、築城年度は室町時代以前で、戦国時代においては小規模な地域の城で、大掛かりな改修はされなかったようです。

高幡不動の裏山が城跡で、比高差は約50m。
田中祥彦著:多摩丘陵の古城址を片手に、
高幡不動からの散策路を登ってゆくと、
尾根上の曲輪群に到着しました。

生い茂った木がなければ眺望に秀でて(東京タワーも見える)渡河地点を押え、急斜面や堀切で、防備を固めたようです。

高幡城跡で検索したら、心霊とか落ち武者のワードが出たけど、特に何も感じなかったけどなぁ~。
戦国時代の城跡は戦いの陣地だから、兵どもが夢の跡、命懸けで戦った場所で、逆に僕はロマンを感じるんですが・・・!
ですが陽が落ちると一変ちょっと怖いよ。
my後頭部は 落ち武者 に近いかなぁ?
( ̄m ̄〃)ぷぷっ!

14:30 頃、川辺堀之内城跡(日野市川辺堀之内)へ。

川辺堀之内城の詳細も不明です。
付近一帯は武蔵七党の西党の支配地域で日奉氏が治めていたらしく、室町時代には高麗氏が領有し、戦国時代には北条氏旗下の地域の武将の居館があったとの説もあるようです。
中世には川辺十騎衆というのが存在したらしく、付近には小土豪が割拠し、それらの館が点在していたようです。
多摩川・浅川南岸を制圧してきた後北条氏に対抗して、扇谷・山内上杉氏が構築した、『高幡城・平山城』の監視目的の砦であったという説もあるようです。

台地の南岸下から見た竹林が城跡です。
小さなお城は屋敷規模のようです。
戦国時代以前の地域の名士の居館かなぁ?

城跡へのアクセスはこの辺り。
散策路を歩くと右手に地主の墓地がある。
私有地っぽいので散策路のみを歩きます。

散策路から南向きに曲輪方面を望むと、城跡らしい雰囲気は感じられますね~。

台地南岸に立てば、眺望はよいでしょう。

百草城跡、高幡城跡、川辺堀之内城跡も、ネットや本で曲輪の配置図は見れるので、
気になった方は是非検索して見て欲しい。
苦労して(楽しんで)書かれた各絵図は、一見の価値があると思いますよ。

17:00 頃に一旦帰宅。
弦月号さんで、ちょいと散走。
( Kawasaki KSR110 )
少し肌寒い風が気持ちイイですねぇ~。

日常から解放された一寸一息・・・かな。
最悪のことを考えつつ楽観的にいくって、稲盛和夫さんの言葉だったかなぁ・・・、そんなことを思いつつ、頑張りましょう!

有馬ダム + FAX散走

10/30 11:30~11:50頃、
久しぶりに有馬ダムに寄ってみました。

10時まで昭島で仕事の下見をしていて、
そのまま帰るのもなんだし寄ってみた。
往路は飯能寄りを、復路は青梅寄りを、
走ったけど、新しい道が出来てるね~。
というか、僕が走ってないだけかもね。
( ´艸`)

自宅のプリンターが不調にて、
PDF → FAXの為にコンビニへ。
久しぶりに乗ったぞ自転車。

ハンターカブ も K3 も、
選んだ訳でもなく偶然赤色なんですけど、
よくよく思えば、メーカーも偶然ですが、
HONDA と DAHON と似てますね。

なんでしょう・・・。
こういうこともあるんですね。
さっき、驚いちゃったんですよ。
今更ながら・・・ですが(笑)。